皆さん こんにちは
昨日15日、地元京都のテレビ局KBSのインンタビューを受けました。
このときの内容は、18日の夜に、放映されるようです。
(ただ、その番組では、他の二人の候補は、スタジオに招かれて討論するようですが)
私は、そのとき、「京の風」が主張する、「市民主導」の意味を中心に話しました。
これは、実は、これまでの国家主権、中央集権と反対の流れを作る、意識改革を促しています。
単なる、「市民参加」「市民とのパートナーシップ」は、これまでの官僚主導では、現実の諸問題に何も対応できなくなった事態に、 市民の声をききながら、自らのやり方を修正しようとするものにすぎません。
「官主導」の修正、補強では、何も変わりません。
この國の運営主体が、エリート意識を持った一部の人間に限られることには、変わりがありせん。
本欄の左に、「新井信介のマニフェスト」枠がありますので、ここをクリックしてください。
さて、前回の本欄で、「和歌」のことを書きました。
早速、京都市民で、「応援を表明」してくれた人がいます。
うれしいです。
日本では、 貴賎に関係なく、心に響く歌が歌えるものを常に上席としました。
(天下人となった秀吉が、どんなに歌の勉強をしたことか)
武力や策略に優れていても、歌がうまくないと、褒美が少なかったのです。
誰もの心に響く歌を歌えるということは、いつも、誰の心を慮っている証拠です。
キリスト教世界では、神の前に平等なら、
日本では、歌の前に平等でした。
明治以来の日本は富国強兵と殖産興業で、そこにあるのは、物的な、あるものを
「獲得」しようとする、国家的な競争でした。
「獲得」を主に国家運営がなされるとき、人々の心はどうなるのでしょう。
目的のために組織化され、国家にとって都合のいい「枠」に個人をはめ込むことばかりが
教育の目的なります。
戦後は、産業主体で、外貨「獲得」が主目的になりましたが、
今、このとき主役の大企業が海外に出て行くばかりなのです。
もう、「獲得」ではない、価値観を、もちましょう。
それは、生きている現場に、どのようなイノチの響きがあるか、又自分がいかに生かされているか、それを「味わい」、又、縁のあった人たちと表現し合って、それを再び、「味わう」ことです。
「獲得」ではなく、「味わうこと」。
応仁の乱後の京都の町衆が、実現していたのが、まさに、四季のめぐりの中で、自分の世界を創り、味わい褒めあっていたのではないでしょうか。
地球64億人、日本1億2千800万人、京都147万人。
地球はとか、日本はとか、京都は、とかいった場合、どうしても、メディアに影響された、
観念の中で、ぼやけた議論なってしまいます。
しかし、自分のすぐ身の回りの生活の部分なら、そこには、いつも真実があります。
それを、日々新たに、変えていくことでしか、実際に変革はありません。
それが、国家の権威を借りたトップダウンで強制(行政指導)されてきたのがこれまででした。
過去と他人は変えられない。
でも、未来と、今の自分なら変えられる。
64億分の一の人類社会、1億2千800万分の一の日本、そして147万分の一の京都は、
実は、私たち自分自身なのです。
自分の意思と行動によって、過去のままで停滞することも、大きな花を咲かすことも、
どちらにもなります。
全ては、人間一人一人が、創り上げているのですから。
まず、自分の生きるもの目的を、「獲得」から「イノチの響きを味わうこと」に
変えて生きたいと思っています。