2007年04月26日

靖国神社と昭和天皇

 こんにちは。

今日の朝日新聞に、昭和天皇の卜部侍従の日記が公開されていました。
A級戦犯の靖国神社合祀に不快感を示されたことが、ここでも記載されています。

昨年の富田メモが出されたとき、「第一、これは、昭和さんらしくありません」と
信憑性を疑った、あの桜井よしこ女史は、今度は、どんな感想を述べるのでしょう。

今回の日記の中で、226事件が、陛下にとって重いトラウマになっていたのでは
ないか、と思わせるところがあります。

1936年の226事件のあと、帝国陸軍の大本営は、なぜだか、皇居内に移動して
います。

そして、この年12月に、張学良が蒋介石を捕まえる西安事件がおき、国共合作が
始まります。 その翌年7月に盧溝橋事件が勃発し、さらに、その年の12月には、
南京事件が起きます。 この間、大陸に侵攻した日本軍は、中国民衆から様々な
形でゲリラ的な挑発愚弄を受け続けます。 日本軍は、そうした事態に、シナ人を
膺懲する(こらしめる)といって、派兵を増やし、さらに、一気に、蒋介石の国府政府
を叩き潰しに行ったのです。
 蒋介石は、南京を抜け出し、重慶に逃げましたが、その戦闘で、多くの犠牲者が
出ました。 ここから、日本悪役論の決定版が出てきます。

この間、昭和天皇は、どこにいたのでしょう。
こうした軍部の進軍に当たって、昭和天皇はどのような意志を持っていたのでしょう。

事実は、どの文書にも出ていない、あるいは、まだ、発表されていないようですが、
私は、ある方から、こう聞きました。

「実は、226事件後、陛下は、軍部によって、那須の御用邸に軟禁された。
 陛下がいると、蒋介石政権との本格的戦闘に、反対されるから」と。

昭和天皇が反対されたのは、中国で無辜の民衆が死ぬこともさることながら、
蒋介石が大陸内で逃げ延び、そこで、アメリカに対し、支援を求めることになり、
日米戦争に発展すると、見えていたからでした。 
特に、このとき、すでに、日本は、リットン調査団を拒否し国際連盟を脱退し、
さらに、日本の軍部は、ドイツとの連携を期待していたからです。

私は、「ある方」から聞かされた内容が、にわかに信じられず、それが本当か、
ずっと、調査・考察してきましたが、事実は、そうとしか考えられないものでした。

アメリカ政府中枢に寄生するスカル&ボーンズは、対外戦争を嫌うアメリカ国民を
何とか説得し、対ドイツ戦に参戦するだけでなく、日本占領をも狙っていました。

そうした策謀を読みきれなかったところに、私は昭和軍部の幼稚さを感じます。
また、陛下の声を封じ込めて、作戦を進行させた尊大さと 先のまったく見えない
愚昧さに、統治者として、完全に失格であったと大いに非難されるべきものです。

その意味で、やはり、当時の統治者を代表したものとして、A級戦犯は、
他の兵士たちと一緒にしてはならないと考えます。

A級戦犯を合祀させないことは、国家の舵取りをする統治者の、負の遺産として、
今では、国家主権者である私たち日本国民自体が、特に銘記すべきものです。 

「歴史を鏡に」 とは、 まさに、このことです。

Posted by Arai at 2007年04月26日 20:49
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