2003年の大晦日ですね。
今夜、NHKは恒例の紅白歌合戦ですが、民放は格闘技三昧ですね。
昨日、酔っていて、書き込みがだいぶ雑になってしまいました。 ゴメンナサイ。
スサノウについては、元旦にまた書きます。 ちょっと待っててね。
あと、現在の八坂神社は、斎明天皇の時にできたもので、これは、大化の改新(645)の後です。 もう、蘇我氏勢力が一掃されてから後でした。 ちょうど同じ時期に、長野善光寺に、聖徳太子の妻のトジコノ郎女が、大本願を建てています。
斎明天皇は、現在の飛鳥寺のすぐ横に、仏教と道教がミックスした、離宮を建てていたことが、2000年に「亀石」が発見されて、話題になりました。
八坂神社ができる前には、京都には、現在の上賀茂、下鴨の両神社がありましたが、その加茂一族も、もともとは、明日香村にある葛城山付近が、本拠地でした。
大和朝廷以前を考えるとき、徐福・卑弥呼・応神は、文献的にも確かな足跡もあり、追跡も可能ですが、それ以外の人物や天皇の物語については、記紀だけだと、わけが分からなくなります。
本質的なストーリーで、複雑骨折と寄木集めをしている上に、さらに芳しいデコレーションが、壬申の乱後の、天武による編纂時になされ、さらに、明治の廃仏毀釈前後に、多くの解釈(注釈)が、なされてきたからです。
しかも、私たちが注意しなければならないのは、江戸時代に、二つのイデオロギー変換が起きていることです。
ひとつは、
どんなに武力で勝っても、「徳川よりも、天皇家が上」。 これは水戸学になります。
日本では、戦争に強いものより、和歌に優れたもののほうが、重用されてきました。
そして、もうひとつが、
中国(戦前は支那とよばれ、江戸初期は明国でした)に対する劣等意識の払拭です。
これは、生類憐れみの令で、有名な第5代綱吉のときでした。 「中朝事実」を著して、隣の中国(当時の清)よりも、この日本国のほうが由緒正しい国、世界の中心だと、日本版中華思想を作ったのが、山鹿素行でした。
素行が登場する前までは、日本の儒学者たちは、林羅山を初め、とにかく「文明国」の手本として、中国を憧れていました。 この状況が、ひっくり返った背景には、徳川5代将軍、綱吉の母の血の問題があります。
中華コンプレックスの克服には、明から清という、東アジアでの大激変があったのですが、
現在のアメリカに対する複雑なコンプレックスの克服には、世界中の大激変の本質を巧みに捉える、現代の山鹿素行が必要です。
そこでは、やはり、ウルム氷期からあとの、壮大な人類史が、日本人の私たちの手によって書かれねばならないのです。
さてさて、昨日の書き込みですが、訂正があります。
地震があったのは、もちろん、イラクではなく、イランでした。
アメリカのブッシュ政権は、今、このイランに対し、もはや、アフガン戦争直後のような「悪の枢軸」の「扱いはできません。 イラクで攻撃を始めた理由の「ウソ」を、払拭するために、善人の「ポーズ」をとり続けなければならないでしょう。 ここでは援助の問題です。
私は、1991年に、「国際開発ジャーナル」という、経済協力の専門誌に投稿したことがあります。 援助を考えるにあたって、3つの原則があると。
(というのは、今でも基本は変わりませんが、日本の援助方針は、現地「政府」からの要請に基づく要請主義ですが、 これが、いつ日本からの主体的な援助姿勢に変わるのか、また、その原則は何かを、 商社マン時代にずっと考えていたからでした。)
・まず、 求められなくても率先してやる援助。
・次に、求められたら、現地の政府や主管する担当者ときちんと計画を立てて行う援助。
・そして、求められても、やってはいけない援助。
私は、今から15年以上も前ですが、住友商事に在籍していたとき、退社前までは、業務部の経済協力チームというところにいました。
その当時から、日本のODAは年額1兆円を超え、使い方についていろいろ議論がありました。
また、私が退社した理由のひとつには、本来なら純粋な良心の現れである援助に、日本ではアメリカが色濃く影響していることがありました。
1980年代は、日本の輸出が爆発的に増大し、反日感情も出てきました。 よって、日本への理解者を増やす必要もうまれ、海外で、日本語教育をしている機関(公立・私的に設・そのた)に、積極的に日本は、国家としてこれを支援し、日本のファンや、今後進出が予定される人材供給の裾野を広げるべきでした。
しかし、これはことごとく、米英の圧力で、「自主規制」状態となりました。 あくまでも大学なのに対する、学術に限られ、広範な日本語の普及は、国家戦略になりませんでした。
それが、1990年代後半から、アニメ(ドラモンや「千と千尋」、など)とテレビゲームが先導したかたちで、日本語ブームが各地で起きています。 そして、ついてに、アメリカ人に対する洗脳機関ともいうべき、ハリウッドまでが、「ザ・ラストサムライ」を作る時代となりました。
世界では、今、奇妙な形で、日本贔屓が増殖中です。
さて、ここではホンモノの日本を、きちんと発信しましょう。
本当の「やまとこころ」です。 戦前の、自分たちだけが特別とする、国家神道のそれではない、自然と調和した、お互いを認め合って、対立しない生き方です。
その時、日本語のすばらしさを再認識しましょう。
これは、東京医科歯科大学の角田忠信博士が、見つけましたが、人種や思想に関係なく、
日本語を幼少期(6-13歳)にきちんと身に着けると、自然音まで、意味のあるもの、こころのあるものとして左脳で捕らえるようになるという事実があります。
地球的規模の、環境・貧困・テロの三大問題は、いずれも、人間同士のつながりが弱まり、消失し、完全に自分と他者とが分離しているとかんがるところから起きてきます。
これを、修復するには、日本語と日本文化が、もっとも効果的です。
それだからこそ、多くの異質が溶け合い、ひとつになった、日本文化の中心の京都が大切なのです。 京都の再発見、京都の再生が、人類史的意義を持つ所以です。
皆さんこんばんは。
年の瀬も30日。今日も昼間には、四条河原町にいました。
うちのチビちゃんが、いつも女の子に間違われます。
今日は、ジャズシンガーの上田マキさんにお手伝いただきました。
彼女の実力知る人間はいまだに京都には少ないです。埋もれている宝の一人です。
ニューヨークでも、また、夏にジャズフェスティバルの開かれるスイスのモントルーでも、もし参加すれば、賞賛を浴びるでしょう。
「京の風」は、本気です。
これまで、自己宣伝を嫌い、既存の「権威」とは離れて純粋に、芸術やビジネスに真剣だった人が多くいます。 私、新井との出会いも、ホンモノを求め合う中で、始まったものばかりです。
20世紀のとき、21世紀から、全く新しい人類社会が始まるとよく話されました。
たんなる噂や予言や、哲学者たちの未来予測では指摘された社会は、一体どうやって、私たちの現前に出てくるのでしょう。
実はそうやって探すこと自体が、20世紀のままの証拠なのです。
探すのでなく、自ら創って行くところに、21世紀が始まります。
「京の風」は、本気です。
まず、こころの中に、どんな世界を持っているか、それがすべてを決めます。
マスコミが伝える、悲劇や恐怖で出不安をあおる報道に対しても、それを見て自分が次の瞬間にどう、こころをもつかによって、その人の人生が変わってきます。
周りが真っ暗闇ならば、自分が光ればいいじゃないか。
そうすれば、自分も迷わないし、周囲の人や生物にも、福音になる。
宇宙は、動態均衡です。
悪い面があるということは、必ず、新しい芽、それも多くに光と希望と自身を、内側から呼び起こす、力が生まれているのです。
自分がその、新たらしい力の体現者になるか、それとも、そうしたものはないと勝手に決めつけ、自分で情報遮断に入っていくのか。
「京の風」は、モチロン前者です。
この集まりの前身は皆神塾といって、人間とは、根源神の光の噴出し口そのものであり、
この三次元の地上で、想像と創造ができる唯一の生命体との自覚を持っていることが共通認識です。
すべては自分が創りだしている、との責任感ある態度で、現実を生きることを塾生に求めてきました。
さて、スサノウの話もしなければならないのですが、昨日来たお客さんことを、ここでは触れておきます。
スサノウの話は、あと2時間くらいして、酔いがさめたら再開します。
そのお客さんは、弁護士さんとYWCAの方でした。 個人で集まった市民ネットといういう方あちで、 私に2つの質問をしました。
1.自衛隊のイラク派兵に賛成か。
2.1983年に出された、京都の平和都市宣言を、どう思うか。
自衛隊のイラク派兵、モチロン反対です。復興支援なら、工事の専門家たちが行けばいい。
しかし、その復興事業うに警護が必要なら、その専門家を派遣すればいい。
どうしても、自衛隊を、というなら、軍服を脱いでいけ。
それよりも、オナジ自衛官を使いながらも、総務庁管轄で全く別の組織を作って、
そこの人間根としていけばいい。 これが正直な気持ちです。
イラクの復興には、何もしないわけにはいきません。
また、今回、地震がおきたイラクとも違います。
一日も早く、現地国民による、自治政府を造らなければなりません。
この問題では、これまでもいいましたが、小泉は、ブッシュに「間違っていたじゃないか」、と叱り、その上で、「でも、困窮している被災民を自分は助ける」と、 アメリカとは違うという点を明確にするしかない。 奥大使が、殺されたからこそ、ますます、この違いをはっきり言うべきなのです。
次の問題は、あまりに当然。 京都を独立国のようにしましょう。 京都に思いを寄せる、世界中の人から資金を集め、財政を確定しますが、京都が、独自で外交政策を実施していきましょう。
もちろん、平和憲法をかざして。
この憲法、特に9条のできた背景については、又書きます。
マッカサーが作らせたのではなく、 マッカーサーに作らせた日本人がいるのです。
司馬遼太郎さんが、「昭和のことを書いたら僕は死んじゃうよ」と、言って何も書かずに死にましたが、そのことが、はっきりしないと、何も見えません。
こっれもいずれ書きます。
少し酔いがひどくなりました。 一旦この辺にします。
さて、今日も昼の正午に、四条河原町で、
「中央に頼らない、本当の自治の手本を、京都から作り出そう」と呼びかけ、
そのあと、少し、八坂神社に行ってきました。
正月の中旬、ここでは蛭子社のお祭り「えべっさん」があります。
また、八坂神社の正門をくぐると、すぐ前に、疫神社があります。これは、蘇民将来を祭ったものです。 関西には、「蘇民将来の子孫」とするお札玄関に張る家は今でも多いです。
祇園祭は、平安時代に、疫病退散を願って始まったとされますが、その起源は、いやいやどうして、平安時代よりももっと前に、それも世界史的スケールで遡ります。
もちろん、この八坂神社の中には、摂社として、アマテラスを導いた、猿太彦を祭った白髭神社とアメノウズメを祭った大田神社があります。
真弓宮司の解説に拠れば、この八坂神社の祭神は、現在では、正式に、スサノウノミコト、 クシイナダヒメ、そして八柱の御子神となっていますが、これは明治維新によって神仏分離令が出された後の、呼び名がこうなったもので、それ以前は、違っていたといいます。
平安時代の神仏習合思想によってか、中座に牛頭天王、 東座に沙喝羅(さがら)竜王、西座にハリサイニョ釆女(竜王の第三女)が祭られていたとのことです。
今でも、祇園の神様を、牛頭天王としている方は多いですが、八坂神社の正式見解として、 スサノウ=牛頭天王と、考えてよいとしております。
この牛頭天王は、武塔天神とも、天道神ともいわれ、中国の辟邪神「天刑星(テンギョウセイ)」の属性を持っていたとされます。 これは道教、陰陽道に基づいた信仰であり、現世に疫病がはやるのは、疫神の仕業であり、その疫神退散には、疫病をも食べてしまう辟邪神が必要で、それは天の刑罰をつかさどる天刑星のエネルギーで動かされているといいます。
また、この牛頭天王の因縁について、平安時代に書かれた「イロハ字類抄・祇園」には、
「天竺の北方に国があり、その国は九相と呼ばれ、その園の中に牛頭天王が住んでいる。
又の名は武塔天神という。
父は、東王父。母は、西王母。 サガラ竜王の三女を妻にして、八王子を生んだ。
その妻は、ハリサイニョ釆女といい、歳徳神である」 と記されているそうです。
さて、これだけ分かっただけでも、ワクワクしてきます。
まず、 前回、書いたように、日本神話にある、スサノウ物語には、 年代的に違っている、いくつモノの渡来系の英雄が、反映されていることです。
インドの北にあるのは、もちろん、チベットで、東王父や西王母が住むのは、崑崙山かパミール高原、あるいは、天山山脈の天池とされてきました。
まず、こうした、陰陽五行や道教思想が日本列島に入ったのは、 仏教が百済からもたらされた、欽明天皇の時代(554年)です。定着したのが、推古や聖徳太子の時代。
日本の能には、謡の入門編にこの「西王母」があり、そこでは、漢の武帝の善政を精霊たちが褒め称えるシーンに、伝説の西王母が登場します。
三国志時代の魏志倭人伝に、卑弥呼が登場するのは有名ですが、それ以前の、中国の漢の時代の後漢書東夷倭人伝に、日本は登場します。
これは漢王室が治める、世界の中心=中華から見て、日本は東方にある、未開のクニ(東夷・南蛮・西戎・北狄の一部)として、捉えられていました。
ずっと、最果ての未開の国の扱いだったのに、この欽明から、推古・太子時代、そして、壬申の乱後の、不比等の時代になるにつれて、日本に、この前漢の武帝を褒め称えた西王母が入り込み、さらに、その息子の、牛頭天王が、スサノウとして、八坂神社に乗っかります。
さて、では、スサノウは、どこから来たのでしょう。
この中国の漢代の勢力が来る以前から、日本には、この人物の記憶があったと考えるのが、一番しっくり来ます。
漢代の前は、秦の始皇帝です。 現在でも、宮中の雅楽師たちは、始皇帝を祭っています。
中国に、実は、中華の概念ができたのは、この始皇帝のときでした。 そのとき、日本は、確かに、 東の果ての国でしたが、なぜ、そこに、始皇帝は、徐福を使わしたのか。
あるいは、その始皇帝よりも前の東周の後半、山東半島にいた孔子は、「もし、中国に徳が廃れたら、自分は東海に浮かばん」と、 暗に日本への憧れを打ち明けています。
この当時の日本は、どうだったのでしょう。
ちなみに、この徐福と神武を一体だとする説がありますが、これは明らかに違います。
徐福の足跡と、神武東征の足取りは重なりません。 ただ、始皇帝の長男の胡蘇が、密かに日本に亡命し、先に来ていた徐福と呼応し、日本列島に、地盤を築いた可能性もあります。
始皇帝は、極端な法治によって、国内の末端が混乱しているのに気づき、もし、中国大陸で、永遠に続く王朝ができないとわかったときには、東の海の向こうにある島国に、それを打ちたてようと考え、徐福を派遣した。そのとき、官僚の説得には、絹のプランテーションをするために、そして、一般人には、不老不死の薬(=これが実は、王朝を建てること)を求めるとして、300人を送ったのかもしれません。
日本建国の神話に、天孫族のニニギノミコト(天孫族)と、此花咲哉姫(富士山に住む)の結婚がありますが、これは、漢によって朝鮮半島に払われた、秦の末裔の公孫氏と、卑弥呼の政略結婚を意味し、その拠点が、宮崎だったと見る見方が、一番、すんなりします。
さて、こうした、中国大陸の物語と、スサノウとの関連性を考えなければなりません。
始皇帝が現れる前の中国が、現在の共産党政府が言うように、中国大陸だけで完結していたのでは、けっしてありえません。 殷の時代は、実は、海路でフェニキア人と交流がありましたし、そのあとの周の時代には、ユーラシアは、多くの騎馬民族が行き来しています。
そのとき、この西王母と東王父は、いつの時代、どこにいたのでしょう。 また、その息子の牛頭天王は、どこにいたのでしょう。
八坂神社に蛭子(エビス=ヒルコ)が祭ってあるのは、これは、じつは、葦舟に流された、モーゼの記憶が反映していると考えられますが、それは、いつから始まったのか。
一旦は、 あとから蛭子と呼ばれ、あるいは、中国の漢王族に、東夷と呼ばれた人たちが、 この日本に、道教が入り込む以前に連合国家を持っていた記憶があるのではないか。 そのときでも、スサノウの名前は、 厳然として日本に存在していたのではないか。
やはり、5000年以上前に、この日本列島に、 シュメール方面から、大王が来て、かき混ぜた記憶があり、それを、その後次次と訪れる渡来人も、「それを無視できなかったのではなかったか、と考えると、いろいろ見てきます。
この続きは、又明日。
皆さんこんにちは。 さて、200年の暮れも、押し詰まってしまいました。
今年我が家は、特にお正月の用意もせず、普段どおりです。
午前中は、いつもNHK教育番組を流しているのです(息子は1才5ヶ月です)が、
いろいろある番組の中で、昨日のエイゴリアンという番組が、特に面白く、ためになりました。
今回は、日本の建国神話のスサノウの物語が、英語で話されていました。
そうです。京都で最大のお祭り、祇園祭の御祭神のスサノウです。 ちなみに、八坂神社のすぐ南には、安井金毘羅があり、ここにはスサノウの妻の、クシナダ姫が祭られています。
金毘羅とは、クンビーラで、インドから来た航海の守り神ですが、これにクシナダ(櫛灘姫)が習合しています。 (これにも、古代インド経由で一体何が日本に入っているのか、重要な問題がありますが、これは又、別の機会に)
さて、スサノウ物語ですが、英語で聞くと、あらすじがさらにくっきりとします。
ただ、スサノウが、なぜ、高天原で暴れたのか、まずもって理由がはっきりしません。
彼は、初めから、暴れん坊として登場します。 なぜでしょう。 最後は、「最高の剣」を手にします。
実は、ここにこそ、日本の持つ(正確には日本列島を舞台に生きた人間たちが織り成したドラマの持つ)、人類史的意義が、隠されていると思われるのです。
彼は、馬の皮を剥いで投げ入れぎ、田んぼのあぜを埋め、ウンコをします。
そのとき、天皇家は、機織をしていました。
あまりの狼藉に、物語上で天皇だった、お姉さんのアマテラスが怒って隠れてしまい、世の中真っ暗です。
そのとき 知恵者の思イカネ(戸隠の中社)が登場します。
「太陽がいなくなって、悲しんでいるはずなのに、民草から笑いが聞こえるとは」と、
アマテラスが覗くようにすればよいと。
アメノウズメ(上賀茂の横にある太田神社)のトランス状態の乱舞。
少し岩屋が開いたら、その岩戸を タジカラノウ(戸隠の奥社)が扉飛ばし。 ETC.
そのあと、スサノウが追放され、大海原を治めることに。
そして、高天原に厄難が襲って、再び、戻ってきます。
日本に ヤマタノオロチ(首とシッポが8っ)が現れ、 姫を食べようとしていた。
そのクシナダ姫を救いにスサノウが登場。 姫はクシに変身して身を隠す。
スサノウは、用意した8つの酒樽で、ヤマタノオロチを酔わせて、これを退治する。
そして、体内から、「クサナギの剣」を取り出す。
この物語のストーリーを再度、追っているうちに、ひとつ思い浮かびました。
やはり、これはすごい。 日本とユーラシアのみならず、地球での人類誕生と、
新世界への入り口の物語ではないかと。
大きな、地上の人類と宇宙を巡る大ドラマに、
日本の大和朝廷の成立過程のストーリーが重なっているのでは ないかと。
少し長くなるので、ぼちぼちやりますが、
今、私の中には、宇宙考古学まで意識が伸びています。
「天」と「海」を、両方とも、なぜ、「アマ」と呼んだのか、というところです。
もしかしたら、はるか以前、それも、ウルム氷期が終わる13000年以前の記憶が、
日本に残っており、その時代に、地球人類は宇宙と交信していましたが、天変地異でほとんど崩壊したとき、日本のみが、交信機能が残っており、それを高天原と呼んだのではないかと。
そのことを、ユダヤ人は 「エデンの園」と呼んだのではと。
日本の阿蘇山が、その宇宙情報をキャッチする巨大なアンテナだと、
突き止めたグループがいます。(「神鏡と宇宙」を検索してください)
さて、ウルム氷期が終わった後、急速に温暖化して世界中で、大洪水が多発するのです が、日本だけは、被害が少なくてすみます。
つまり、アンテナ機能も残り、その当時の各部族の長(オサ)の中でも、もっとも純粋な方を、 スメラミコトと呼んでいた可能性があります。
ただ、もちろん、今から1万年から5千年くらい前ですから通貨もありませんし、
観念的な教えも、教条主義的な制度もそこになかったでしょう。
土地ごとに、掟があっただけでしょう。
まさにエデンの園です。 (アダムとイブは、イザナギとイザナミでしょう)
ここに、自分だけが何でもできるとする、思い上がった、武力に強いモノが入ります。
大体5千年前くらいかな。 シュメールからです。 スサノウとは、「スーサの王」。
この人物は、日本列島で当たり前に行われていた、情報交流を乱したことでしょう。
何せ、大洪水後の、生存競争で勝ち残った人間ですから。
そこで、この日本列島から追い出されることになるのですが、
これは、自発的に、日本列島にいたときに自分が体感したような、穏やかな環境を造りたいと言って出て行ったとも考えられます。
このとき注意すべきは、そのスサノウが暴れたとき、先にお姉さんのアマテラスがいて、田んぼを作り、機を織っていた、というのは、これは、あとから付け加えた話ではないのか、という点です。 稲作や機織が盛んになったのは、秦の始皇帝の後です。
(徐福は、絹のプランテーションのために、日本に3000人の若者を連れてきました。
大秦帝国 とは、遠くローマまで指します。 当時の絹の上得意だったでしょう。)
このときにも、海外から次々と多くの渡来人が来て、畿内に定着し、それ以前にいた部族の反発を招きますが、この反発を、ここでは一緒の物語にしているのでしょう。
また、アマテラスは本当は男性神で、これを女性にしたのは、持統天皇の権威をつけるためとの説があります。
ひとつの仮説があります。
世界中が、混乱したウルム氷期の後、日本に残っているアンテナで情報を取ったり、あるいは、世界中のアンテナ(たとえばストーンヘンジ)を直しに、この日本列島から、人間が移動したことがあったかもしれません。
陸続きでしたら、春夏秋の期間で1万キロぐらいの移動は、普通でしょう。
現在でも、中国の四川省から広東省の深川まで、16歳の少女が、2000キロを徒歩で、
職探しに来ているくらいですから。
高天原と、スサノウの物語。まだまだ長いので、今日は、この辺までにします。
そのうち、桃太郎物語も出てきますしね。 大和朝廷のができる以前の、人類の記録です。
おやすみなさい。
こんばんは。
いつも何とか12時前までにアップしようとしているのですが、 今日も零時を回り、
27日になってしまいます。
また読者から、「お前のものは長い、もっと短くしろ」と、よく指摘されます。
ハイ、 心がけます。
冬至が過ぎて、23日の「天皇誕生日」から、うれしいことが二つありました。
その一・ 大和朝廷(天皇・徳川) と 琉球
天皇が70歳になった記念のインタビューで、沖縄について言及され、「自分には母方の島津の血が流れているから、沖縄のことは特に理解を深めようと努めてきた」と、お答えになりました。 母の香淳皇后は、久邇宮良子(ながこ)さまで、実は島津家の家系です。
この島津が、南北朝以前から続いている家系であることは、承知のとおり。 ノーベル賞を獲った田中耕一さんは、島津製作所の社員でした。受賞の発表のときに、背後に大きな「丸に十」の島津の旗がかけてあったのを思い出します。
年末、この島津が出てくる面白いテレビドラマがありました。12月8日だったかな。
1000回になる水戸黄門の特別編でした。
な、なんと、ご老公が、鹿児島まで漫遊され、そこで、
君主を牢に押し込めている家老に捕まってしまうという、普通ではないストーリーでした。
この家老は、島津に伝わる鉄砲を密かに琉球に輸出し、藩の財政回復を名目に私服を肥やそうと企んでいたのでした。
つまり、 徳川・島津・琉球が、ひとつのドラマになって出てきたのです。
これは、臭います。そして、匂います。
実在の黄門様は、箱根の関所を西に上がったことはなく、実は、ほとんど国許の水戸と
江戸屋敷の往復で生涯を閉じました。
ただ、大切なのは、このご老公が日本史を編纂させたことで、そのとき明国から亡命した朱舜水を先生に、ひとつのイデオロギーができました。
日本では、幕府の殿様の決定と、天皇の決定が食い違うときには、天皇に従うべし、という、水戸学を生み出したのです。
これが幕末の尊皇攘夷から倒幕の思想的エネルギーの源泉となりました。
一方、この「水戸黄門」という番組が30年以上も、毎週月曜日の夜8時に放映されることで誰もが、「ご老公」や「助さん、角さん」になりたがるようになりました。
これは、「お上」に対する服従の意識が、明るく刷り込まれた結果です。
今でも、一生に一度は、京都の太秦の映画村で、自分が演じてみたいという方は多いでしょう。 (そうだ、これは京都の活性化策になる)
私は、この番組を見ていて、いつも不思議に思っていました。
何で、悪役や一般庶民まで、葵の紋どころが出されて、
「ひかえー、ひかえー、この紋所が目に入らぬのか」といわれると、 誰もが一斉に、
「へっへぇー」となってしまうのか、と。
なかには、「なんだ、それ?俺わかんね。何でみんな頭下げるんだよ」というへそ曲がりや
「あ、これ知っている。これが出てくると、いつも、年貢が高くなるんだ」と、叫ぶ農民が
いてもいいはずなのに、 なんでも「へへー」です。
これこそ戦後日本人が、主体性をなくして「長いものに巻かれろ」になった洗脳番組だ、と
講演会で言っていたら、そのうち、茨城県の人が来なくなりました。 これ、実話です。
また、琉球との関連でいうと、思い出すのが、2000年の2000円紙幣の発行です。
その図柄は、 琉球王朝が明からの使節を迎えた守礼門と、紫式部絵巻でした。
この二つをつなぐものが、宇治の万福寺だと気づきました。
万福寺は、布袋様の格好をした弥勒菩薩が有名で、明の皇帝一族の血を引く、隠元さんが建てたお寺です。私は、 そのこともあって、2000年に宇治に引っ越しました。
さらに指摘すると、この水戸黄門でもデカデカ出ていた「丸に十」の島津の家紋です。
これを見た戦国時代の南蛮人は大いに驚きました。 日本にも、クルスがあると。
そうです。在るのです。 それも、ローマにカトリックが成立する以前の、
キリストの教えを守っていた人たちが日本列島に来ていたのです。
また、この島津の本拠地は、薩摩隼人の地ですが、この隼人(ハヤト)は、
現在世界中で高級ホテルを経営する、ハイヤットのオーナー陣と、昔は同族でした。
どうも、日本がアジアとの一体化を進めるために、これまで軽視されてきたアジアとの交流の歴史に、関心を向けさせようと、誰かが仕向けているのかもしれません。
そうなると、幕末に流出した金塊の行方も、そのうち明らかになるのでしょうか?
楽しみです。
その二。 思わぬ応援団。
今日、事務所に、いきなり、10年前に、東京の勉強会で知り合ったという京都在住の知人から、電話があり、面談しました。 何でも、小生の出馬を知り、わざわざ選管まで行って電話番号を調べてきたと。
また、まったく見ず知らずの方から、京都を本当に変えていただきたいと、激励の電話をいただきました。 そして、「京都はタブーだらけだったけど、新井さんは、きちんと筋を通して欲しい」といわれるのです。
これまでタブーとされるものまで直視して、変革するには、 真実の日本史を知らないとできません。 日本史の暗黒面にこそ、実は未来の突破口があります。 日本社会の大転換には、これまでたどってきた人間の営みのすべてを抱え込んで、未来を創る姿勢が必要です。
そして、この歴史見直しは、 天皇陛下の「ゆかり発言」から始まっています。
明治天皇の歌、そして昭和天皇のお言葉と、陛下の発言は、いつの時代でも、本当に意味深長です。
来年の歌会始のお題は「幸」でした。
聖徳太子の憲法第3条は、「詔を受け賜わりては、まず慎め」とありました。
さあ、来年は、どんな歌が、披講されるのでしょうか。楽しみです。
皆さんこんにちは。
昨日の24日、クリスマスイブでしたが、この日、京都の選挙管理委員会による、市長選挙の説明会がありました。
出席したのは、 現職の(自民公明、さらに民主が相乗り)桝本派、そして共産党が支持する広原派、そして私たち「京の風」のメンバーの3陣営でした。
私たちが15日に出馬声明したあと、数日後、桝本派が事務所開きをし、このとき地元の京都新聞は、「三陣営になったが、実質は二派の争い」と、私たちにとっては大変失礼なコメントをつけていました。 しかし、今朝の朝刊は、きちんと取り上げていました。
確かに、小生は、京都ではまだまだ知名度が低いです。 現在の活動も本当に地味です。私を見つけ、私に出馬を一年も前に促してくれた京都の仲間とは、実はビデオやインターネットを介して知り合いました。
京都にかける思い、それも、現在の地球上で、京都の持つ意味合いについて 私たちは、日本中の誰よりも、深く強く詳細に、そしてなにより、純粋に理解していると自負しています。
ですから、今回の出馬は単なる、京都の組長の地位を得るためのものではありません。
日本に、本当の自立自律した「自治」が生まれるかどうか、に挑戦するものであり、しかも、そのとき、自分自身の「血」の中に眠る、「感動の火」が着火するかどうかです。
誰もが、自分で未来を思い描き、その未来が現実化していく毎日を、自分で作っていく、汗をかいていく、それを行政がサポートしていく。 皆の心が、いたるところで花咲くように輝いて、無理なく素敵な関係を出会った人と作っている、そんな暮らしぶりが日本で復活するかどうかです。
私自身について言えば、1988年秋のバブル経済の絶頂期にその行く末を案じ、世直しを決意して住友商事を退社し、しかも、湾岸戦争後のバブル崩壊の被害を最小限にとどめるべく、その処理を促そうと、92年夏に参議院選挙の舞台を利用して、国、経済界に、死に物狂いで警告・忠告をしてきた歴史があります。
そして、なにより、この世紀末は、人類にとって文明史的な大転換が進むと確信し、その実態を突き止めてきました。 それを、講演で訴え、自分の著作の中に書いてきました。
さらに、人間社会の本質の部分で通貨とは切っても切れない関係であること。そして、その通貨で表される資本は、自らを増やすところに流れる、本当に臆病な存在であり、今、この通貨が、日本では、ぜんぜん健全な未来ビジョンに向かっていないこと。
通貨は、21世紀の現代は低コストで熱心に働く労働力のいる未開発市場(途上国)に流れる一方、 実は、もうひとつの流れがあるのです。
それは、 個人の尊厳に直結する、人間の心の(ソフトの)世界に流れ込みます。
このとき、京都が鍵を握っているのです。
私は、日本列島に、「国家」が如何にして生まれ、さらに明治から「近代化」が如何に進展し、戦後は、どうやって軍国主義から経済発展至上主義に移っていったのか、その真実を追究してきました。 そこには、深層部分で日本人と天皇との大変、深い関係がありました。
戦後の世界経済は、世界通貨になったドルの行方と一体であり、国際情勢は常にここから新しい動きが出てきましたが、ここにも、深いところで、天皇(に象徴される日本の財産)と関係する部分がありました。
小泉が自衛隊の派遣を決め、イラクでフセインが捕まり、さらに、リビアのカダフィイが、査察受け入れOK宣言後、北朝鮮の金正日に国際社会の孤児(鬼っ子?)からの脱出を進めています。(日本にミサイル防衛システムの配備が決まれば、北朝鮮との交渉も再開です)
21世紀に入り、911の後、「貧困こテロの温床」、「日本の戦後発展に途上国は学べ」は、すでに国際社会で広く浸透しましたが、 安全保障面では、アメリカの軍事力で世界各国がひとつになったとしても、 未来に対する「こころ」の面ではどうなのでしょう。
一体、誰が、誰ならば、世界の不信感、不安感、焦燥感、猜疑心、恐怖心、を払拭できるのでしょう。
もちろん、本当に貧困で物がないときには、まず、だまし合い、奪い合いですが、私の言う、
「文明のスタンダード」が揃ったなら、人間は何を求めるのでしょう。
先進国、そして中国の中でも経済的に成功した人たちは、次に何を目指すのでしょう。
今、実は、人類は、先進国を中心に、全く新しい次元に突入しているのです。
「近代」を完全に超克し、人間は、あたらいい幸福感の中に生きる次元に入りつつあるのです。 そのとき、今のこころを見つめ、自分自身で掴むという意味で、 その中心は、東京ではなく、京都が その転換の中心点になっているのです。
単なる「予算の分捕りあい」や、これまでの「利権の解体」を言うのでしたら、私は、
京都の市長選挙には出ません。それではないのです。
日本の新生、それは、明治からの近代化とは逆方向になります。
明治以来、日本がアジアから離れ、しかも、「今」の「自分のこころ」からも離れました。
この21世紀の日本は、アジアとの一体化が進むのです。そのとき、日本はアジアに何を届けるのでしょう。
モノが溢れれば、モノはいらない。自分の心を満たしてくれる何かを、求めだしています。
自分のこころの隙間を埋めてくれる、ジワーと、ズシント、あるいはひたひたと、沁みて来る、何かを、日本人は求めだしているのです。
それが、京都に多くの人を来させますが、その実態について、明確な自覚が、行政にも、そして経済界にも、まだ形成されてないようです。
日本が、21世紀どう変わるのか。
もう何かを追いかけるのではなく、生きている今に、自分の存在を確認していきたいのです。人間は、自分ひとりでは、自分を確認できません。 誰かと出会い、誰かと繋がることで、誰かの思いや存在と響きあうことで、自分の存在を確認しているのです。
どたばた、時間に追われて生きる時代は、もう過ぎました。
「京の風」は、京都の本当のよさを取り戻すことの向こうに、人類社会の新次元を見つめています。 言葉で表すのが、とても難しいのですが、
まずそこに生きているだけで、お互いの、こころの輝きが感じあえる社会が、もう芽生えだしているのを私たちは感じています。
何とか22日中に書きたかったのですが、23日になってしまいました。
ということは、天皇誕生日です。 22日が冬至ですから、日が長くなりだす最初の一日となります。 実は、この冬至の日、本当はとても重要です。
北半球では太陽活動が弱くなるため、多くの生命が静まり返って、天空の情報が受けやすくなります。そこで、思い出すことがあります。 中国のことです。
中国の北京には、天壇があり、ここでは冬至の日に、新年の吉凶を占いました。
皇帝自らが、自らを宇宙と一体化した媒体となって、上帝の声を聞き、それを臣下や民衆に伝えたのです。
冬至の日は、空気が透明で、動植物のざわめきが少ないので、宇宙情報が最もよく受けられる。 これを是非、知っておいてください。これは地球上、北半球なら、どの民族でもおなじです。 クリスマスもその起源は、冬至祭にありました。
人間にとって、現実に、飢えに苦しんでいるときには、食料が必要ですが、普通の状態になれば、次に、どこに向かえばいいか、何をしたらいいか、いつ仕掛けたらいいか、といった、情報が一番必要になります。
そうした生きるための情報を、冬にアンテナを鋭くして、星の運行を見つめながら、自分に豊かさをもたらす「天の声」をダイレクトに、直感で得ていたのではないか、と考えられます。
もちろん、そのときの精神状態は、きわめて透明でなければなりませんが。 過去の柵や、前例踏襲が頭に残っていては、そうした天からの「送り物」は、いただけないでしょう。
さて、植田さんの「ワシントンの陰謀」でも少し指摘しましたが、 今、国は、
地方にこれまでのような補助金も、赤字の穴埋めもしないと、方向をはっきりさせました。
各国立大学に法人化させ、競わせているように、実は、自治体ごとに、運営を競わせ出したのです。
いかに、無駄を省き、経営資源を活用し、豊かさを得るか、これは実は、独立国になりなさいと促しているのです。 そこで問題は、これまでの財政の改革です。
業務内容も含めて、すべての見直しが必要で、新規事業に必要な資金は、国に頼らず、自らが、経営内容を開示しながら、金融市場から資金を債券などの形で集めろとも、言い出しているのです。
これは、面白いです。「京の風」にとっては追い風です。
しかし、いかんせん、国がはっきりと、そう変わったと認識している人が何人いるでしょう。
京都は、表面は政治については物言わぬ、そして他人の悪口を絶対に言わぬ人が80%ですが、常に、権力の風向きを呼んできた人が多かったのも事実です。 これまでの既得権にとらわれている人も、まだまだ多いですが、 本当の自立・自律とは何なのか、きちんと考えている方も必ずいるはずです。 きっと出会えると信じています。
皆さんこんにちは。
京都にいると、市外の友人が訪ねて来て、時々、夜10時ごろに呼び出されたりもします。
昨日は、一日中は雪で、冬らしい風情があったのですが、ちょっとこたえました。
雪は、空気中の塵や埃をきっかけにして結晶しますから、雪の降った後は、空気が浄化されます。そして、地上を銀世界に覆い、どんな醜いものにも、美しい形状のみを残します。
私は、長野県の北部の生まれの所為もあり、雪が好きです。
これがないと、冬を感じません。 また、春に再生するエネルギーも実感できません。
「京都では、雪見酒も年に数回しか味わえなくなった」 とは、 老舗のボンたちの言葉です。
それゆえに、昨日は、本当に、貴重な一日でもありました。
今、このマンションの前には駅伝の高校生生たちが、中継の準備を始めています。
観光客に少なくなったこの時期に、駅伝を呼ぶのは、ひとつの知恵でもあります。
さて、 日本文化のことです。 京都には、多くの神社と、お寺があります。
現代では、普通の地域住民との関係もどんどん薄れてしまいました。
日本文化のことを、「怨霊思想」と言い切っていたのが、これまでの権威者たちでした。
代表は、梅原猛、小室直哉といった大先生でした。
しかし、私にはどうしても納得いきませんでした。
権力は、常にチャンピオンを一人に絞ります。日本の場合は、当然、天皇の位を争い、 その権威の下に、この日本列島にある土地財産技術など経営資源の分配を目指します。
このとき、どうしても、負けてまう勢力があられます。
多くの場合、馬鹿正直で策略に弱い人たちです。しかし、純粋ですから、シンパも結構いたでしょう。勝ち組にすれば、彼らの不満を如何に鎮めるか、が課題となります。
うまく処理できないと、確かに、反乱を引き起こすことになります。 それをまた力づくで抑えると、大きな憎悪がその一族と支持者に残ります。
勝ち組が、その恨みを封じ込めるために、 多くの神社を立て、お寺で、霊を弔った、これが普通の解釈ですが、真相はどうなのでしょう。
大和朝廷では、姓をなくすことで出身家族と離れ、しかも、さらに、「無私」になる手段として、仏教を天皇は、信奉します。 このとき、 天皇になれなかった、皇位継承権保持者たちは、進んで、出家し、天皇位をもう二度と狙わない、あるいは、狙えない存在に自らをおきます。
日本国中に、国家鎮護のために国分寺が建てられますが、それ以外に、多くの寺院が、特に京都の集中して建てられた理由は、ここにあります。
もともと、仏教は、社会システムから漏れた庶民を救済する手段でした(たとえば、悲田院)が、これが、各寺院ごとに格式を競うようになった原因も、この辺にあるかもしれません。
また、日本仏教では、妻帯が許され、寺社ごとに世襲財産を形成しましたが、この背景にも、この天皇家の継承争いがあったと考えられます。
信長が焼き討ちした比叡山は、尊氏が始めた室町幕府の正当性を、最後まで認めず、この京都経済圏に独自の経済的地歩を築いていたのは確かです。
さて、寺院が分かったとして、次に神社です。 これは、各豪族たちの、先祖の英雄たちの記念碑です。この豪族の中で、朝廷に恨みを持って死んでいったものを、勝ち組が怖がって、神社を建てたとするのは、天満宮の菅原道真の縁起物に影響されすぎた結果ではないでしょうか。
私が思うに、あの方は、大宰府に流されてときも、そんなに恨みはなく、ただ都の花鳥風月が見れなくなったことを残念がっただけで、それよりも平和な朝廷運営を望んでいたでしょう。
神社がなぜ残ったのか、 それは、神社こそが自分自身のルーツの記録であったこと。そして、大和朝廷もよる社会システムが浸透してゆく中で、その存在が薄められていく、自分の先祖の英雄たちの「悲しみの物語」を決して忘れまいとする、 その氏族関係者や、真実の物語を見つめてきた、この都人たちの、純粋な思いやりの、よりどころではなかったか。
日本文化は、怨霊思想? もしそうなら、私たち庶民は、永遠に 「アルカイダ」のままです。
違います。
真実の物語を語り伝えた、「悲しみの共有」、敗者に対する心からの「思いやり」こそが、
この素敵な、空間を作り上げたのです。
京都をもう一度、その空間に創り変えたい。
そして、日本から世界に、その柔らかく、潤った、それでいて、さわやかな心をひろげ行きたいと思います。
京都の御池通りに公開の事務所を構えて、3日目。
今日は、素敵なお客さんが来た。 在日韓国人の朴(パク)さんだ。 日本の古代史を調べている友人が連れてきてくれたもので、話を伺うと、来年3月にスカイパーフェクトTVで、日本語の字幕のついた韓国語放送を始めるという。
J-KOREA というらしい。
ここには、日本国内の南の民団のかたも、北系の総連の方も、加わり、さらに、日本人からの出資もあった。
私には、コンテンツの面で、いろいろとアイデアやアドバイスをいただきたいとのことだった。
テレビ番組の企画なら、1990年にやったことがある。以来、暖めていたものもある。
ここでは、地上波でなく、衛星波を使って、日本と朝鮮半島すべてに、情報共有を進めようという構想に賛成です。
スカパーは、南はシンガポールや西はウイグル、東はハワイまで入るはずなので、本来、日本発の東アジアの情報共有に最適なメディアだ。
これまで、日本は、伊勢神宮を中心とした神さまの世界では、日本列島のみを特別な場所としてきた。韓国・朝鮮の問題との関連で言うと、実はとんでもないことをしてきた。
1910年に朝鮮を併合してから後、大正から昭和初期は、国家神道が宣揚されたときで、日本は、韓国の建国の主の檀君を奉る廟の上に、朝鮮大神宮を立て、そこにアマテラスと明治天皇を祭った。
しかも、その廟の直前に朝鮮総督府を建て、参道に流れる気脈を完全に遮断した。
これでは、朝鮮半島の人たちが、日本のことを愛するはずはない。
横浜に本部のある日本文明研究所(会長奈良さん)では、この檀君廟を元の姿に戻そうと神社界に呼びかけている。奈良さんは、伊勢神界よりも前の、古神道に戻せと神社関係者に促し、さらに一般家庭には「一家にひとつのお社を」と、呼びかけている。
日本と韓国の歴史の見直しは、今年の6月の盧武ヒョン大統領来日時に、天皇陛下が、
「歴史の真実の探求し、関係を深める」と発言され、それ以後、実質的にタブーがなくなった。
考えれば、日本史は、大和朝廷ができたときから、タブーだらけだった。特に、それが輪をかけてひどくなったのは、明治になってからだった。
海から来た人間を、同じ「アマ」の発音から、天からきた人間とし、自らを天孫族と称し、それが、日本のアジア進出の必然性の根拠となった。
玄界灘を越えたら、そこは、邪の着く土地として、見下げる意識が一体いつ涵養されたのか、実は、江戸の初期までは、日本人にとって中国は、本当に模範を求める、尊敬の対象の国だった。
また、権力の座が、京都から江戸に移り、さらに、天皇さんまで東京に移ったにもかかわらず、京都の人がなぜ沈黙したのか、このときどんな取引があったのか。
それにしても、今日の朴さんとの話は、面白かった。
「冬のソナタ」を見て、どれほど多くの日本の主婦が感動に震えていることか。
私が今、思うのは、日本の大和朝廷(律令制度)を創った、藤原不比等の心の物語を是非、テレビドラマにして、全アジアに放映できたら、どんなにすばらしいことか、ということ。
不比等が、天皇家から姓をなくし、雲上人にした背景には、壬申の乱の後も続く、渡来系の豪族たちの悲劇的な争いを如何に収集するか、その苦悩の姿があり、それこそが、現代まで続く、日本人の現実的な「和」の出発点であるからだ。(聖徳太子の「和」は、あくまでも権力者たちに、理念としてもたらされたもので、それだ定着するのは、この不比等以後のこと)
そして、そこでは私たちにとっては、結構心が痛む事実も出てこようが、私たちは、
どんなにつらくても、真実を知らないことには、本当のアジアとは付き合えないのだから。
昨夜は、珍しく、夜遅くまで、外にいました。
日本の現状いついて、医療の面から、根本的な改革が必要だとの認識の人の集まりでした。
この問題は、複雑です。
日本に限らず、国家が近代化し、さらに資本主義が進み、誰もが、「タイムイズマネー」と、
時間を気にしだし、稼げる資金を計算しだすとだすと、これは、左脳内のthinkのなかでも「演算」だけとなり、「今」にいられなくなります。
何年先、何十年先と、頭で計算して、それに必要な資金を心に気にかけている、
右脳は、本来、受け持つ「感動」のよろこびに浸ることはありません。
ここで問題は、そうやって、頭の中でも、心配事に基づく、左脳の酷使が、交感神経を過剰に使わせ、血液を痛め、実はガンの原因だというのです。
確かに、同じ、左脳でも、将来を案じた不安でなく、今の喜びから来ていればこれは違います。それは、右脳の喜び(feel)を、さらに増すために左脳が使われているときです。
日本の街をどう変えるか、この、脳や、神経の視点からも、再考していきたいと思います。
皆さん こんにちは
今日から、京都の御池通の麩屋町(市役所のすぐに西)に、
「京の風」の公開事務所を開きました。毎日、そこにいます。
電話は、075−257−1239、1299(18日から使用可能)です。
京都から、日本を変えたい。 それも、これまでの中央集権でなく、
「本来の自治のあり方」を、 京都から起こしていきたい。
日本国内では、すでに、長野県の栄村・下条村(公共事業)、 岐阜の泰阜村(福祉政策)、福井の宮崎村(環境対策 EM利用)、埼玉の志木市(公共施設管理などの民間・NPO委託)と一部には、新しい動きが始まっています(不正確な面があったらすみません)が、
いずれも、部門部門では画期的ですが、全体として、地方交付金・補助金が減らされていく中で、いかにして住民の暮らしをまもっていくか、きちんとした自治の形は、まだ生まれていません。
まったく新しい試みですから、難しいのは当然です。
ここで、問題なのは、これまでの市場経済(資本主義)の論理では、 日本社会全体の回復は、見込めないのではないかということです。
経団連会長の奥田さん(トヨタ自動車の会長)は、死に物狂いで、成長を求めよ、といっていますが、 企業の成長は、規模と利益とがあり、いずれも、低コスト、高効率、高付加価値、が求められます。 トヨタは、経済界の、中田君、イチロー君ですが、誰もがそうなれるわけで張りません。
オンリーワンには、なれますが、 誰もナンバーワンを目指せといっても、 不可能でしょう。
この地上にはどんなに工夫しても、経済効率が上がらない世界があるのではないでしょうか。しかも、これまでも、効率の上がらない世界は、公共事業や国家から補助金でなりたっていた物が多く、これが今、財政破綻のため、資金が減らされるのです。
この部分を、効率を追求する企業が抱えるはずもありません。
すでに、中国に生産移管が進み、企業城下町がどんどん壊されているのです。
やはり、家族ように、繋がりあうことでしか解決しないのではないか、と思えるのです。
企業誘致よりも、生きている現場に、助け合いと、身近な「こうあったら、ありがたい」という需要を見つけていくのがいいのではないでしょうか。
とにかく、物があふれたら、人はものを買わなくなるのです。
自分を大切にしてくれる心が、感じられ、それが溢れているものにしか、消費が進まないではないでしょうか。
公開事務所では、こうしたことも、どんどん話しましょう。
もちろん、京都に関する、「こうしたい」「ああしたい」「何でこれができないのだ」は、
何でもOKです。お待ちしています。
あと、前回のナゾナゾの答えですが、 「沈黙」です。
これを解いた人は、今まで、一人しかいませんでした。
「大風流」の時に出会った、若者でした。彼の将来が楽しみです。
12月13日、日本時間では忠臣蔵の14日、イラクでフセイン元大統領が捕まった。
イラクでのテロ組織にとって、反米の旗頭の大将がなくなった以上、意気消沈は避けられない。 これが、今後、どう展開するのでしょうか。
少なくとも、現地では危険が和らいだとして、日本からの自衛隊派遣や、復興作業に入りやすい環境に方向が変わったのは確かです。
この逮捕劇は、ブッシュ政権の支持率にとって追い風にはなりますが、それがそのまま、アメリカ覇権の延命に繋がるかといったら、これは違います。
大量破壊兵器がないにもかかわらず、攻撃に踏み切った事実は、否定できません。
これからは、いかにイラクを復興できるか、より厳しい目が向けられる。そのとき、やはり、アメリカ軍は、憎しみの対象でしかない。 ここで、とにかく日本は、そんなアメリカとは違うと、
明快なメッセージ必要だ。
何べんもいいます。 小泉は、ブッシュを激しく叱らないといけないのです。
さて、国際情勢が大きく動き出したこの日、実は、小生は、京都市庁舎の中にいました。
中央集権に基づく行政主導でない、本物の自治を京都から始めようと呼びかけるためでした。
「ワシントンの陰謀」のBBSで、植田さんがいつも指摘していますが、日本人の「お上依存」、「お上服従」「前例踏襲」は、個人が完全に判断力を放棄したものであり、そうするのが正しいと自動的に志向する理性のあり方を、「律令理性」といってきました。
21世紀、すでに、この「お上」が全く未来ビジョンを持ってないのにもかかわらず、いまだに、それに期待する意識が根強く日本人に残っています。これを、克服できるかどうかです。
日本人は、これまで、未来の現実の姿を思い描き、それが本当に実現できるか、と考えるとき、まず、官僚など時々の支配者が作った枠組みを従うことを、自明のものとして受け入れてきました。
宮沢元首相は、「日本人は、自分の体に合った背広を作るのは苦手だが、売られている背広に合わせて、体を作り変えるのは得意」と発言していました。
私は、枠が決まっていて、色を選んで塗るだけの「塗り絵」は得意だが、白紙に夢を書けといわれると戸惑って何もできなくなると、指摘してきました。
21世紀、実は、もう、国家や権威が、快適な枠を示してくれるわけではないのです。
自分で、「こうなったらいい」を思い描いて、すぐ横にいる隣人たちと、現実の現場を造っていく時代なのです。
私は、これこそが本当の自治の始まりだと思います。
個人の自由な発想が全く認められなかった1940年に、日本には国家総動員法ができ、日本国内の、すべての経営資源(領土、財産、人材、技術、宗教)が戦争に勝つために動員されましたが、戦後は、目標が経済発展に変わったのみで、基本的にこの体制が続きました。 都道府県は、この国家ビジョンを、地方の市町村が実現するための、中間団体でした。
私は、今、補助金や交付金をめぐって国と戦っている、都道府県も大切ですが、市町村の側にきちんとした新時代の受け皿が必要と考えます。
自分で、自分の住む地域の未来ビジョンを打ち出し、その実現ために、地域の人と協力してどんどん現実を作っていく意識の復活です。
この、国家からの自律・自立は、気がついてみれば当たり前のことなのですが、そこにいたるまでに、頭の回路を変えなければなりません。
私の役割は、そこにあります。
そこで、新井のナゾナゾ第二段。 これ難しいですよ。
「私の名を読んだら、私は消えてしまう。 さて、私は一体何者でしょう?」
これ、イタリア映画、「ライフ イズ ビューティフル」で、やり取りされたナゾナゾです。
みなさんこんにちは。
前前回、お話しましたが、イラクに自衛隊を派遣するならば、日本は英米軍との違いを明確にするためにも、憲法9条は改定することができなくなりました。
これで自衛隊の日本「国軍」化は、永遠にできなくなりました。
改憲派の議員、長老、特に中曽根さんは、頭から湯気を立てて怒っていることでしょう。
もともと、この9条については、昭和天皇のご発案だった、と指摘している人間が日本に複数存在します。代表は、広島の呉の河内正臣さん。
また、京都には、9条の持つ人類史的意義を捉え、大切にしたいと考える市民が多いのです。
京都が第二次大戦で焼けなかったのは、明治末期に、アメリカのモルガン家に嫁いだ、祇園の名妓、お雪さんの活躍による、と信じている方は、結構多いです。 宝塚のミュージカル「モルガン雪」は実在の人物の実話です。
FRBをつくるときに関わったJPモルガンの甥に、お雪は見初められ「一緒になってくれなければ死ぬ」とまで迫られて、アメリカに嫁ぎました。しかし、大正から昭和にかけて、日米関係がおかしくなり、彼女は苦悩します。その中で、京の町のすばらしさ、そして日本人の心を支えている、やわらかい文化の中心が京都だと訴え、この町への爆撃を撤回させます。
実際には、数弾の投下があったようですが、貴重な文化遺産は焼けずにそのまま残りました。また、彼女の遺言によって、その遺産の多くが京都の大学に寄贈されました。
戦後直後、京都の町はほとんど焼けずに残ったため、京都人が「この前の戦争」と言うと、戦国時代の始まりとなった、「応仁の乱」のことをさします。このオフィスのすぐ近くにある、上御霊神社がその戦乱の発端の地でした。この神社は、平安京ができるときに、無念の死を遂げた人たちを祀り、また、皇女和宮が最も愛した神社でした。
今、その京都の町が、バブル経済の処理をめぐって高層化が進み、以前の景色も暮らしぶりもなくなったと嘆いて、それを守ることを国家プロジェクトしようと名士さんが立ち上がっています。 その気持ちは十分に分かるのですが、私としては、すぐに国に結びつくことに、ちょっと首を傾げています。
都を焼き尽くした応仁の乱の後、京の町を再生したのは、当時の町衆、今で言う市民でした。16世紀初頭、ちょうど信長の時代に向かっていくとき、東アジアは、明朝の体制が崩れだし、また、マゼランによって東への航路を見つけた、ヨーロッパ人が日本にもやってきます。
また、後に鉄砲も伝来し、日本中がにわかに活気づいていく中で、京の都は、堺と並んで空前の繁栄に向かっていきます。今の祇園祭の山鉾の飾りになっている、タペストリーはルネッサンス後期のものです。
そうした、京の町衆の心意気に比べ、すぐに、何でも、国に資金を出させようとする姿勢が、ちょっと残念でなりません。国も財政難なのですから。
そして、考えます。
京都は、これまで、東京や江戸幕府に依存して、生きてきたことがあっただろうか?
たとえ、武力で負けて権力を失っても、心の輝き、権威、文化では、こちらが中心ではなかったかと。 確かに、現在の京都観光にとって、東京のお客様も大切ですが、それは、東京の人にあわせた京都があるのではなく、京都の魅力が彼らを引き付けているのではないのか。
その京都の本当の魅力とは何なのか。
過去の先達が残した、美しい建物や国宝を守ることも大切ですが、もっと大切なのは、自然がめぐっていく中に、栄枯盛衰する人間の営みを見つめ、その両者の関係中に、多くの美の形を生み出していった、創造性ではなかったかと。
そして、時々の権力者には、たとえ表面は譲ったにしても、自らの心意気では絶対に媚びない、心の気高さがあった。 私は、そこに本当の京の魅力を感じています。
東京宣言。アジアとの一体化が進展。これまでの戦後の経済発展パターンは、これで完全になくなりました。日本が工業製品を輸出することで経済成長するという、単純な発展モデルはもうありません。 さあ、経済を根本から考え直しましょう。
人間は、欠けているもの、不足しているものを手に入れるときに、大きな代償や対価を払うことを受け入れます。
物がなかったときには、物を手に入れるために。
安らぎがなかったときには、安らぎを手に入れるために、大きな対価を覚悟するものです。
今の、中国では、日本以上に都会に人口が集中し、北京では車を持っていても、市内の移動もままなりません。上海でも同じです。 年収に1万倍の違いがあっても、同じ空間に、それぞれひしめいて生きています。 それが活力ですが、翻って日本はどうでしょう。
不思議でならないのは、 経済成長をとめないと、環境が持たないと、いう人たちの考えです。この人たちは、人間の営みとは、環境を汚したり破壊するだけと考えているようです。
しかし、現実は、汚れた環境をきれいにするために、21世紀は大きな仕事が見込めます。
さらに、本当に心から顧客が喜ぶような環境にするためには、個人個人の特性にまで、きめ細かな配慮が必要で、そこにもまた、大きな市場ができてくるでしょう。
自動車や家電など、単品の物を造り、とにかく個人に次次と物を所有させたいとする、経済界のあり方が問題なだけで、 本来、本当の心地よさ、便利さ、楽しさは、こうした所有を基に考える必要のないことです。
売るための物つくりの発想はやめて、誰もが望む環境つくりの発想、つまり、どういう環境にいたら、本当に、うれしいのか。肉体的、精神的、社会的、文化的に、どういうあり方が、望まれているのか、これをまったく、素の状態からみんなで考えましょう。
そして、その実現のために、知識も智慧も、資金も労力も総動員しましょうよ。
当然、空間内に存在する人間について、適正な人口や人間そのもの資質も決まってくるでしょう。
さらに、もし、そこである程度の労働のみでお金が要らないシステムができたらどうでしょう。
財布の中身や銀行の貯金が増えるかどうかよりも、 自分らしい暮らし、生き方を実際にしているかどうか、そこに基準を置くなら、 金を使って、一体、生きている今に、何を味わっているかが大切です。
こんなところで、こんな風に暮らしてみたかった、というモデルを、どんどん創らないと。
親父が会社でノルマに追われ、子供は塾や学校の宿題に追われ、妻は、足りない家計を支えるべく、パートに追われる。みんながが追われているところからは、味わいのある人生は生まれない。 単なるスローじゃない。 自分がどのような時間・空間に生きているか、でえすね。
今、ある、幸福な時間と空間を、ゆっくりと膨らませ、中身を色鮮やかにしていきたい。
そして四季のめぐりのように、永遠性があるようにしていきたい。
ゴメン、眠くなった。また、しっかり書くね。
「小泉に有事三法案に続いて、イラク復興の特措法を通過させた後には、状況が変わるかも知れない。これ、実は、日本が平和憲法を持ちながら、どんどん海外に出て、イニシアティブを発揮していく契機になるとは思えんかね」
この一文は、小生が連載寄稿している金融専門雑誌「商品先物市場8月号」に、吉野で出会った精霊に仮託して、6月24日に書いた一文です。
もともと自民党清和会(岸信介が創った)の小泉は改憲論者であり、特に盟友の山崎元幹事長はその中心でしたが、先の衆議院選挙では民主党がこの問題を避けたために争点にならず、何とか政権の座を維持しましたが、公明党にキャスティングボードを握られました。
そして、外交官二人の殺害という事件発生後、今回、自衛隊派遣を決めましたが、ここでは完全に、憲法の前文を引用し、しかも、「戦闘に行くのではない」と、九条を遵守している立場をとりました。
これで、九条の改定は実質的にできいなくなりました。もし、九条をはずすと、それこそ、米英軍と完全に一体です。日本の独自性が、九条で守られ、しかも、戦後復興には、平和憲法の前文の精神で行くことになります。
どこまでも、どこまでの九条を掲げて、海外活動が必要です。 そして、たとえ犠牲者が出ても、そこを日本からは戦場にしていかない、崇高な決意が必要になります。
自衛隊でなく、いっそのこと、日本の道路族、中小のゼネコン、通信施設敷設会社、水道会社、そのた、民間人の、腹の据わった人間が行ったほうがいい。
日当3万円。死んだら1億円。 これは、日本で普通に工事現場で働いている人間の感覚からしたら、不況で仕事のない今なら、結構、いいじゃないかとも映ってきます。
まるで、仕事の正確さと現地での尊敬、そして危険に耐える根性試しの、
「世界男気オリンピック」が始まっているかのようです。
これまでも建設現場や交通事故で命を落とした方は、かなりの数に上ります。
そういう、現場のプロを守る最低限の自衛官がいればいいだけです。イラクの人間は、軍服が大嫌いといいますから、もし本物の自衛官がいたとしても、いかめしい服装はやめたほうがいいでしょう。
さて、それでも、この自衛隊派遣は、これまで、商売と観光旅行以外に海外に出ることがなかった私たち普通の日本人が、自分自身の意思で、自分自身が考える使命で、危険でしかも貧困な地域の復興に向かうことになります
ここには、平和憲法を持つ国ならでは、哲学と決意が必要です。
一体何のために行くのか。何を創りに行くのか。どうすれば、世界中の人間から評価が得られるのか。尊敬を受けられるのか。
日本国内の派兵反対派にも、米英軍も、国連も、仏独露中も、アラブの国も、そしてテロリストにも、納得のいく、政治的な哲学とイニシアティブが待たれる段階になりました。
イラクの問題が、実は、イスラエル問題だとは、以前から指摘してきました。 アメリカの兵士は、2万人近くが、正常ではなくなっている(死傷したり、精神障害、兵役拒否など)ようです。 中には、紛争が続くほうが、手当てが弾むと喜んでいる、プロの雇われ兵もアメリカに入るようです。 彼らと、一緒になることは絶対にゴメンです。
小泉首相は、友人なら、ブッシュを叱り飛ばさないといけません。
アメリカがイラクの石油に大きな関心をもう持っていないのは、国家的に水素利用に目標を変えていることからも分かります。
日本からは、イスラエル、つまり、ユダヤ問題についても、きちんとした立場が必要です。
国家を超えて、地球大に、自分自身の毎日の生活を考える時代になりました。
しかも、そこでは、手の届く、身の回りの現実を自分で創っていくという、自覚も必要です。
日本に、まだ大和朝廷ができる前、この列島と周囲の大海は、世界中の人々とと繋がっていました。 そのころの感覚を取り戻したいと思っています。
皆さんこんにちは
6.7.8と街頭に立った所為か、朝日新聞の記者にスクープされてしまいました。そして、今日は、他のメディアからもコンタクトがありました。
さて、そこで皆さんから聞かれるのですが、「京の風」にはどんな人がいるのか、
新井はいつから京都にいて、それまで何をしていたのかるのか、です。
一方、私自身については、本欄を見ていた知人から、「京の風」の新井信介は、自分たちが知っている人物とは、まるで別人だ、と不満も出てきました。
確かに、私自身、98年から、講演会や勉強会を積極的に始め、そこで、自分が理解した世界情勢や国家の裏側を話してきましたが、その当時の私だけを知っている人間には、今の姿は、物足らないでしょう。 過激さがない。刺激が足りない。もっと知っているはずなのに、といろいろ不満もあるでしょう。
そこで、少し、整理します。
現在の「京の風」は、私の友人と、京都の普通の市民が集まった政策グループです。
もともと、インターネットを通じたり、環境問題や文化保護などの活動をしていた、京都の市民グループが、1999年年末のY2Kに備えようとオフ会を繰り返し、ひとつの仲間の輪ができました。 そこでは、世紀末のいろいろな問題が話されていたのですが、このとき、私の東京での講演ビデオが届きました。
私は、11月の段階で、 「Y2Kはもう心配ない。その理由は、コンピュータ2000年問題は、実は、戦後世界の基軸通貨の米ドルの信任性が崩壊するのを、アメリカ通貨当局が恐れ、それに対する準備を、世界各国に求める、いわば脅しだった。しかし、その金融面の問題は、膨れ上がった世界のマネーを管理することでクリアされ、クリントンがそれを宣言したから」と、私が指摘していたのですが、結果はそのとおりになりました。
そこで、そのグループとのコンタクトが始まりました。
2001年8月大阪の勉強会で出会いました。
私自身の勉強会や講演会は、1992年7月の参議院選挙まで遡ります。
1988年に住友商事を退社し、バブル経済に狂うニホンの世直しを決意しましたが、どうしていいか具体策が分かりません。「選挙で訴える」といっても、方法が分からず、最初は、メディアの世界に入って、自分が考える主張を広めようと試みました。
当時は人気番組だったTBS系「そこが知りたい」の下町編を得意にするある番組制作会社に一年ほどいました。そのあと、中国の水産物の輸入会社にもいましたが、一部の人間から、「新井の世直しも口だけだった」といわれていることを知り、奮起します。
92年の春です。そのとき、すでに、バブル経済が終わっているにもかかわらず、政府は、不良債権処理を始めません。
88年に決めたBIS 8%ルールが、これからいかに日本経済を壊していくか、その実態に誰も気つかず、わずかに知っているはずの(実は張本人の)日本の中枢=銀行界・大蔵省・政界のトップが、精一杯の糊塗・隠蔽を始める直前でした(すなわち、このときから、失われた100年が始まるのですが)。
私は、日銀法25条を持ち出してでも、この時点で、すぐに不良債権を処理せよ、BISと掛け合って、8%条項を変えさせろ、といていたのですが、多くの人間には、まるで、ピンと来ないことでした。また、湾岸戦争後の援助についても、言及しました。そして、アジアに入れ、とも。
選挙は、惨敗です。
でも、そこで、日本経済や国際関係の真実を知っている人間、あるいは真実を知ろうとする人間と、知り合うことができました。
それを、母体に生まれた勉強会が、1993年12月にできた、「新・桃太郎の集い」です。
これは大阪で立ち上がりました。
しかし、いかんせん、政府・大蔵、そして経済界(特に金融界)が、そろって、あらん限りの知恵と権力と情報力を持って、自分たちの失政をごまかします。また、それを見抜いて、アメリカは、ニホンに公共事業の拡大を要請します。米ドルをアメリカに流し続けるためです。
これで、さらに、国や地方の借金が膨らみます。
株式は、年金や郵貯の資金で買い支えられ、さらに、金融機関は永久劣後債を発行です。
私たちが、どんなに真実を語っても、現実に普通の人には、景気が回復しているように感じられるように、政府が見せていたのですから、たまりません。
勉強会の参加者が減り、また、とにかく、私自身の発言力、影響力のなさに、何とか、事業で実績を残すことで、それを補おうとしたのが、94年から97年までの、中国での事業でした。
中国での事業は、大きな計画もあったのですが、中国側の内紛から、あまり成果を見ず、小さなテレビ番組会社は残りましたが、97年に再び日本に戻りましたが、この間も、新・桃太郎の仲間とは、コンタクトを取っていました。
ただ、選挙からの5年間の経験が、世紀末に一体何がおきるのか、そして21世紀には何がどう変わるのか、を明確に認識させてくれました。それは共著の「大予言代予測」にまとまっています。
そこで、98年から、再び、講演会を始め、さらに99年からは湯河原に居を構えました。
それが紫玉庵であり、さらに宇治に移ってから、新たに全国の同士と始めた勉強会が、
皆神塾です。
これは、人間は、想像と創造ができる唯一の地上生命で、いわば、創造神の一部だという認識からきています。
ちなみに、自分自身は、明治以来の国家神道とは、日本の本来の姿とは程遠い、一神教に近いものと捕らえています。
私は、昨年秋に亡くなった高円宮がかつて言及した、「国と国民の統合の象徴という戦後の皇室とあり方が、日本本来の歴史的な姿に近い」という言葉に、同感です。
また、21世紀の現代は、明治維新以後、「脱亜入欧」で、アジアから離れてしまった日本が、再び、アジアと一体化する時代と認識しています。
それは、単純な経済的な要因のみではなく、文化的にも、そして、大和朝廷成立以後の国家とその統治の関係にも、再考が迫られていると感じています。
長くなりました。今日はこの辺で。
閲覧者から、ちっとも京都のことを書いてないと指摘がありました。
本当は、ありすぎるのです。 なにせ、京都からしか日本が変わらないと確信しているのが、「京の風」です。
今、京都は、11月の観光シーズンが終わり、これから年末の売り出し、そして来年になると2月初めに京都市長選挙があります。
今朝の新聞で、現職の桝本市長の出馬声明が出ていました。共産党が支援する広原氏と激突ですが、私たちは、この両者には、物足りないものを感じます。
本格的に、財政改革できるのか、また、今の経済低迷を脱出できるのか、など。本当に市民の活力を引き出せるかです。
今、京都の観光地は、完全に普通の市民生活とは離れだして、いわば、「点」になってしまいました。有名観光地のみやげ物屋さんは、ニッコリですが、その地域に暮らす一般市民には、迷惑な事態も出ています。もっと、広がりを作らねばなりません。京都に来ていただいた市外の皆さんには、ゆっくりと長期滞在をしていただかねばなりません。
京都の町全域が、生きた日本文化のテーマパークのような、素敵な街に、いかにしたらできるか、これには、智恵が必要です。
文化は、そこに生きている人間の心の現われです。私たちの暮らしぶりが、その核心です。
ここでは、財政面で、これまで以上に国に頼る考えをもっていたり、一部の人間のアイデアだけで全部に解答を見つけようとすると、京都全域は生まれ変われません。
私たち、普通の市民が、自分の住んでいる地域のことをよく知り、その文化の担い手との自覚が必要です。 京都も大きな町で147万人が暮らしていおり、こうした全体のことを、普通の人間が考えることは、難しい面もありますが、自分自身が暮らしている地域のことでしたら、それも、普段買い物をしたり、子供が通う学区の範囲のことでしたら、問題点も解決策も、いろいろ分かってきます。 実は、そこにこそ、自治の基本があります。
地域のつながり、助け合いを深め、一緒になって未来ビジョンをつくり、それを行政が支援する形が一番です。地域の未来は、その地域の市民が決めるのです。
私たちは、それを「地域助け合い文化」と呼んでいます。
また、地域での繋がりが深まりますと、それぞれの地域が喫緊に解決すべき問題が、明確になり、自然とより多様な助け合いが始まります。治安・環境・文化・教育・神社やお寺との連携など、そこにしか本当の柔らかく潤った、情緒のある空間は生まれません。
この点について、今後もゆっくりと指摘していきたいと思います。
また、それが、経済の活性化と繋がっていく点については、特に重要です。この点は、じっくり書いていきます。 今日のところは、まずはこれまで。
あ、忘れていました。 ・・・昨日は、本当につらい一日でした。
ええっと、「ウルトラマンが食べたくても食べれない食べ物」、
その答えは、 カップヌードルです。 決め手は、3分間という時間。
ただし、二つの前提があります。
・ウルトラマンが、怪獣退治を途中で投げ出して、しかも、カップヌードルが
出来上がる前に地上で食べないこと。
(そんなことしたら、ゼットンに会う前に他の怪獣にやられてしまう)
そして
・カラータイマーが消えかけて、シュワッチュといって宇宙に帰る時に、
手を伸ばすポーズを とらないと絶対に飛行できないこと。
(もし、それができても、カップとフォークをつかって食べだしたとき大気圏を出たら、
麺は熱で燃えてしまいます。また、たとえ燃えなくても、宇宙空間では重力がないため、
散乱してしまいます。)
しかし、このナゾナゾに対し、そもそも、ウルトラマンには口がないから、なにも食べられないのではないか、との指摘もあります。
あぁ〜いかん。また、思い出してしまった。
ウルトラマンに口がないのなら、日本は、戦後の国際社会では敵国条例によって、
敗戦国のままで、本質的に口がないのに似ているな、なんて。
しかし、11日から日本で始まる、アセアンとの協議。
どうも友好条約、つまり、この地域での相互の安全保障にも乗り出すようです。
ここでは中国・韓国・アセアン・日本が、「東アジア経済共同体」を創る、具体的会議が始まります。
かつて、10年前にマレーシアのマハティールが提唱し、当時のブッシュ(父)政権のベーカー国務長官に、断固拒否された構想です。 やっと、実現しそうです。
そのジェームスベーカーが、イラクの後始末に乗り出すといいいます。
今、アジアが喧嘩しているときではありません。
北朝鮮についても、この「東アジア共同体」の枠内で、一致して方針を決めるのがよいのでは思います。 そうなれば、その決定に、アメリカもNOがいえないでしょう。
7日の朝、フジテレビ系「報道2001」で、 岡本特別補佐官が、今回の外交官殺害事件に関し以下述べていました。
「奥大使は、日本が供与を決めた無償資金援助15億ドル=約1700億円の具体的な使い道を確定するために、走り回っていた。 日本はマドリッドの復興支援会議で総額50億ドルの支援は決めましたが、この15億ドルの金額分については、急性が高く、日本が独自で援助対象を決めることになっており、それを年内に(この部分不確か)に決められないと、それはCPAが自分で使うことになってしまいます。
今回の二人の死去で、日本が(自分が供与する資金を)独自に使い道を決めることができなくなりました。」
不正確な点もありますが、趣旨はこのとおりです。
岡本さんは、テレビで話せる精一杯の範囲で、今回の事件を話しました。
苦渋と怒りを抑え、国民に日本がどうゆう状況にあるのかを、事実だけを話しました。
いやな臭いがしています。
そして、本当に悲しくなりました。
すでに、これまでにも、この事件が、アメリカ軍の「誤射」ではないかとの指摘もありましたが、ここで明らかに、「誤射」でない、一つの明確な動機が見えてきてしまいました。あくまでも、推測ですが。
イラクの復興支援を決めたマドリッド会議では、フランス・ドイツから申しだされた援助資金はきわめて小額でした。彼らは、そこに出した資金がアメリカにいいように使われるのが分かっていたからでした。
しかし、小泉政権は10月のブッシュ来日直前に自発的に、15億ドルの無償供与を決定しましたが、このとき、その使い道については、イラク復興のために必要とされるものを自分が決めるとしており、そのために、日本の名誉を背負って心を踊らして駆け回っていたのがお二人でした。
一方、無償資金供与が、そのまま、掴み金としてもらえるものとして、アメリカが考えていたとしたら、日本政府の方針、そしてそれを現実に実行していた二人の動きは、邪魔になります。 そこで、悪意が発生したとしても、おかしくありません。
イラクでは、今、テロリストを語れば、誰でも、「事件」を引き起こせるでしょう。
「二人の行動が事前に情報が漏れていた」「周到な暗殺計画」「遺体の回収と公表が遅い」など、多くの疑問が出ていますが、本欄を読んでいる皆さんが今、お感じになっている仮説に基づけば、すべてが氷解します。
外務省の慟哭は、当然です。 復興策での自主外交が、封じ込められたのですから。
日本政府は、すぐに、イラク国内にあるNGOにも、国外退去を命じました。
外務省が、すぐに、日本の自衛隊によって「警護」を求めたのも分かります。
今回の事件は、日本国がおかれている現状を、真剣に見つめる最高の契機であり、その限界を知る、最大の教訓を全国民に示しています。
相手は単に、テロリストではない。 これだけは、「肝に命じましょう」。
混乱、そして、巨額の資金は、多くの悲劇を生み続けるばかりなのでしょうか。公明党が、自衛隊派遣に賛成しました。派遣は決定的ですが、 これで問題が、又一つ 複雑になります。
国家と組織が間に入ると、個人と個人の信頼が壊されてしまいます。
まず、自分の足元から、信頼を作っていくしかないと考えています。
みなさん こんにちは。
今日は6日土曜日。実は、「京の風」の仲間と初めて、街に繰り出しました。
現在の平成江戸幕府=すなわち、霞ヶ関の論理に打ち勝つには、京都の活性化しかない、
これまでの中央集権が破綻しており、そこに依存している生活パターンも続かなくなる以上、自然のリズムと一体だった京都の普通の暮らしを取り戻すしかない、と考えてのことでした。
今、国、すなわち霞ヶ関は、負担を地方に押し付けます。この実際の姿は、来年度予算から、普通の人々の暮らしにも影響が出てきますが、その前に、なんとか、地域で助け合いの文化を復活させたいと考えて、それを訴えました。
もちろん、財政改革も、進めなくてはなりません。
しかし、本日の拡声器を使った訴えも、まだまだ、弱いものでした。時間的にも、20分弱でしたから、ほんのお試し程度でした。
私たち以外に、海外難民の救済に募金を訴えるものもあれば、イラク派兵に反対するデモ(といっても数十人規模でしたが)が河原町をねりあるいていましたが、 まあ、とにかく、京都から、声を上げ始めました。
なぜ、京都か、です。 日本の中で、京都こそが、東京の論理、そして東京を抑えることで、日本全体を呪縛しているアメリカの論理から、脱却できるからです。 もはや、ハード(物的豊かさ)を追いかけるのは、 経済的にも大きな価値を生まないからです。
京都は、明治になってから首都を東京に譲りましたが、その前に、徳川家康が江戸を開府したときから、権力の中心の座を渡しており、今年で、400年が過ぎました。
江戸時代、京都は権力を失ったものの、日本の文化の中心であり続け、そして、人間の生き方を提示する、権威の中心であり続けました。 日本に、多くの小京都が生まれたのも、江戸時代でした。また、この町に住む町衆が多くの技を工夫し、京の伝統商品を生み続けました。
しかし、その京都の権威も、明治の文明開化で太陰暦がなくなって、人々の暮らしが、どんどん宇宙や自然のリズムから離れていったために薄れていきました。 国家=東京に従い、そこに示される学問(?)的権威を身に着けることが、豊かさへの近道と、誰もが考えることが始まったのです。
それが、結局、国家的な破綻を、軍事で引き越したあとも、今度は、環境問題、財政赤字、金融問題で、次々と引き起こしています。
今、必要なのは、学問ができるかどうかではなく、自分の生きているその場に、 本当に快適で心地よい関係を、自分と自分が出会う人や生物とのあいだに、作れるかどうかです。
本来、そのために学問が「道具」としてあったはずです。 当然、行政も、同様の「道具」だったのです。
自分自身が関わる3っの宇宙を、自分の創造性を使って美しく響かせたい。 私にとっての「風流」とは、そういうものでしたが、今日の京都市役所前の「大風流」イベントは、ちょっと違っていました。
でも、なかなか面白い仲間に会えました。 そこで、いつものナゾナゾをしました。
僕が出した、なぞなぞ(4問のうち)の一問です。 できますかな? 答えは、また明日。
クェスション:
「ウルトラマンが、食べたくても食べれない食べ物はなあ〜に?」
イラクから二人の外交官の遺体が日本に戻りました。
ご家族の皆さんの悲しみはいかばかりのことでしょう。 事件の真相が不明にもかかわらず、すぐに「テロ」と政府が断定したことに、事件の複雑さがかえって伺えます。
そして、今、日本の戦後の国家としてのあり方が、浮き彫りになっています。
今回の事件の顛末の報道も遺体の搬送も、イラク国内では、すべて米軍の手によってなされました。 日本はイラクでは最後まで「お客さん」のままでした。
イラクで日本国の関係者は、一体、いつまで、どこまで、アメリカの指揮・監督・管轄の下で、活動を続けるのでしょう。日本の、国家の立場、人材と人命、財産と能力、そして名誉が、いいようにアメリカの都合であしらわれるのではないか、と危惧します。
自衛隊が、海外に出られない。 しかも、危険地域にいけない。 その一方、
民間人は、アメリカとの同盟のために、戦後復興という大儀のために、アフガンやイラクに
派遣され、危険にさらされる。
これでは、丸腰の民間人がもっとも危険なところにいて、自衛隊員がもっとも安全なところにいることになります。何か変です。
日本国内に残されている、全く実戦経験がないにもかかわらず、本物の高級高額武器を持つ21万人の組織、そして年間5兆円の予算を使う組織を、民間人が、その運営費を税金で出して、しかも、命を張って守っているという、奇妙な形になっています。
これでいいのでしょうか。 自分には、すぐには回答は出せませんが、
間違っていることは確かです。
ただ、
「自衛隊を派遣するな」という論理は、この奇異な構図を固定化するものになってしまいます。
また、「出せ」という論理は、 大量破壊兵器がなかったにもかかわらず、戦闘を開始し、
そこで、のっぴきならなくなったアメリカに対して、全く批判しないままの立場となります。
この問題を考える基本は、 「日本はアメリカとは違う」 と明確にし、
さらに本当に危険な地帯に行く職業人と一般民間人を、「きちんと選別すること」です。
自分が商社マンだった経験からして、海外の活動には、危険は常に付き纏います。
交通事故も多い(複数の友人が死傷)ですし、風土病(重病になった人)もあります。また、戦争や紛争に巻き込まれるケースもあります。 危険ということでは、同じです。
ただ、今回の場合、あくまで、アメリカの戦略上で、日本人が危険になったことが問題です。
日本の独自路線は、海外では、商売以外には、できないのでしょうか。実際には、そうした商行為は、実は国家と離れて、個人や私営企業の責任とリスクで行われているのですが。
日本の「国家」が、本当に、自立・自律できるのか。
ーーーーーーーー それは、国民自身の問題です。
国民が、国家から自立・自律して、国家に依存せず、国家の在り様について、 突き放して考えられるようになれば、それは可能です。
しかし、国民が、国家に依存していたのでは、それは無理です。 すでに見たように、
今の国家が、 現状では、国際社会で、なぶられ物に過ぎない存在なのですから。
そこに依存している人間が、それを立て直せるはずはありません。
よって、まず、日本国を愛するがために、日本国の統治システムに関係なく、官からのサービスにも期待することなく、生きていける自分自身になるしかありません。
こうした海外の問題を考えるとき、自分たちは、なんて「悲しい国」に生きているもんだと思いますが、実は、私たちの日本国民自体の潜在力は最高です。
私たちは、日本語で鍛えられたアニミズム脳を持ってますし、 「裸」になって、「腹を割った」付き合いで、世界中の誰とでも、親しく溶け合える心を持っています。
この「心」が、歪まずに伝えられる方法を早急に考えるしかありません。
それは、「国家」を通り超えるしかないのではないかとも感じています。
閲覧者のご意見をお待ちしています。 新井
みなさんこんにちは
自衛隊のイラク派遣、公明党は「慎重に」ていっていますが、これは世論の風向きを気にしてている証拠ですね。
さて、宮城県の浅野知事、怒ってますねぇー。小泉が補助金の1兆円の削減を言ったからですが、では民主党だったらどうなのでしょう。先の衆議院選挙の時には18兆円の削減を言っていましたね。ならば、民主党は削減しながら、その資金をそのまま、地方がすぐに使えるように考えたのでしょうか。
しかし、今回の小泉案は、単純に減らすだけです。やはり、国には金がないのですね。
そこで、これは、地方に対しては明らかな負担の押し付けです。
構造改革、三位一体、地方分権、これらは、一言で言って、もう国には金がありません。
また、新規財源の知恵もありません、といっているに過ぎません。
それならば、怒るよりも先に、地方が財源を見つけるしかありません。
そこで、知恵比べが始まっています。 そうならば、大いにやってやろうじゃありませんか。
「京の風」の出番です。 お楽しみにね。
昨日の日記で、天皇さんが祈りのよりどころにした「菩薩」を、無空絹索観音と書きましたが、これは誤りで、正しくは不空絹索観音でした。円通寺にあるものは、黄檗宗の開祖隠元(実は明の皇族)が後水尾天皇に渡したものですし、東大寺のものは、きっと聖武天皇が直々に祈りをささげたものでしょう。どちらも本当に、美しいものです。
私が間違えてしまった、「無空」の呼び名ですが、これは私が、社会人になる直前に、当時、泉岳寺にあるアンナ会館の館長をしていた、童話作家の太田博也氏から、「新井君はこう名乗ったらいいな」とつけられた名前でした。結構気に入っています。
1980年から81年にかけて、多くの人と出会いました。最近、その当時の知人と、23年ぶりに再会しました。 あの当時、中野サンプラザで、マイナス科学の会(会長は、坂本邁、 顧問に広崎可也)が毎月、開かれ、そのときに出会っていた人物でした。
学生時代の最後は、いろいろな出会いがありました。多くのシンポジウムやセミナーに参加しましたが、上記の太田、坂本、広崎の3氏以外に長野博、坂口三郎、井出祥雲、安藤徳次郎という、素敵な大先輩たちとアンナ会館で出会い、学ばせていただきました。
久しぶりに、あの時代の感覚がよみがえってきます。
ただ、昨日、イラクで外交官が殺害されました。
九条と日米安保によって作られてきた共同幻想が消えていきます。やっと、日本人が、アメリカの呪縛から解き放たれて、世界に生きる人間の真実と向き合うきっかけとなっています。
もう、スーパーパワーがない時代です。 戦いに疲れた後、世界は軍事力でも資金力でもないものを求め、その登場をアインシュタインは、日本から出ると確信しました。
それが何なのか、真剣に探しましょう。
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