2009年01月31日

「戦場のレクイエム」・変革・キルギス

1) 明日は、久しぶりに、映画を見ようと思っています。

 前回、見たのは 『レッドクリフ』。 これは、パート1でした。
 
 物語は、中国の三国志の名場面『赤壁の戦い』を描いたものでした。

 ただ、パート1 は、前編で、 「戦いが始まる直前」まで、でした。
 パート2は、 3月になるとか。

 で、 私が、明日、観ようと思うのは、

   『戦場のレクイエム』 です。
   http://requiem-movie.jp/

  日本軍撤退後の国共内戦での、中共側戦士の名誉回復の物語です。

 > 私は、中国映画には、これまで、多くの勇気をもらってきました。

  もちろん、政治的テーマも込められているのですが、
  時代が強いる、どうしようもない運命の中で、生身の一個人が、
  自分自身の逃れられない立場をどう受け止め、何を誇りに、

  自分の人生を生きようとしているか、
  内面の心理を、正面から、描いていくからです。

  アメリカ・ハリウッドのドンチャカ映画や、日本のオバカ映画、あるいは、
  お涙頂戴映画では、出せない真剣さ・リアリティー があります。

 > 中国は、自然も運命も、過酷です。
   そして、ときに、とんでもない、大悪人や大英雄が出ます。
 
  一方、今の西側、特にアメリカ発の情報は、完全に、「マトリックス」です。

  その「マトリックス」の上で、経済発展したのが、戦後の日本です。

  しかし、今、「マトリックス」が、完全に、壊れだしました。
  必死に補おうとしても、すぐに綻んで、壊れていきます。 

  そして、すべてに、真実が出てきます。

2)  今朝のヨミウリ系のテレビで、
   この「100年に一度」の経済困難をどうするか、

   識者(?)たちが出て、いろいろいっていましたが、
   失業対策に「農業」を、取り上げていました。

   まあ、それでいいのですが、

   一番肝心なことに、 気づいていません。

   「生きること」 と 「カネをとること」 とは、同じではない ということです。

   今の事態は、「工業化」を中心にした「近代化」が、行き詰っているのです。

   これまで通りの、「雇用」という概念では、 解決できない事態です。

   江戸時代の農民や町人に、「雇用」は、ありません。
   武士という、公務員のような人間はいましたが。

   自分の生活を、建てる(作る)のに、
   どこかに勤めて、給料を得て、そのカネで、食べていく。

   こうした考えでいるかぎり、 勤め先がなければ、 即刻 死 となります。

 > そこで、 私が、今、一番考えていること。

   ヒトは、誰かのために、働くときには、 カネを求めますが、

   自分のお気に入りの空間や人間関係を、 作るときには、
   進んで、汗をかき、必要なものに、おカネを出します。

   モット簡単に言うと、
   自分の世界を作るためなら、 カネを出してでも、それをやり遂げる。

   人間によって、好みも違いもありましょうが、
   この <自分自身の世界を作る> という、ことと、

   国や地域の繁栄を、如何に 結びつけるか、

   これが、今後の、 社会発展のキーポイントです。


3) 日本の古代史を、書いていて面白いもの。

    突厥 です。

   これは、 < 唐突 > という言葉の語源の一部です。

    

   突厥という国は、どこにあったのでしょうか?

   6世紀(500年代)には、

   蒙古高原東端のチチハル付近から、カスピ海北岸まで、広がっていました。

   民族的には、トルコ人。 別名、鉄勒。 

   4世紀までは、ユーラシア各地に散らばっていた製鉄奴隷でしたが、

   フン族の移動に刺激されたのか、連携を取り合って独自言語をつくり、

   これが民族意識となり、5世紀に入り、西域から蒙古高原に集まりだし、
   国家を形成しだしました。

   さて、そのときの、中心はどこか?

   実は、すぐに東西に分かれてしまいます。

    東突厥 は、今のウランバートルのすぐ西。

   では、 

    西突厥は? 

    ここから、私が敬慕するタルドウ(厩戸皇子)が出ます。

    その場所は、 今の キルギス共和国 のあるところ です。

    天山山脈の西側で、  イシク・クル湖 があります。
   
   
 > そこには、今でも伝承が残っています。

   「魚の好きな人間は日本へ行き、 肉の好きな人間は、ここに残った。
 
    自分達は、 日本人と兄弟である」 

    と。

   唐の初期〈629年)、あの玄奘三蔵が、長安を発って西に向かった時、
   わざわざ、いや、 どんなこともしても行くと決意して、立ち寄ったのが、
   この西突厥の本拠地、素葉城(スイアーブ)です。

   玄奘は、天山山脈の東端にある高昌国(今のトルファンン付近)に着くと、
   その地の王様から、自分の師になってくれ、と丁重に頼まれたのですが、
   その求めに対し、3日間絶食してまで拒否して、この地に向かったのです。

   玄奘は、一体、何を求めたのでしょうか?
   
   そして、玄奘がこの突厥の都城を経て、インドに辿りつき、
   大量のお経を持ち帰ったのが、 645年。 

   玄奘の帰国後に、日本で、入鹿が殺されます。

   なにか、関係があるのでしょうか?

   また、李世民は、この突厥、中でも西突厥を、どう考えていたのでしょう?

   謎です。

   今、 想像が膨らんでいます。


   

Posted by Arai at 2009年01月31日 18:02
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