長久手の光来荘は、不思議なところです。2005年の愛知万博(愛・地球博)の会場のすぐ近くにありますが、付近は、どこにでもある地方の風景で、周辺には、美観の面で芸術性を感じるような美しい環境があるわけではありません。政治的には、トヨタのお膝元です。
私が進める、「きれい気持ちいおいしい」と言う条件と、周辺の美観がマッチしているところなら、長野県の斑尾高原農場の「サンクゼール」や、福岡の大平村の「森の風」がある。
光来荘の何が優れているかといったら、この何の変哲もないところに立てられた、3階建てのログハウスに集まる人間が、いつも、一定の心地よい周波数を持っていることだ。
これは、オーナーから、ここの施設の管理者、支援者みんなが、本物の健康や癒しに関する情報を、曇りのない目で見つけ、それを、この空間で、情報共有しようとしているところにあります。
東名名古屋インターから10分。地下水をくみ上げ、クラスターを掛け、温泉と同じ効用にし、さらに、無痛整体や波動測定などがある。有機栽培の自然食もおいしい。
なにより、くつろげるのがいい。
私自身の講演は、2次会が長引き、いつもどおり深夜になってしまった。
人間が、三つの宇宙をつないで、自分の世界を作ることの重要性を話しました。
マクロコスモス、ミコロコスモス(人体)、そしてマインドコスモス(心や精神状態)が、響きあっているとき、本物の感動が全身を覆います。しかも、そこに自分の想像性が加われば、最高
です。
東大寺や円通寺の秘仏に、「無空絹索観音菩薩」 がありますが、これは、天皇自らが祈った仏像です。ここでいう、無空絹索とは、この世のあらゆる存在のすべてと自分が繋がっている感覚をいいます。観音は、見て分かるとおり、命の音(「響き」)を見つめるものです。
地球上の生命の中で、人間だけが想像と創造ができます。
自分がおかれた環境で、自分を取り囲むすぐ周囲の命やモノと響き会える関係をどのように、現実に作るか、かつてこの列島にいたスメラミコトは、いつもそこに心を砕いていたのではないでしょうか。 まさに、3つのコスモスの調和でした。
京都の秋も、今が最後です。12月に入ると、忘年会とおせちのシーズンになって行きます。
さて、昨晩は、あるご婦人方とともに、暖かいおでんをいただきました。
そこで、話が弾みまして、皆さんもう、物はいらないとの言葉になりました。
物がないときには、まず、物を獲得しようと必死になり、貧困にあえいでいるときには時には争いや、だまし合いを演じるものですが、身の回りに家電製品がそろい、箪笥の中に衣服がいっぱいになってくると、もう物はいらない。どうしても必要なものは、100ショップですますと。当然、何かを得ようとして必死になっているわけでもなく、逆に、ココロに空白が生まれてくる。
では何が、欲しいかといったら、ココロの満足。これに尽きると。
節約したお金も、この心の満足に響くと、奮発しちゃうというのです。
昔のなぞなぞに、「日本人にもっとも足りないものは、ビタミン何?」とあり、さて正解は・・・、
実は、I(あい)だって。 ・・・これは、ビタミン愛のこと。
うん、たしかに24時間戦えますか、と、バブル後に狂ったように動き回っていたとき、日本には愛は、少なかったですね。マザーテレサが、バングラやインドにはに肉体の飢えがあるが、日本には、こころの飢えがある、といったことがありました。
さて、ココロの満足。これ簡単なようで曲者です。
状況によっていつも違うものを求めるのがココロですから。 でも、それを満足させることができれば、対価も得られるわけで、 ここには、無限の需要がある。
物=ハードは有限。 でもココロ=ソフトは無限。 ならば、ここに未来の豊かさがある。
そこで、ご婦人方が、一致して、「それならば、行くわ」といった世界が、
「きれい、気持ちいい、そして、美味しい」世界。私はこれを、K2Oと呼んでいます。
私が見つけたK20を本欄で紹介しましょう。
そうそう、明日は、そのうちのひとつ、長久手の光来荘で、講演でした。 ではまた。
5日に立ち上げたものの、いろいろありまして、以後の日記が続きませんでした。ごめんなさい。 しかし、9日の選挙、どこが勝ったか、といったら公明党。あとは全部、初期の目標を達成できなかったのだから、負けたことになる。
自衛隊のイラク派兵。年金。地方分権。これ、今後も国会は迷走します。だから、瞑想してこの混乱の先にあるものを考えましょう。 期待できるものとできないもの、まったく根源的に不可能なこと、あるいは、一定段階までなら、何とかなるもの。こうしたものをきちんと分けて考えましょう。
「ワシントンの陰謀」のBBSに書いたことがありますが、21世紀に入り、日本の中央集権、その精神性の基盤となっていた「お上意識」=律令理性、さらに、その上に鎮座していた、征夷大将軍のアメリカが、いよいよもたなくなっています。
当然、これまで人間社会を構成してきた思想的な枠組みが、根底から揺らぎ、崩壊が始まっています。 自分自身の発想の出発点まで、きちんと自覚検証しておかないと、 目先に突きつけられた課題は突破できないでしょう。
中国でなら、易姓革命で何回も経験したけど、日本では、大和朝廷成立以来、初めての事が始まっていると感じられます。
私の経歴を簡単に紹介させていただきます。
長野県中野市で昭和32年(1957年)にリンゴ問屋の息子として生まれました。
大学を出てから世の中の現実と構造を知りたい思い、商社に入りましたが、88年秋、プラザ合意に始まったバブル経済が過熱していく中、昭和天皇が倒れ、「金儲けどころじゃない、日本がおかしくなる」と、世直しを決意して退社。
92年夏の参議院選挙に出馬し政策転換とバブル処理を訴えましたが、落選。
現実に、事業で実績がないと発言力が生まれないと思い、中国でコンサルタントと通信メディアの事業に挑戦しました。
98年から、「世紀末の大転換」を確信し、著作と講演を進めてきました。社会情勢・国際経済・日本文化・歴史背景を独自に研究し、勉強会(新桃太郎・紫玉庵・皆神塾)を各地で展開。
「京の風」は、日本文化の中心の京都から、新時代の人間社会の生き方とあり方を提案する、素敵な仲間たちの集まりです。
考えて見れば、これは自分自身をさらけ出すもの。顔も素性も知らない遠くの人間に、新井の人間像を見てもらうことと、既に知り合った友人に、現状を教える道具。以前は、自分が知っている情報や、自分の文章を、有料で配信することを考えましたが、それは止めました。
私自身は力を抜いて書き、それでいて、誰かに愉しんでもらえればそれでいい、そんな感じです。西暦2000年を境に、人類社会が大きな転換をしているというのが、私の分析です。そして、それ以後の人類文明の方向性をきちんと掴んでおかないと、この現実の三次元で、気持ちよく豊かな生活は得られない、というのが、私の確信。
この点もゆっくり、書いていきます。よろしく。
皆さん、こんにちは、初めて自分のHPにてご挨拶します。これまでネット上では他の皆さんのHPに割り込んで登場してきましたが、今後は、出来る限り毎日、私の考えを書きたいと思っています。いろいろと質問や意見をお寄せくだされば、その内容にも答えたいと思います。
早速ですが、今回の衆議院選挙です。マニフェスト選挙と言われていますが、このマニフェスト、実は、政党の施策を量り、それを投票に反映させ、有権者が立法過程に参加して行く手法で、それは極めて大切な「道具」です。正確に言うと、投票するときの有権者の意識と、実際に行政の舞台で施行される政策の距離を埋める時の、物差しです。
これまでの選挙で国民は、自分が持っているこの「道具」にどんな意味があるか、わかりませんでした。「政治家とは公約を守らない人」で済ませていたのですから。そして自分が思い描く未来に対し、この「道具」が、どのような効果があるのか、きちんと意識してきませんでした。主権在民と言葉では教えられながらも、その実態は、この国の統治に関する当事者意識を、国民に全く教えてこなかったのではないかということです。
では、誰が統治者意識をもっていたか。
どうも、三段階ありそうです。まず、なんと言っても、明治維新を成し遂げ、近代日本を作った家族とその家系。この人たちは、間違いなく統治者との意識をもっていました。次に、国家が、西欧の学問を基準に使って選抜した、エリート官僚です。そして、最後が、いろいろな手段を使いながらもともかくも事業に成功し、会社経営者として多くの従業員を抱え込んだ人たちです。この人間だけが、統治の当事者を意識してきました。
選挙の投票に「寝ててくれればいい」と、森クンはかつて総理大臣の時に本音を吐きました。官僚たちが作った経済政策と同様に政治の枠組みについても、いつも自分たちに都合のいい結果の予定調和を考えていた、一握りの集団がこの国に常に存在していたのです。しかし、小泉になって、構造改革を叫ばせているのは、その一部の人間にしても、もう、予定調和が出来なくなった、という現実があることをしめしています。 日本の戦後の民主主義は、日本人が権力者との闘争の末に掴み取ったものではありません。花束のように与えられたもので、それは最初はいい香りがしていましたが、すでに生気が抜け、ドライフラワーになっています。
民主主義が日本社会に本当に息づいているかって聞かれれば、まだまだです。根がなければ、水分も養分も吸えないし、子孫も残せない。自分の未来を自分で描き、その実現に行政という公権力をいかに使うか、この視点を、誰もが持つこと、それこそが本当の民主主義です。そこで大切なのは、自分がしっかりと、大地に、根を下ろしているか、自分が、国家や権力に関係なく、富を生み出しているかということですが、この点の意識はありませんでした。
一方、統治者を自認する人たちは、有権者にどんなサービスを提供するか、という視点でしか、この変化を、見ることが出来ません。つまり、有権者はお客さんだというのです。とんでもない。これでは一般の有権者は、国家という機関のオーナー(主権者=株主)から、離れてしまいます。
今回の選挙によって、どんな結果になるか、どんな内閣が生まれるのか、不明です。しかし、一つだけはっきりしたことは、国民に、統治者意識が生まれだす、きっかけになっているということです。それはより強く、正確な、批評能力となります。私個人としては、「偉そうなこといいやがって。おれがやったほうがましだ。おれたちに任せろ」といってくれる人が、ドンドン現れ、その数が増えることが見えてきました。この点だけが嬉しいです。
でも、本当に、ではどうやるのか。この点については、今後、ゆっくり見ていきましょう。
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