みなさん 最後のページをなりました。
2月8日まで、お休みです。
今の、人類社会が、これから、本当にどうなってしまうのか。
このときは誰も似向けられていますが、私たち日本人の責務は重大です。
自然音を意味のあるもの、心のあるものとして聞くことのできる日本語を使う一方、
世界中で最も多くの資源を(一人当たりで)使っているからです。
現在の日本は、未来が見えないと騒ぐ、蛹です。
このまま、死んでしまうのか、それとも、
きちんと羽化して、自由に空間を飛びまわり、
新次元を誰もが自覚して、 毎日を味わって生きるようになるか、 です。
世の中の大きな変化も、その実際は、一人ひとりの変化が放射線状に広がることの、
繰り返しです。
このHPを見ていたみなさんが、自分が今、ご自身が属している世界について、
その本質を考えて、 さらに、本当はこうなりたいと思っている世界を明確化し、
それを、どんどん、膨らませ、実体化させていくことを祈ります。
国家という、「一つの虚構機構」が生み出した、過去の決定に囚われることなく、
ストレートに自分の願う世界を、どんどん、ご自身の力で構築して欲しいのです。
そして他人を喜ばすことの中に、自分の存在を、確認して欲しいのです。
たとえば、イラクの問題にしても、国家が絡むと、問題が複雑化します。
戦後復興や貧困脱出に、国家が絡むと、多くのまやかしが入ります。
私の脳裏には、
地元の共有空間をどんどん創った人たち(つまり、「結い」を復活させている人たち)が、自分自身が属する市町村の行政(ルール作り)を進める日常が、はっきり見えます。
そして、対外的にも、
自分たち町内は、この国のこの町の、この町内と人たちと繋がって、
貧困・テロ・教育・環境を克服するのだ、との決意が、そこでは生まれています。
その決意はさらに世界中を巡る善意の気持ちとなり、
幾重もの光の糸となって、 地球の人類社会を包み込むようになっていくからです。
そのためにも、これまでの文明のガン細胞でもあった、
大都市にこそ、今、「結い」が必要なのです。
それも、心に響く、共通の感動の素が、多くの根を持っている、都市にです。
今はまだ表面はコンクリートが覆われていますが、京都には、それが溢れているのです。
さて、ここで、皆さんに、お教えします。 私たちが、なぜ、紫にこだわったかと。
紫には、英語で2種類の呼び名があります。
パープルPurple と バイオレットViolet です。
私たちは前者を使っています。 この違いはどこにあるのでしょう。
紫は、山紫水明、紫雲たなびく、とあるように、朝の色で、ここの生命を守る色です。
これは、宇宙の際=障壁を宇賀と呼ぶようですが、ここがやはり、紫色です。
この世に生まれたどんな命も、まず守る、それが紫の意味です。
しかし、この世には、
自分の響きを撒き散らすばかりで、相手の響きとの調和を考えないものもいます。
常に、出会った人とお互いの生命・存在を認めながら、時間をかけてでも調和し、
新しい世界を創っていこうとする、忍耐強く責任感ある意思を持つ人と、
まず、自分生活のために、あるいは、自分の感情を発露するために、周囲の気持ちをわきまえず他人の世界に入り込んだり、形式的な決まりを背にして自己利益の確保を目指すばかりの人、とに別れます。
前者は、PURPLE 後者がVIOLET ではないでしょうか。
また、参考ですが、
個体を守る色、紫に対し、全ての固体を溶かし、命の根源に戻る色が、紅でした。
夕日を見ているとき、隣に座った恋人と一つになっていく感覚は、この色の所為でしょう。
そして、もう一つ、jade についてです。これは、通常ヒスイです。
以前ここで紹介しましたが、とても、珪素が多く、そして微細な振動をします。
この微細さが、それを所持する人間の心、精神に反応するようです。
地球環境問題を考えるとき、
環境を壊したのが人間なら、それを創り直すことができるのもまた人間です。
そこで考えなければならないのは、人は、なぜ、壊し、 なぜ、創り直すのか。
そのときの、人間の精神の内側にある、価値観・目的意識は一体なんだったか、です。
壊したのは、地球環境から一部だけを切り取って、取り入れようとした(分離)ためであり、
直そうとするのは、そこに存在する全てと、共振・共鳴しようとしている(融合)からです。
今求められているのは、そこに存在している全ての生物・鉱物の周波数を読み取り、
さらに、全てが共振できるように配置を換えていく、智恵と、実行の意志です。
如何に美しく響きあうか、そこに全てがあります。
出会った人と、瞬間瞬間に、心地よく響き合えるか。
出会った花鳥風月と、ココロが交わせるか。
明治維新以来、日本では天皇家から仏教が離されましたが、本来、日本の天皇は、
聖徳太子の時代から、この仏教教義を使って無私になって、全ての生命、そして見えないエ ネルギー存在とも、響きあう存在でした。
(私は、今でも、宮中で、祈られておられると信じていますが)
それは、人間を動かす権限を持つ人間が、まず心がけなくてはならないのが、
そこにいるみんなの命が響きあっている状態を作り出すためにあるからです。
今の、京都が、果たして、そうなっているでしょうか。
そして、 これまでの分配の不公平さに、憎しみにも似た感情を前面に出す生き方に、
全てと響きあう、潤いある心地よさが、そこから漂ってくるでしょうか。
「京の風」は、 人間同士のみならず、すべの存在、それも目に見えない意識体とまで、
調和する環境を、この京都に、本気で創ろうとしています。
そして、その時、自分自身を知る一つのてが、「玉」と総称される微細波動をもつ、石です。 これはやわらかく加工しやすいもので、ダイヤモンドの対極です。
ダイアモンドは、結婚式などでよく喜ばれますが、 わたしには、ちょっと苦手です。
これは何でも切れる、つまり、他人は傷つけますが自分は傷つかないことの代表にも
思えますし、しかも、燃えて朽ちるからです。
私はやはり玉が好きです。
自分の身を削って、全ての存在との調和をもたらすからです。
玉になれば、どんな人とも周波数で一致点を見つけることができるからです。
古代中国では、この玉が、そのまま、宝であり、財産でした。
(私も収集しています。いずれ、このHPで公開しましょう。)
さて、長くなりました。
最後です。
本日、このHPで知り合った方から、上賀茂神社の「当たり矢」が届けられました。
言葉になりません。 今年の二番目の歌です。ご笑覧ください。
たくされし思いのたけを うけとめて 皆に広げむ 新玉(あらたま)の御世
平成16年1月24日 信介
以下のHPが抜けてしまいました。
「縁の花」の岩谷さん:
http://www.geocities.jp/ennohanamura/ennohana182.htm
「ワシントンの陰謀」の植田さん:
http://8311.teacup.com/yuta/bbs
みなさん、こんにちは。
あと二日で、このぺージは止まります。それ以後は、皆さんに、私の声を届けられなくなります。ただし、応援団がいますので、ここで私をネタに、盛り上がってください。
このサイトの左下にはリンク先があり、「私設応援ページ」があります。
これは、下関でヨガやタッチセラピーをしている、大石さんが立ち上げてくれました。
忘れないようにいいますが、
1月29日(木)に、京都市北区文化会館で、「京の風」主催の文芸祭があり、
ここに私の友人の芸術家たちが多く出演します。私も顔を見せます。
よかったら、ご来場ください。(問い合わせ、075−414−2006 「京の風」事務所)
あと、大阪で、日本正直党党首を自認する、岩谷さんが、私をご自身のHPの中で、
紹介してくれました。 下にURL があります。
また、その下には、西欧哲学が専門の植田信さん(「ワシントンの陰謀」で有名)が、やはり、ご自身のHPのBBSで、応援メールをくれました。
ただ、私が京都市長選に出ていることが、全く知らされていない(主に中央のメディア)ことと、主張にインナパクトが不足していることに、寂しさを表明されています。
私たち政策集団「京の風」がやろうとしているのは、
完全に、国家を中心にした成立した「近代の克服」です。
これをどう普通の人にわかってもらうか、難しいのです。
目立つためだけなら、刺激的な文字を並べればいいのですが、
小生の狙いは、京都に住む、新時代の仲間の発見なのです。
私は、言い方が柔らかですし、なにより、田中ヤスオ君やエモヤンみたいな知名度が、
ありません。
これまでの経歴も、そして、日本の重大時に際して、してきた主張や活動も、自分は本気で真剣でしたが、多くのマスメディアに届かず、また、内容自体も取り上げづらかったでしょう。
しかし、20世紀の世紀末から事態の推移で、誰の主張がもっとも正鵠を射ていたか、また、場面場面でいかにきちんと対応しようとしていたか、必ず、見ていてくれた人がいると信じています。 少なくとも、そうした人に支えられれ、今回の出馬となりました。
今、京都では、私以外の両陣営の、組織票固めが熾烈を極めているようです。
私にとっては、25日からが、やっと平等の立場でのスタートです。
死にかけている「蛹」に、自分自身の「喜び」に生きる勇気を、届けたいと思います。
今日も、寒風の中、街頭に立ちました。
今の段階は政治活動中。名前の連呼はできません、私の顔をを確認し、
「ああ、あなたですね」と、目配せしてくれる人がいます。
しかし、実物の私を見た人は、本当に少ないでしょう。
他候補のように、政党のポスターにでかでか顔写真が出ていることもありません。
ですから、得体が知れない。神秘的。と、いろいろいわれているようです。
これから、もっと面白いことをやりますからね。
まず、私の「マニフェスト」と「質問に答えて」をきちんと読んでください。
そして、11月からの日記を、暇なときに読んでください。
こうして、HPに書けるのも、あと、2日。
皆さんに、できる限り、楽しい情報を提供したいと思っています。
新井信介
あと本欄も3日間となりました。
京都には、いろいろなサークル・ミニ集会がありますが、昨夜も、その一つの雅幸塾というところに呼ばれました。
私を発見し、出馬を促してくれた人とのご縁も、こうしたミニ集会がきっかけでした。
これまでの組織や地縁・血縁を離れて、多くの情報を共有しようとする、人の数がどんどん増えています。
ただ、そこでの情報は、常に、玉石混交になります。
たとえば、歴史理解や科学知識にしても、そうした集会での情報は、
これまでの「正規」の教育で教えていることの矛盾点から入ることが多いので、
全体像が見えなくなってしまうことが、多々あります。
これは結構、危険です。
脳の博士の養老さんが、ご自身が教えていた生徒(東大医学部−−ー受験勉強の最難関)から、オウム信者が出たことを、大変、悩んでおられました。
オウムの朝原は、本来熱心な仏教徒なはずなのに、なぜ人を殺してもいいという、とんでもない教義にたどり着いたのか、という問題は、もちろん重要です。
それ以上に、このオウム信者になった人たちが、本来、魂と肉体の救済をするという、仏教の本義を完全に見失ってしまったことのほうが、もっと重要です。
人間存在、生きることの本義。 これを、忘れていると、全てがおかしくなります。
私たちは、一体、何のために存在しているのか。
国家、通貨、宗教、家族、科学、自治体、法律、お祭り、芸能、・・・・・・・。
こうしたものの、本来の姿、目的をきちんと教えておくのが、教育の基本です。
しかし、これが忘れ去られ、単純に、いかに金を稼げるか、
そのためには、社会のどの枠組みに入るか、そして、どんな資格が必要か、と、
金を中心に考え出すと、 本質からどんどん離れていきます。
出発点は、人間同士がどうやって調和し、天地自然のリズムに溶け込んで生きていくかということです。
通貨も、国家(法律)も、宗教(哲学・習慣・伝統など)も、全てそのための道具なのです。
私は、最近は、自分の存在すらも、一つの「道具」ではないか、と感じています。
自分の意思と違うところで、いろいろと体験させられ、考えさせられ、
右から左から、上から下から、トントン・ボコボコと小突き回されるように、仕立てられていくように、感じることが多いのです。
さて、夕べの勉強会。
そこで話したのは、今、日本が置かれている立場と、存在意義です。
結論をいいます。
今から、2千数百年前から、日本には、ユーラシアから多くの部族が入りこんできました。
最初は、きちんとした法律もなく、所有権も通貨もありません。
そうしたときに、この列島内で、仲良く暮らそうという、「意思」が、共有されていたと思います。自然との調和のみが、当たり前にあったのでしょう。
その意思が、次第に核に成長します。 その核となった意思を、いつもぶれずに感じられる存在がどこかにいたはずで、それを、ここでは、スメラミコトといいいましょう。
しかし、このスメラミコトの現実的ありかたや、物理的な影響力について、多いに紛糾します。
とりあえずまとまった段階が、 スサノウ・ニギハヤヒの時代と考えましょう。
しかし、そこでは文書で書かれた決まりはまだなかったでしょう。
そして、さらに、次々と多くの外来勢力が日本に入り込みます。
ここで、又、国内は乱れます。
そこに、「和を以って貴し」の仏教の教えが入ります。聖徳太子です。
このとき仏教は、本来の個人の救済から、社会(世の中という、実際の空間)の救済を目標に、日本列島に生きる人間に、言葉(文書)によって、一つの考えを浸透させます。
そこで、さらに、国家が意識されてきます。
対外的な、東アジアの大動乱に、この日本列島が巻き込まれないように、その危険性を知る人間たちが、ここに、大きな枠を作りました。
それが、大和朝廷でしょう。 藤原氏です。
核が、卵になりました。
そして、幼虫になって動き出しました。
律令制度を作り、通貨を発行し、仏教を統治の道具にし、
さらに多くのルールを作っていきます。
この間、
この枠の中に、どんどん世界中から、いいものを取捨選択して、取り入れていきます。
中国から、多くの文物習慣が日本に入りましたが、入らなかったものは、
纏足・宦官のほかに、「玉」信仰があります。
(科挙は、明治期に官僚体制として少し入ったにとどまります)
前の二つは、生物的に見て、異様です。
「玉」は、実は見えざる存在との交信器であり、その機能に関する情報は、
天皇家やその対極にある、山や海の民には残りましたが、庶民からは遠ざけられました。
(江戸時代、日本では、玉ではなく、木でできた根付が多く流行しました)
そして、明治になって、近代化が始まりますが、このときも、取捨選択し、
いわば「いいとこ取り」が続いてきました。
日本列島だけは、特別との意識の下、この幼虫は、どんどん栄養を取り続けて、脱皮をしながら、大きくなっていったのです。でも、這い続ける虫であることには変わりません。
空間の広さを知りません。 自由に飛び回る「楽しさ」を知りません。
いつでも、自分が入るべき「枠」ばかりを外側に探すことが習い性になってしまいました。
しかし、この日本が、これまでの栄養がもらえなくなりました。
入るべき「枠」もぼろぼろです。
これは、一体どうゆうことなのでしょう。
そうです、1990年から、日本は、蛹状態になっていたのです。
蛹の次は、羽化ですが、ここが大問題です。
自分が、本当に羽を持って、自分の力で飛んだとき、舞ったときの楽しみを、
まずココロに感じていない限り、蛹は羽化できないのです。
これまでの、二次元世界で、モグモグと食べていることしか知らない、
あるいは、それが最高の幸せと感じていてそれ以外の喜びが心に描けない人は、
ここで、羽化できないのです。
日本はこれまで、世界中から、取り入れるばかりでした。
羽化した日本は、実は、光の大放出となります。
その主役に、なれるか、それは、私たち一人一人の心が決めることです。
私の願いはいつもそこにあります。
ATTAC京都よりの公開質問状にお答えします。
Q.1 京都はどのような特質をもった都市であると考えますか? また、そのような特質をふまえて、市政運営の基本に何を置くべきか?
A.1 京都の特質については、基本的には、小生のホームページを見ていただきたいのですが、
http://mediacapsule.ne.jp/purplejade/
大和朝廷が成立する以前からの日本文化の中心軸であり、今後は、地球規模で展開する、「和」の精神の拠点です。
それは、人類だけによる人間同士の「和」は当然として、人類と他の生物や、さらに、形を持たない存在と「和」する際の実践の手本となるものです。(江戸時代に、全国に「小京都」が広がった)京都の町に生きているという「喜び」を毎日、実感できる町にする。人を喜ばせた分だけ、報酬がある。
善意がある限り、誰もが暮らせる仕組みを、市民が主体になって行政につくること。
Q.2 京都市では昨年「市民参加推進条例」が施行されましたが、市政への一層の市民参加をすすめるために、具体的にどのような施策をとるべきか?
A.2 政策グループ「京の風」は、147万人が住む京都に「結い」をつくり、そこでの意思が、最終的に市全体の行政予算つくりにまで、直接反映することを公約にしています。これほどの市民参加はないでしょう。
市民参加ではなく、市民主導です。 ホンモノの自治です。
マニフェスト(ホームページのカレンダーの直ぐ下)を熟読請う。
Q.3 経済のグローバル化が進行し、小泉政権が構造改革を進める中で、京都の地域経済再生のためには何が必要だと考えますか?
A.3 製造業は大企業も中小企業も、コストダウンと市場規模を考えて、中国に向かいます。今年からは日銀と人民銀行が一体化に動き出し、大アジア経済圏が数年内に誕生するでしょう。すでに、NECなどの半導体すら、中国企業との競争が始まっています。
大量生産を前提にするモノつくり競争を京都が続けるのは、愚の骨頂。一方、モノの「獲得」でない、自分が感動するココロを「味わう」生き方が広がっています。
そのとき、海外の人たちにはどうしても達成できない世界が、日本にはあります。それも京都に残されています。それは、人間同士のみならず、その人間本人がこの世の全ての生命と響きあうココロを、味わう空間でもあります。(日本の特質、和歌の効用)
普通の暮らしぶりの中に存在する感動を、生きたまま保存し、時間空間を越えて伝える、文化ソフトの世界です。
これは、四季のめぐりとともに日常生活で繰り返される、諸々のイノチの響きの感受と表出であり、 世代と地域を越えて継承されてゆきますが、その方法が日本に確立し、残っているのです。
人間は、一定水準まで物的環境 (ハード面の充足。これを私は、「文明のスタンダード」と呼んでいます。一人一部屋、冷暖房完備、通信と移動手段、蛇口からお湯が出る清潔な暮らし)が整うまでは、それらの条件を獲得しようと組織に埋没したり、本来の自分を見失って、肉体的にも擦り切れる(時には戦争をして)まで、競争を繰り返しますが、その状況に到達すると、それまでの、誰もが同じものを求める段階を通り超え、自分らしさを確認し、自分の世界を創っていく段階に入ります。
これは、かつては王侯貴族しかできなかったものです。
そのとき、ITが普及し、「いつでも・どこでも・だれとでも」 繋がる環境になります。そして、誰もが、自分の存在を確認できる世界を見つけ出そうと動き始めます。
「いまだけ・ここだけ・わたし(あなた)だけ」を大切にしてくれる、「きれい・気持ちいい・美味しい」世界。
これは完璧に、ハードからソフトへの転換です。京都は、これを市全域で、歴史性・物語性を持って、生み出すことができます。
Q.4 京都市の借金の残高は1兆円を超えるが、この財政危機の原因は何か? また、その対策は?
A.4 原因:中央の言いなりになった思考パターンと浅薄な判断力、そして、目先の金銭だけを見た、京都市運営者(行政・市議会・有権者)の志の低さ。
対策:対策は、マニフェストに書きました。人件費から入るのは、責任の所在を全市民で確認し、共有するため。
解説:バブル経済が発生し、それが破綻する1990年以前から、小生は、(この時点での)将来、こうした事態が来ないことを願って、真剣に警告し、実際に行動を起こしてきました。
1988年に商社を退社し、92年参議院選挙の東京選挙区(有権者数920万人)からの立候補の機会を利用し、日銀法25条まで持ち出してでも「一日も早い不良債権処理」を訴えました。しかし、このとき、政府は、あらん限りの権限、情報力、資金力、その他で、事態の糊塗、隠蔽、先延ばしを試み、それが「失われた10年」を生みました。
政府が取った対策は、
a.郵貯・年金を使った株価のPKO。(これで赤字拡大)
b.生保・銀行の永久劣後債(資本勘定できる)の発行。
c.アメリカの圧力を利用した、国債乱発による430兆円の公共事業の推進。
の他に、もう一つとんでもないものがありました。
d.地方自治体に対する、公共事業用地の先行取得「指導」です。
これは、下落する株と連動して下げ続ける日本の土地価格を、大蔵・建設・自治と財界(主に金融界)が、地方政府に借金させて土地を買い取らせることで、 地価の下落を防ごうとしたものでした。
京都の場合、こうした日本国中枢の大失政に、さらに、複雑な事情が加わりました。1992年に決まり、93年から10年間の時限立法となった、同和対策特別法です。 この法案は、同和関係者の生活改善と事業機会を増やすことを目的にしていました。
このとき、中央からの「指導」もあって、京都市は1993年から積極的に借り入れを拡大し、バブル破綻で事業見込みの立たなくなった事業用地を買い入れたり、さらに、地下鉄など公共事業を拡大しましたが、このとき一部事業者の優遇が始まった、 と聞いています。
戦後の経済復興が進む中で、劣悪環境に取り残された同和地域の皆さんの生活改善を目標に、国家として時限付で、法案が出されたことは、順当でした。
しかし、 ここでの問題は、国からの指示があったからといって、京都市全体が、無自覚な借り入れをすすめる一方で、公共事業や福祉予算・人件費の使途と 内実に十分な監査をしてこなかったことにあるのではないか。
金銭(マネー)は、それ自体が、新規に、社会的「富」を生む波及効果を持つか、それとも、ただ消費されるだけに終わるか、それは使う側の意思によります。
借り入れた資金が、 直ぐに富を生み出さないハードや、一部の人間による消費にばかりに向かってしまい、いかにしたら、京都の文化の保持・育成や、人間の暮らしぶりの豊かさに波及効果を持たらすか、を考えず、歪んだ形で、行政依存体質が定着してしまったのではないかと、危惧しています。
京都の再生は、そのまま、日本の再生になります。
Q.5 「京都議定書」採択の地、世界水フォーラム開催都市として、環境政策をどのように推進すべきだ考えますか?
A.5:マニフェストに書いてあります。
各地の「結い」=地域委員会によるリサイクル活動の推進を支援します。また、肉体・精神・空間について、不調和なものを見つけ、排除します。
水フォーラム開催地としては、環境(人体の健康保持も含め)関連の新技術の発見・発明を広く市井から拾い上げる、コンペテションの開催を準備します。
これは、特定企業の特定技術に補助金をつけるのではなく、どの技術が、どんな効用を持っているのか、そのありのままが、キチンと確認できる舞台を、公的機関である京都市が準備するものです。
どの技術を採用するか、どの技術に資金を出すか、その判断は、全て住民の主体的意思によります。
この決定を、これまで市の行政に食い込んだ一部の人間に任せきりになっていたことに、歪みの原因があったと考えます。
世に出すべき技術には、民間に退蔵されている1400兆円の個人資金や京都なら、仏教や神社関連の資金が流れれることを、期待しています。
一昨年、祇園祭りのためにと、遺言で17億円を寄付してくれたオバアチャンがいたように。
Q.6 京野菜、北山杉など、京都の農林業にたいして、行政としてどのような支援を行うべきと考えますか?
A.6マニフェストを参照ください。
山野(中山間地)の使い方については、ここで取れたものを、市場メカニズムで販売し、そのことで生計を得ようとするのは、基本的に無理があります。
又、この考えでは、一時的な過激な収奪と、不採算になった時の「放棄」が始まってしまい、どちらにしても、 自然と痛めるばかりで、持続性がありません。現状以上に、醜くなるばかりでしょう。
マドモアゼル愛との共著「大予言・大予測」(総合法令出版)の中で1997年に発表していますが、山野そのものの空間を、一つの舞台として利用する発想が必要です。
山間部の地上使用権の一部を、自然と芸術を愛する都市住民に譲ることで、管理代としての資金を得る一方で、彼らの汗(労働)を環境修復に活用します。
生態系を崩さずバランスが取れた美的な、生きたままの芸術作品として各山ごとに、全体としてどのように、作り変えるか、コンピュータでシュミレーションしながら、つくりかえて行きます。
山を、都市で販売し生産物を得る舞台とするのではなく、共有の命の現場として育みながら、なんらかの「感動」をえたり、自分自身にとってかけがえのない「繋がり」を確認する舞台に変えます。
文化は、都市部よりも、本来、山間部の方が、多くのバリエーションが生まれます。
荒れ果てた杉林や竹林が、透き通った感性に基づく、熱意と労働で上手に、「理髪」されて(人類は、地球生命の床屋さんです)、その山での暮らしごと、 芸術の舞台に変わっていきます。
合唱の山、出産の山、演劇の山、癒しの山、陶芸の山、など、その山の地形・地脈・風水・歴史性に応じて、多くのアイデアが出てくるでしょう。
Q.7 行政として野宿者への支援をどのように行うべきと考えますか?
A.7 本来、美的な芸術空間である京都市に、ホームレスの方たちが存在すること自体が、全く、恥ずかしいことです。これまでの為政者(一般市民も含めて)の、意識・哲学が問われます。
私の当選後は、各地域で誕生する「結い」の中で、いかに抱えるか、大いに、智恵を出し合ってもらわねばなりません。彼らは、日本国民として住民票はあっても、所得が少なく、そして、保証人もないため、マンションなどの賃料が払えない状況です。
しかし、何かの役立ちたいとの意欲はみんなが持っています。
京都では、基本的に、「いいことをしたら食べれる」体制にしたい、と思っています。
基本は、全て住民の主体的な意思によるのですが、私には、次のアイデアがあります。 又、これは即効性がありますので、紹介します。
たとえば:
(1)居住地域について、
市保有の遊休地・遊休施設を活用します。特に、ポンポン山を、自由芸術家ゾーンに変えます。まず、普通の市民もふくめ、ここにきたら、とにかく、何の縛りもなく、暖と食、そして安心が得られる環境を創ります。
何も求めません。
ただ、生きていることが幸せであると感じられる空間を作るのです。
そこに来る人には、これまで社会生活からドロップアウトしたとの意識もあるでしょうから、心のケアから入られねばなりません。ゆっくりと話を聞いてくれる人がいることが大切なのです。
そこでは、責任ある人間(この選出がもっとも重要)によって、まず、治安と衛生きちんと管理・保証することから始めます。
インデァアンテント(ティーピィ−)や、モンゴルのゲル(パオ)など、簡易住居などを自由を愛する市民とともに設置し、さらに、水源・エネルギー・農作物・衣料などを、できるかぎり、自分の手によって確保していきます。
仲間たちによって、人間としてお互いに尊厳を持って暮らす以上、一定のルールが生まれます。それをみんながやわらかく守りあいます。(大切なのは、誰も心に宿る良心を引き出す、思いやり空間が維持される仕組みを作り、それをこの地域にかぎり行政が認めることです)
その上で、出会った人を喜ばす、技(芸能・文学・保健・など)を、そこに集った仲間がお互いに学びあうことによって身に着けてもらいます。
お互いを認め合い、楽しく自己表現しながら、仲間で支えあって生きていくことが基本なのです。
その空間は、自然エネルギーや自然農法、民間に伝わる代替療法の、確かな実践場所ともなっていきます。その状況は、全世界に向けて発信され、これまで既得権をもった社会的強者の下では、世に出ることがなかった、いろいろな技術や個人の芸術的才能も、ここで生かされてくるでしょう。
(2)収入源について
「人を喜ばした分だけ、報酬がある」
この原則が生かされる舞台を作ります。最も分かり易く、間違いが起きないのは 「芸能」です。また、ここでは、その報酬が金銭である必要はありません。暮らしていくときに役立つ「ご褒美」や、自分の存在が確認できる「名誉」でもいいです。
これは、私の夢ですが、京都市役所前広場に、週末に常設の演芸舞台を設置し、ここで、腕に自信のあるものが誰もが台に上がり、パフォーマンスし、それを見ていた観衆が、その出来栄えや感動の度合いに応じて主体的自発的に、お捻り(投げ銭に相当する切符や札)などが、渡されるようにします。
私は、これを、「誰でもオンステージ」と呼びます。
海外から来た方たちも、「京都に行って人を喜ばしたら、とにかく食べれる、いいことがある」となったら、本当に素敵な町になります。
詳細は、お会いしたときに、お話します。
Q.8 在日外国人などのマイノリティーの政治的・社会的権利を保証するために、京都市政としてどのような取り組みを行うべきと考えますか?
A.8 地方参政権(市町村)を与えるべきと考えます。
ただし、条件があります。
合法的に入国し、一定以上の期間を京都市内に滞在し、京都市内の多くの住民から信頼を得、推薦と保証を受けることが条件です。
この条件については、全市的な検討が必要です。
Q.9 自衛隊のイラクへの派遣についてどのように考えますか?
A.9 反対です。 復興支援というなら、他にやり方はたくさんあります。
復興対象となる、インフラ関連事業の従事者は、現在、日本では不況にあえいでいます。(すでに派遣されてしまった自衛隊員は、現状でも軍服を脱いで、作業着に着替えるべきです)
国家は軍隊を持ちますが、地方自治体は軍隊を持ちません。それゆえに、現行の平和憲法を本当に生かすのは、自治体、なかでも市町村です。(県は、あくまでも、中央集権国家の代理人の立場です)
日本で、もっとも伝統ある都市として、京都市が全世界の市町村に呼びかけ、海外の危険地域の復興に関する、協力体制を纏めたいと思っています。
もちろん、経費その他については、世界中の議論・世論を喚起して、国際的な保証体制つくりを進めたいと思っています。
皆さん、こんにちは。
選挙は、ほんとにしんどいです。本来なら、テレビ討論が一番いいのですが。
これだと、既得権を持っている人間と同等になってしまうから、やらないのでしょうか?
小生の「マニフェスト」が、どこにあるか分からないという、指摘がありました。
このすぐ左の、カレンダーの下に、小さな枠があり、ここをクリックしてください。
さて、その下に、今度は、公開質問状に答えて、という欄ができる予定です。
ここでは、京都市内学生たちからの、質問に答えました。
相当、面白い内容です。 ほんの少し、待ってください。期待していいですよ。
あと、いつでしたか、「ヤクザ」の語源に触れたことがあります。
大和朝廷の支配に屈せず、当然、依存もしなかった人たちが出発点です。
自由を愛しながらも、仲間内では、強い相互扶助の精神がありました。
任侠精神の出発点で、私はその生き方が大好きです。
もちろん、暴力団が許せないのは当然ですが。
そうした、本来は自律・自立した集団が行政に取り入って金銭的な保証を得ることに、
存在目的が変わっていったとしたら、本当に情けない話です。
金銭は、あるモノを入手までの「中間物」であり、本来、
自分が他人を喜ばした分だけ、その見返りに、得られるものです。
今、国家財政が破綻状態です。
今年度予算では36兆円の国債発行です。
中央に金がない以上、地方が要求しても、これは減らされます。
ですから、いつでもその破綻がおきてもいいように、住民側が備えなければなりません。
過去の、行政の中に巣食った「闇」の摘発も大切ですが、その前に、
住民をこの崩壊から、守らねばなりません。
しかもそれは、一部の専門家が全てを企画できるものでは到底ありません。
地元の住民自身が、相互扶助のシステムを作り、きちんと対応していくしかないのです。
時間になりました。 この続きは又あとで書きます。 新井信介
18日のKBS「どうする京都」では、討論会に参加できませんでしたが、
番組冒頭に、インタビューを流してもらいました。
147万に「結い」を。
この言葉に、反応してくれた視聴者がいたようで、 bbsに書き込みがありました。
うれしいです。 さすが京都市民です。
本日午後4時に、立命館大学で、公開討論会です。
桝本さんがお見えになられないとのことで、ちょっと残念です。
もう事務所に向かう時間です。
24日までは、「政治活動」ができますので、パンフを配る要員が必要です。
25日以後は、「選挙活動」となります。
ポスター貼り、鶯嬢、講演会(「京の風」の場合、29日の北文化会館での文芸会)
が、主だった活動です。
一人でも多くと 出会いたいと思っています。
「新井さんは、なぜ京都、なのですか」
答えは、
自然と調和し、人間同士の対立を克服していった日本文化が、
京都を代表とする、かつての普通の暮らしの中に、凝縮していたからです。
文化は、人間も含め、イノチの響きを感じ取り、表現するココロの表れで、それは、
市民が暮らす、地元の繋がりの中から生まれ、定着し、発展します。
今、21世紀の人類社会は、
経済的には、先進国と途上国とで格差が広がりながらも、大競争に入り、
政治面では、これまでの強者に、「テロ」が襲っています。
貧困の解消(文明のスタンダードの達成)ができない限り、この恐怖は続きます。
国家大義を掲げた、行政の運営が、国から地方自治体まで、水ぶくれ体質であり、
この転換が急務です。
聖徳太子以前の日本は、 所有権の設定も、日本独自の通貨もありませんから、本当に緩 やかな部族連合でしたが、ここでも、多くの衝突もあったでしょう。
しかし、そこでは、 「相手を喜ばせた分だけ、報酬がある」という、
当たり前の、「物々交換」や「原始交易」が、日常生活の、取引の中心だったでしょう。
いかにしたら、相手に喜んでもらえるか、その一点から、毎日の生活を考えると、
今の日本のやるべきことは本当に多く、京都に関して言えば、地元の暮らしを復活しながら、
観光資源の掘り起こしがすすみ、「はんなり」が町に溢れてきます。
それは、日本全国の手本にもなるものです。
これまでの、国家中央の画一的な行政のままでは、それができません。
「国家」ができるときに、押さえこまれていた「声」を、拾い起こし響かせることで、この日本は、生まれ変わります。
国家に頼る姿勢がある限り、その声は皆さんの内側からも出てこないでしょう。
昨年6月です。
韓国の盧武ヒョン大統領が来日時、天皇は 「真実の歴史を探求し、両国の理解を深める」ことを求められました。 これは、桓武天皇の母に触れた「ゆかり発言」をさらに踏み込むものでした。
私は、この発言の後、仲間たちと伊勢神宮を参拝し、以下の歌を、披講しました。
「固まりし 大和の仕組み やわらいで 影とも遊べ 玉のひびきよ」
これまで近代国家を作り、経済的に富ませることに力を注ぐあまり、国家運営者たちは、個人の声・地元の文化・地域の繋がり・真実の歴史が、実は、人間存在の基本であることを蔑ろにしてきました。
今、国家運営が、地方行政まで含めて、硬直化していることは、誰もが知っています。
そうならば、これまでの国家の影の部分にこそ、未来を生み出す力があるのです。
現在の中央集権体制は、京都から天皇さんがいなくなってから出来上がりました。
それが、今、私たちの生活をゆがめています。
全ての影までを、「自分に響く悲しみ」として共有する、素敵な京都に生まれかわれるように、
願わずにいられません。 そのためなら、ーーーと考えている次第です。
17日は、広報の作成でした。
意義のあること、主張の深さ・的確さをもっとも大切にしたいのですが、
マスコミは、表面上の活動のみを追います。
今は、まだ、告示前で、この時期は「事前活動」なのです。
立候補立予定者の「名前」の連呼も、本来、違法です。
私たちがしている街頭活動も、政策グループ「京の風」の主張として、やっています。
これ政治活動です。
その内容は、「本当の自治を作ろう」です。
利権・既得権の、維持や組み換えでなく、 利権や既得権そのものを生まない社会システムに、市民全体で作り変えようとするものです。
それが、かつての互助機能「結い」の、復活です。
この意味が、どこまで分かっていただけるか、それが、本当の勝負です。
時間がありません。 あとで又書きます。
皆さん こんにちは。
昨日から今朝にかけて、日本国民にとって、本当に重要な時間が過ぎています。
イラクへの自衛隊派遣、そして、阪神大震災の記憶。
そして考えます。
国家や行政システムは、時には個人を守りますが、時には、個人を犠牲にすると。
国家は、軍事的暴力が基本となった、国際政治の中に揺れ、
行政は、国民(住民)のためといいながら、 担当者(役人)の生活(利権)確保が優先された ままになっててしまう、と。
何とか、変える術はないかと。
誰もが、国家や行政システムに依存していなければ、少なくとも、翻弄されることはなくなるのではないか。
それは、いかに強い個人に自分自身を作り上げるか、という課題となりますが、ここでさらに考えます。 現実の生活をどうするかと。
単なる自給自足では、孤立してしまい、人間として、保てないのではないかと。
一人で生きるのは、精神的、肉体的、物理的に簡単でなく、そこには、この世に生きる、本当の喜びがないと。
ここで、「自給圏」の考え方が役に立ちます。
人間は、一人でできることは限られていますが、自立・自律を目指す個人が直接、繋がって、足りないものを補完しあう関係ができると、強くなれます。
そうです、もっとも大切なのは、やはり、繋がりであり、結びつきです。
ただ、そのとき、心では繋がっているものの、同時に、むやみに踏み込んではいけない個人の大切な世界があることを、お互いが知っている、分かり合っている、という関係が大切です。
私も家族を持って、今、繋がりの大切さを、再度、実感しています。
そして、この繋がりに2種類あって、両方とも必要だと気づきました。
一つは、物理的なもので、普段、暮らしている現場の直ぐ近くにいる人たちと付き合いであり、
もう一つが、同じ志や世界観を抱いている方たちと知り合って、情報共有していることです。
いずれも、自分の自身の世界を創っていく、過程です。
国家や行政が揺れているとき、一体、自分の子供たちに何を残したらいいのか、何をどう教えたらいいのか、分からなくなってしまいます。
こんなときは、とにかく基本・原点に戻って考えるのが一番です。
私は、これまで、自分の講演会や勉強会で、こう話してきました。
「芸は、身を助すく」 は、誰もが知っていますが、 では、身を守るものは何か、と。
答えは、 礼儀でした。
つまり、 「礼は、身をも守る」 です。
ちょっと解説します。
動物好きのムツゴロウさんは、どんな動物とも仲良くなれますが、その秘訣は、動物との「折り合いのつけ方だ」といっていました。これは、動物との距離のとり方です。
近づいていいとき、離れていなければならないとき、これをいかに、察知するかですが、実は、そこには、礼儀で示される世界があります。
仁侠映画で、
「お控ぇなすって、お控ぇなすって。手前、生国、発しましては、ーーーー」とあるのは、
まず、自分自身の名前と素性を明らかにすることが、「仁義」の基本になっています。
「おぬし何者か、名を名乗れ」 ここから全てが始まります。
今、これまでの社会システムが耐用年数が過ぎ、歪みが溢れ帰り、単純な前例踏襲だけではどうしようもありません。
また、いかに変えるかを考えるときでも、変える人本人や、そのやり方に、どれだけ信頼を寄せられるか、ここが大きなポイントになります。
これは、すべて、心の問題となってきます。
お金持ちほど、あるいは抱えているもの(権限・役職・名誉・名声・権力)が多く、大きい人ほど、この心の負担が増えています。
アネモネという雑誌に、かつてこう書きました。
「礼儀正しく、約束を守り、口が堅い。 これさえできれば、必ず仕事があります。
まず、この3っつができれば、留守番のしごとがあります」 と。
何かを獲得しようとして、これまで才を競い合ってきましたが、そこでは、無理が多く出てしまいます。 自分を偽ったり、他人を騙したり、肉体を酷使したりです。
礼儀は、まず、その人の存在を認め合うことから始まります。
礼の漢字の元もとの意味は、「豊かさ」を「示す」と書きました。
生きている今に、生かされているという、心の豊かさがあれば、自然に礼儀を心がけるようになってきます。
そこで思い出す映画があります。 「ハンニバル」です。
この中で、主人公は、自分を追いつめたFBI捜査官に対し、一方では「私は無礼者は嫌いだ」といって何をしたか。 その一方で、どうして自らの腕を切断して、女性捜査官を助けたか、です。
「繋がり」と「礼儀」の問題は、それこそ、つながっています。
皆さん こんにちは
昨日15日、地元京都のテレビ局KBSのインンタビューを受けました。
このときの内容は、18日の夜に、放映されるようです。
(ただ、その番組では、他の二人の候補は、スタジオに招かれて討論するようですが)
私は、そのとき、「京の風」が主張する、「市民主導」の意味を中心に話しました。
これは、実は、これまでの国家主権、中央集権と反対の流れを作る、意識改革を促しています。
単なる、「市民参加」「市民とのパートナーシップ」は、これまでの官僚主導では、現実の諸問題に何も対応できなくなった事態に、 市民の声をききながら、自らのやり方を修正しようとするものにすぎません。
「官主導」の修正、補強では、何も変わりません。
この國の運営主体が、エリート意識を持った一部の人間に限られることには、変わりがありせん。
本欄の左に、「新井信介のマニフェスト」枠がありますので、ここをクリックしてください。
さて、前回の本欄で、「和歌」のことを書きました。
早速、京都市民で、「応援を表明」してくれた人がいます。
うれしいです。
日本では、 貴賎に関係なく、心に響く歌が歌えるものを常に上席としました。
(天下人となった秀吉が、どんなに歌の勉強をしたことか)
武力や策略に優れていても、歌がうまくないと、褒美が少なかったのです。
誰もの心に響く歌を歌えるということは、いつも、誰の心を慮っている証拠です。
キリスト教世界では、神の前に平等なら、
日本では、歌の前に平等でした。
明治以来の日本は富国強兵と殖産興業で、そこにあるのは、物的な、あるものを
「獲得」しようとする、国家的な競争でした。
「獲得」を主に国家運営がなされるとき、人々の心はどうなるのでしょう。
目的のために組織化され、国家にとって都合のいい「枠」に個人をはめ込むことばかりが
教育の目的なります。
戦後は、産業主体で、外貨「獲得」が主目的になりましたが、
今、このとき主役の大企業が海外に出て行くばかりなのです。
もう、「獲得」ではない、価値観を、もちましょう。
それは、生きている現場に、どのようなイノチの響きがあるか、又自分がいかに生かされているか、それを「味わい」、又、縁のあった人たちと表現し合って、それを再び、「味わう」ことです。
「獲得」ではなく、「味わうこと」。
応仁の乱後の京都の町衆が、実現していたのが、まさに、四季のめぐりの中で、自分の世界を創り、味わい褒めあっていたのではないでしょうか。
地球64億人、日本1億2千800万人、京都147万人。
地球はとか、日本はとか、京都は、とかいった場合、どうしても、メディアに影響された、
観念の中で、ぼやけた議論なってしまいます。
しかし、自分のすぐ身の回りの生活の部分なら、そこには、いつも真実があります。
それを、日々新たに、変えていくことでしか、実際に変革はありません。
それが、国家の権威を借りたトップダウンで強制(行政指導)されてきたのがこれまででした。
過去と他人は変えられない。
でも、未来と、今の自分なら変えられる。
64億分の一の人類社会、1億2千800万分の一の日本、そして147万分の一の京都は、
実は、私たち自分自身なのです。
自分の意思と行動によって、過去のままで停滞することも、大きな花を咲かすことも、
どちらにもなります。
全ては、人間一人一人が、創り上げているのですから。
まず、自分の生きるもの目的を、「獲得」から「イノチの響きを味わうこと」に
変えて生きたいと思っています。
先ほどの歌ですが、美智子皇后の 歌の最後に、 「に」が落ちていました。
すみません。
幸くませ 真幸くませと人々の 声渡りゆく 御幸(みゆき)の町に です。
そこで、この歌をよくみて、再度、うれしくなりました。
なんと、「幸」が三回も歌われているではありませんか。
そしてさらに、
今現在、私たちが事務所を構えているのは、京都市役所のある、御池通ですが、
この御池通と御幸町(これは、ゴコマチ、とよみます)通りが、交わったところです。
しかも、私たちが入っているビルの名前が、美幸(みゆき)ビルです。
とても便利なところです。 ちなみに、
「京の風」の本部は、烏丸通り鞍馬口(電話075−414−2006)ですが、
公開事務所は、 御池通り御幸町(電話075−257−1239)です。
日本の和歌が1400年の伝統を持ち、しかも、この短歌の57577の形式が定着し、
変わりませんでした。 この定型にこそ、大きな意味が有ったといえます。
私は、1999年に伊藤一夫氏が主催した、「星と森」国際短歌大会に参加しましたが、このときは、英語部門として、音節によって57577の定型詩を、こちらが出した題のもとに世界中から公募しました。
そして、入選歌を、グレゴリオ聖歌の曲調でオペラ歌手が歌うことで、賞賛する儀式を執り行いました。
そのとき、日本語のみならず、この英語でも大変な感動をもたらしました。
まさに、「歌の神様」が降りてきた、といった感触を誰もが持ちました。
宮中での歌会始と同様、その国際短歌大会でも、会場の式次第の進行は、声を一言も発せず、読司の所作のみで、進めてゆきました。それを私が担当しました。
全くの静寂の中で、次に何が行われるのか、そしてどんな歌が歌われるのか、を参列者全員で固唾を呑んで、歌が始まるのを待ちます。誰もが耳を真剣に澄ましているのです。
そこに、初めに「---ということを読める歌」と、解説したあと、
意味が正確にわかる尻上がりの強い節回しで、講司がまず、歌をそのまま詠み上げます。
なるほど、こうゆう意味か、とわかたっところで、今度は、披講が始まります。
これは朗詠とは違います。(朗詠は、漢詩のものです)
披講は、歌に読みこまれた作者の感動の響きを声に出して、その響きで、その空間にいる出席者全員に、作者の心を体感できるようにするものです。
歌になった言葉を目で追うだけでは、ア、そういう意味か、と簡単に軽く流されてしまいますが、まず、全く、音のない沈黙の世界で、司会役の所作だけを見ながら、どんな歌かを、心待ちしている状況が、まずあります。
そこに、よく通る声で歌がまず読まれ、 これだけでも十分に体に染みてきて感動的ですが、 それがさらに、独特の低く抑えた腹から出た声で、歌の響きを味わうべく唱和されます。
これは参列者全員がまず意味が分かったあとに、今度は、その作者にその歌を作らせたときに入り込んだ、感動の元=「歌の精」が、再び、披講者の声の響きに乗って出てくるのを、味わうものです。
これは、生のものに限ります。
私が体験したのは、宮中の歌会始を模したものでしたが、間違いなく、
「歌の精」、「歌の神様」が、出てきて、その空間にいるのが分かりました。
日本では、大和朝廷ができてからあとも、勝ち組、負け組と、争いは絶えなかったでしょう。
立場上は、どうしてもいえないけれど、歌にして、その思いのたけを表に出し、それをこころの表れとして感じあっていたのです。
その歌に歌われた思いの深さを、頭だけでなく、体中で、しかも、そこに出席した誰もが感じられるように、空間中を、歌を歌ったときの心で溢れ返させる、その方法が、この歌会だったのです。
「悲心抜苦 慈心与楽」
いかに、悲しみを抜くか、それは、悲しみの共有以外ありませんでした。
勝者であっても、悲しみはあります。まして、敗者の悲しみは、どのようにして伝えるのか。
日本が、なぜ、世界中から多くの部族が集まりながらもひとつになれたのか、
そして、中国の唐という強大な国家に文化的の飲み込まれることなく、独自の文化とアイデンティティを創り上げたのか、日本語とともに、この和歌に「大きな秘密」があったと考えられます。
京都では、ぜひとも、自由な歌会を、多く開きたいと思っています。
興味にある方は是非、ご連絡ください。
あと、拙作ですが、今年、初めて詠んだ歌です。
朝ぼらけ 紫雲たなびく 初春に 誰も彼もが 花と咲くらむ 信介
歌会始の日です。
今年の披講は、若手の講司(歌を読み上げる人)の声が通っていたので、とても楽しめました。
両陛下の歌が、やはり、心に響きます。
人々の 幸願ひつつ 国の内 めぐりきたりて 十五年経つ 天皇
幸(さき)くませ 真幸(まさき)くませと 人々の 声渡りゆく御幸の町 皇后
この二つの歌は、先に皇后の歌が披講されたあと、陛下のお歌が三回唱和され、今年の歌会始は終わりました。 これで、宮中では正月の期間が終わったことになります。
歌の意味は、きわめてシンプルです。
陛下のご病気のご快癒を願い続けていた皇后が、町のゆく先々で、天皇陛下のご健康を祈っている声を耳にして、治られて本当によかったと、喜んでいる歌です。
そして天皇が応えました。
自分は、日本国民の幸せをねっがて、日本中を旅してきたが、十五年になったと。
ここには、ほのかな安堵感が感じられます。
ご在位15年。平成時代は、バブルの絶頂期に始まり、その後のバブル処理が進まず、
失われた10年を日本国民は体験してしまいました。
私が、1992年の参議院選挙に東京選挙区から出たときには、日銀法25条のと特例措置を持ち出してでも、一日も早く不良債権を処理せよ、と主張したものでした。
それが、徹底的な隠蔽、糊塗、先延ばし、責任のがれが、中央集権のトップダウンでさなれました。
しかし、この間、陛下は、ずっと国民の幸せを願っておられたのでしょう。
2004年からは、新たな区切りです。
もう、中央集権の時代ではありません。
ならば、地方がいかに 自律・自立するか。 それに挑戦です。
これから、その具体策を書いていきます。
24日まで、このHPにお付き合いください。
新井
みなさん、こんにちは。
今日午前11時に、マニフェストを市役所内にある記者クラブで発表しました。
内容は、とにかく、「自律・自立」と「財政再建」です。
これまでの「官」主導のトップダウンでは、活力が生まれず、財政赤字もなくならない。
いまこそ、「民」が主導しなければならないとして、
147万人が住む都会に、「結い」=地域委員会の結成を促す、ものとなっています。
また、財政問題を前面に取り上げ、なかでも市職員には、予算よりも少ない額で質の落とさないサービスを行って資金を浮かせたり、この民主導の地域委員会の趣旨を浸透させることを、人事考課に入れるとしました。
これは、政策グループ「京の風」の一貫した姿勢です。
また、人件費の2割カット。そして市長給与は、一年目から4割カットです。
子供や孫に、どのような世界を残すのか、を考えたときに、
やはり、財政は破綻させるわけには行きません。
人間は自分自身の世界をつくるためなら、進んで汗をかきます。
しかし、経済が発展するにしたがって、直ぐ身近な人たちとの繋がりが消えて、
自分自身が汗をかくべき、自分自身の世界がどこにあるのか、見えなくなってしまいました。
ボランティアやNPOに参加される方は多いのですが、この自分の世界を現実に創っていく、という考えまでは、なかなか結実しませんでした。
これは、個人(家庭)が地域社会でバラバラになり、しかも、行政の意思決定過程が、
遠くになってしまったためです。
そこで、各個人や家族が、自分自身の生活圏を意識できる範囲で、
隣近所の人と一緒になって、未来を考え、目の前の問題を共有していくと、
そこには、現実を理想に向かって変えていく、手ごたえと活力が生まれます。
具体的内容は、別途、このホームページで、別欄を作って乗せる予定です。
ほんの少し、お待ちください。
あと、明日は地元テレビ局のインタビューを受けることになっています。
全国の皆さん、是非、冬の京都に遊びに来てください。
本当の自治が、京都から始まるかどうか、是非、見届けください。
皆さんこんばんは。
さっきまで、「海外の応援団」を書いていましたが、小さな間違いがありました。
「虫になる」は、 「無私になる」 でした。
もちろん、虫の気持ちにも人間はなれます。
時には、自分自身がいやになり、虫けらのきもちになってしまいますが、
それでも生きている。
そうです、生きていることが、何よりも宝なのです。
でも、一人だけでは存在は確認できないから、誰かに認めてもらわないとね。
だから、どんどん、いいことしようよ。
でも、そのとき、周囲の人間から、なかなか気づいて貰えないかもしれませんが、
それでも、やり続けましょうよ。
花はなぜ咲くか。 なぜきれいに咲くのか。
いつ来てくれるかも分からない、蜂や虻に、花粉を運んでもらうためです。
少しでも気を緩めたら、他の花に行ってしまうかもしれません。
精一杯、咲き続ける。
自分の存在は、いいこと精一杯し続けようとする、花ではないでしょうか。
もし、分かってくれる人に出会えたら、本当にうれしくて震え上がってしまいます。
さてさて、「京の風」の基本政策についてですが、
これは、まさに行政に携わるもの全てに、「無私」になることを求めることから始めます。
時代遅れになった制度を使い続け、その中で、何とかして自分に向けての資金を捻り出す、
これがこれまでの政治の目的でしたら、この国は美しくなるはずはありません。
まして、行政、すなわち、「お上」から、いかに多くの資金を引き出すか、それが、
人間の器だなんて、そこから漂ってくるのは、腐臭のみです。
京都は、全員、心の中に、強い自分の世界を持った人たちが集まっています。
人間は、自分の世界を作るためなら、人間は進んで、汗をかきます。
そして、その世界を理解してくれる人や褒めてくれる人と出会うことを、最高の喜びとすることができます。
なぜなら、その時こそ、自分自身の存在が確認できた瞬間だからです。
今、日本中で、国も地方も大赤字です。
財政改革が急務ですが、これまでの政治が、資金を配ること、そのものが行政の目的となっているとしたら、大問題です。
どんな世界、どんな世の中にするのか、それが本来、先にあって、次に人を動かすエネルギーである、資金が必要となってきます。 きちんと人が動けば、 別に、お金でなくてもいいのです。
行政でつかわれる資金は、税金か借金であり、本来、それは私たちの市民の「人間の汗」の塊です。 その自覚が、失われているとしたら、これは、大問題。
市民の皆様と一緒に、きちんとした流れがあるのか、まず、見つめましょう。 そして、おかしな点は正していきましょう。
皆さん、こんばんは。
現在、京都市長選挙のマニフェストの最終稿を作成中です。
メディアの方たちからも、「斬新なものを」と、声をかけられていましたが、
そうなりそうです。
13日の午前中に、市役所の記者クラブで発表します。
翌日には、ネットであげます。
楽しみにしてください。
さて、1月6日から事務所開きをしているのですが、この正月にはうれしいことがありました。 オーストリアから、手紙が届いていました。
内容は、 「(自分の住む)バデイシュウまで家族で遊びに来なよ。
ウィーンに日本人の漆職人がいるから紹介したいし」
というものでした。
差出人は、Marks S Habsburg とありました。
前回ヨーロッパに行ったのは新婚旅行のときで、このときはオーストりーにはいっていませんでした。 アメリカ人の友人が持つパリの邸宅に泊まり、さらに商社マン時代の後輩が住むブリュッセル、そして、イタリアでした。
今、毎日、結構、しんどいのですが、これで楽しみができました。
オーストリーは、スイスと並んで永世中立国です。
ハブスブルグ家は、第一次世界大戦のあと帝位を降りて、現在は大半の財産が共和国の管理になっていますが、文化的な権威は今も保ち続けています。米ソ冷戦時代に、ヨーロッパが分断され、アメリカ文化が入り込んだことをとても嘆いていました。
1989年11月に、「ベルリンの壁」が壊れましたが、このきっかけは、ハンガリー在住の
オットー・ハブスブルグさんが、東ドイツ国民をハンガリー経由、西ドイツに入国させるヨーロッパピクニックを企画し、それに、多くの東ドイツ国民が流れ込んだためでした。
手紙の主のマークスは、こうしたことはしないシャイな性格ですが、文化を本当に愛している御当主です。
このマークスとの出会いは、日本の短歌がきっかけでした。
1999年5月に、私の畏友のマドモアゼル愛(本名、伊藤一夫)氏が主催した国際短歌大会で私は読師という進行役をしていたのですが、ここに出席していたアメリカ人ジョージ・ピタードが、その荘厳さに感動して声をかけてきたのが始まりでした。
ジョージは、1980年代後半にヨーロッパ社交界を取り仕切った男でしたが、
ブラックマンデー後の金利上昇でビジネスを止め、日本に来て英語の臨時講師をしていました。私と日本文化とヨーロッパ・アメリカ文化の違いを話しているうちに、親しくなり、若くして両親をなくして以来、親代わりになっていたエクソンのオーナーのオバアチャン(この人がパリに家を持っていた)を初め、多くの西欧社会の友人を紹介してくれました。
私はそのとき、京都の写真集を何人かに送ったのですが、このマークスがもっとも喜んでくれました。 特に、禅や空、侘び・寂びについて、私になりに解説したのですが、興味を持ってくれたようで、 依然、住んでいた湯河原の紫玉庵にまで、直接、電話をくれるほどでした。
1999年から2001年にかけて、多くの西欧社会の友人ができましたが、
彼らの日本文化への憧れは大変なものでした。
自然と一体化した、自分自身の世界。
自分を包む大宇宙(マクロコスモス)、 自分の体にある小宇宙(ミクロコスモス)、そして、自分の心が創る精神宇宙(マインドコスモス)、 この3つが、一つの響きで、共振し合うような、
美の世界が、日本にはあります。
日本の文化は、インド人の得意とする心の中だけ世界でも、 一つのテーマを持った個人の自我から始まった西欧の文化でも、そして、その場の「物の怪」との交感のみを楽しみとする、アニミズムでも、ありません。 これらがすべて、溶け合って、しかも、一つの美として完成しているものです。
そこでは、自分が虫になることもあれば、死んで肉体をなくした、霊や魂との交信までも、
美の表現に加わっています。
これを、京都の町全体で、ぜひとも繰り広げたい。
新井信介が、なぜ京都にこだわったか。
それは、京都にこそ、ホンモノの世界性があるからです。
大和朝廷は、それを日本列島のみに押し込めました。
もう21世紀です。もう一度、地球大に開きましょう。
そうです。 その中心の聖地は、 八坂神社なのです。
今日は、十日エビスの最終日。
ちょっと書きすぎかもしれませんが、お許しを。
でも、本当に、地球全部に広がる平和、(それには、見えない世界の応援も必要ですが)、
を、実態のあるものとして、この京都から広めていきましょう。
私はどんなことがあってもやりますからね。
またまた、一日空けてしまいました。 すみません。
9日から「十日えびす」が始まりました。
京都は、観光が、なんといっても、主役です。
もちろん、小泉内閣になって打ち出された「観光立国」の中心となるところです。
明治以来の、モノの豊かさを追った文明の時代は、東京が中心でしたが、
今は、ココロの充足、感動のありかを探す、文化の時代です。
何かを得ようとするのではなく、お互いが感じ取った喜びを、生み出し、褒めあい、味わいあう、素敵な空間をつくることで、この文化は多くの形となって、色鮮やかに、咲き誇ります。
権力者によって上から与えられるものにばかりしたがっていると、 発想が画一化され、
自分自身がどんな花を咲かすことができるのか、考えることもできなくなります。
若くて元気のいいうちは、まだ、それが、「疼き」となって、現れますが、
これまでのやり方に慣れてくると、その「疼き」が内側からおきても、自分自身で麻痺させて、
全く何も考えないまま、流されてしまいます。
まず、生きている今に、楽しい、うれしい、そして、きれい、気持ちいい、美味しい、と
「感じる」ことが、全ての入り口です。
京都を、本当に、感じあえる町にしたい。 そして、みんなを、褒めあえる町にします。
エビス顔で、誰もが暮らせる町。
皆さん一緒にやりましょう。 これから、「京の風」の考える未来ビジョンを書きますからね。
「天皇はんが、すすんで住みたくなる町」に生まれ変わらないといけません。
京都という147万人が暮らす大都市に、元学区を中心にした「結い」が復活することで、
一体何ができるか、町全体がどう変わって、経済的にも潤っていくか、この道筋を書きます。
それこそが、実は、日本の構造改革の行き着く先です。
現在マニフェスト作成の最終段階ですが、その基本は、ここにあります。
みなさん おはようございます。
昨日1月7日は、京都御池の事務所で、久しぶりに皆神塾を開きました。
昨年11月以来です。大阪方面からも友人が来てくれました。
皆神塾は、自分の内側に全ての根源神の響きを自覚し、
自分が自分の世界の創造主であることを求めます。
自分の外側に、何かを求めるのではなく、内側に全てを見つけます。
そして、自分でビジョンを持ち、他者を喜ばす行動を求めます。
また、宇宙は、有限であり、そして同時に、無限と考えます。
これは、私たちが永遠に膨張し続ける風船の中にいる状態と考えるからです。
そのとき、 その風船の内側から見ると、空気の噴き込み口がある一方、私たちが立っている大地があります。
そして、 私たちは、心の中では何でもできますし、そして、この現実の世界では、自分を取り巻く環境を、共通の設計図(ビジョン)にそって協力・分業して作り変えていくことができます。
そのとき、最初の設計図は、本来、自分自身が持っているはずです。
そしてさらに 「出したものしか返ってこない」、
これが宇宙の真理とすれば、この人間社会でも、一つの法則が、生まれます。
「日々であった人を、常に喜ばせばいい。」
そして
「自分のすぐ周囲の手の届くところから、より快適な、調和の取れた環境を創ればいい。」
しかし、このとき、
生きている今に、自分が不幸と感じている人間には、人を喜ばすことはできません。
よって、生きている今に、いろいろな喜びを味わい、それを形にして出し続けることを、
心がけています。
例えば、大金持ちになって、大きなお屋敷を建てたとして、訪ねてくる友達もいないような人生は意味がありませんし。 逆に、誰からも愛される人間になることで、いろいろなところから招かれることになります。
資本主義の最終段階は、マネーで現された「富」は大きく偏りますが、 人間は、一定以上のものを所有すると、それ以後は、心の問題となります。
日本は、すでにこの段階に入っています。
そこで、教育の現場も考え直さないといけません。
特に、理想とする人間像のタイプ、モデルについて、競争で勝ち抜くチャンピオンを求めるこれまでのやり方のみでは、大きな欠落が生まれています。完全に時代に合いません。
如何に自分の世界を創るか、そして出会った人を喜ばすか、
この一点に集中してはどうでしょう。
そして、人を喜ばした分だけ、ご褒美(これは金銭とは限らない)がいただける当たり前の
社会システムを考えましょう。
そして、私たちは、自分の物事の判断の前提や、発想の出発点になっているものを、徹底的に見直しましょう。
たとえば、個々の法律がいかにしてできたか、国家はどのようにして成立し、富を蓄えたか、通貨や宗教はどのようにして生まれ、いかにして信用を勝ち得、社会で定着していったか、など、 すでに、当たり前のものとして存在しているものを、その起源を考え、自分とのかかわりを意識して、行動しましょう。
21世紀に、パラダイム・思想的枠組みの変換が起きる、とこれまで指摘されていましたが、いまだに、その変換された後の枠組みが見えてきません。
戦後のアメリカ覇権は、もう終わりの過程に入りましたが、 世界がグローバル化すると同時に、「文明の衝突」が、私たちの道かな生活でも意識されるようになっています。
しかし、ここで見逃してはならないのは、これまで国家大義や宗教正義によって、個人に多くの強制がなされましたが、これがどんどん薄らいでいます。
今回の自衛隊のイラク派遣(私は反対ですが)も、自衛隊員は拒否もできます。
現在の状況は 「圧制からの自由」を求めるものには、これはうれしいことですが、
逆に、上手に飼いならされることによって御褒美を得ることを楽しみにしている人間には、
ご主人様から、好きにしていいよ、といわれだしているわけで、どうしていいのか分からなくなってしまいます。
まして、これまでのご主人様が、まともな判断ができないとしたら、もはや、自分で考え行動するしかありません。誰にも危害をつけずに、お互いを認め合い、花を咲かせあえる関係を、自分の判断と行動によって、作っていくしかありません。
昨日は、そんなことを再確認しました。
それから訂正です。
下鴨神社の「糺の森」は、京都に都ができる以前からあった、原生林とのことです。
訂正して、お詫びします。
私たちは、太古から続く原生林を守り残した、先人の思いを、引き継がねばなりませんね。
そこで考えました。
この森は、 レバノン杉を奇跡的に残した、森に似ているなと。
レバノン杉の森は、内戦のさなかでも、この森だけは残そうと、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の異なる信仰の人たちが、唯一、ひとつになれる空間でした。
部族抗争が続いた、大和朝廷以前、この「糺の森」が、きっとその役割を果たしたに違いありません。 またまた、京都が好きになりました。
またまた、一日飛ばし。 申し訳ない。
さて、わが故郷の知事さん。 田中康夫さんは、病床から、ビデオメッセージで、長野県の名称を捨てて、全国的に知られている、「信州」に変えると宣言しました。
しかし、これが実現するには、まだまだ、県民の投票や、総務省の手続きが必要です。
さて、この「長野県」、実は、長野県内の長野と対抗意識の強い、松本・諏訪・飯田といった、地域ではかねてから不満が募り、評判が悪かった。
その点、信州の呼称は、イメージの上で長野に偏った行政を広くバランスを取ることになりますが、田中知事は、ここでは、信州県とは言わず、信州自治共和国とまで言っています。
しかし、そこでも、まだ、自らを「知事」と呼んでいて、これでは、まだ不徹底です。
知事とは、実は、中央集権で集めた税金を、中央が決めた計画に基づいて、中央の権威によって、市町村に再分配する役割です。
「知事」と名乗る以上は、実は、「自治共和国」の責任者とは、相容れません。
本来なら、「国王」がいいのですが、選挙で選ばれたからそれもおかしい。
ならば、「執政官」とするのがいいかもしれませんが、私の感覚からすると、 今、田中知事の考える、コモンズの責任者からして、「護民官」が一番です。
ただ、この「護民官」は、本来、行政の中でも、一番身近にある枠組みの責任者であり、
その人が、県の代表では、合いません。
市町村の首長が、本来、これにあたります。
一方、今の市町村の長はというと、実は、改革派と呼ばれる県知事さんたち以上に、中央を向いています。
全国に3300もの市町村があります(現在は合併ブームです)が、自分の地域の経営が、自分自身の力だけではできない仕組みが、明治維新以来ずっと続いていたため、 何をしていいか、まともに判断も行動も、できないのです。
すべて、中央の計画に従い、積極的に組み入れられ、そこで中央の資金に負ぶさることを、目的してきた、市町村が多かったのです。
中でも、さらにひどいのはのは、まともに、財務管理、会計監査も行われてこず、
まるで、一部の人間、すなわち行政と議会、そして「圧力団体」や、いわゆる「有力者」のみが、この、地方の熱意と中央の計画に参入し、自分仲間内の利益の確保だけを求め、過大な財政赤字を生みながらも、全くのその責任を感じずにいました。
青森のアニータ事件や、高知の収入役事件は、実は、市町村が、経営能力がなかったことを意味します。 しかし、経営能力が、なぜ生まれなかったといったら、それは住民=選挙民に、 主権者としての「当事者意識」がなかったためです。
さらに、そうなってしまったもう一つの理由は、そうしたことまで本来意識できるはずの、有識者層が、東京中心の経済システムに組み込まれすぎて、地方行政は、首都圏に生きる人間との収入格差を埋め合わせることが、第一目的になってしまったためです。
地方が、本当に「自立」出来るか、それは、単純な金銭だけのものではありません。
もっとも大切なのは、自分自身で、未来像を設計し、その実現のために、自分で進んで汗をかくことを当然とする、「自立」の前にある「自律」の意識なのです。
自分で、自分の生き方を練り上げ決めていく。 この課程がもっとも大切なのです。
しかし、日本列島に暮らす住民には、大和朝廷の律令システムができて以来、「お上」に逆らわない精神性が、深く強く根付いています。しかも、そこでは、常に「水戸黄門」のごとく、善政を敷いてくれる統治者の登場を望むばかりです。
(占領軍のマッカーサーに感謝状を送った人間が、たくさんいたのが日本国だったのです。つまり、この精神性を知っていれば、どんな手段をとってでも、一度でも権力者になったら、何でもできる、「勝ち」との認識も持ってしまうでしょう。 少し、余談になりますが、昨日発売のサンデー毎日では、交際費問題を公約にしたはずの石原知事による、都庁私物化を告発していました。)
大和朝廷以来、統治する人とされる人との、絶対的な区別が生まれ、明治維新以来の近代化で、それが加速しました。 明治維新の勝者である「長州」の関係者は、戦後も続いて、「統治者」として官僚とともに中央の計画を作り、、一般国民はそれに「滅私奉公」しました。
戦後はその奉し先に、さらに、アメリカが加わりました。
しかし、今、その弊害が、とんでもないレベルに来ているのです。
それは、単に日本に国内だけにとどまるものでないことは、皆さんもお感じでしょう。
だから構造改革です。
ここでは、 「国=中央官僚がだめだから、県知事連合が日本を変える」 との認識自体が、
日本の変革の本質から、全く外れています。
誰かに、未来像を描いてもらい、それの実現のために、一生懸命働きます、ご褒美をたくさんください、という意識が残っているのでは、何も変わりません。
自分が暮らしている、今の、生活の現場の未来をどうするのか、まずみんなで考え、今抱える問題をみんなで共通認識とし、その対処方法を、みんなで意見を出し合って決めていく。
それを取りまとめ、経営資源を使っていくのが、本当の自治です。
私は、応仁の乱の後、権力者ではない当時の町衆が造り直した「京都の町」に、その記憶が強く刻み込まれている、と確信しています。
長野ではなく、実は、京都がホンモノの自治共和国になる。
皆さんと、一緒に実現しましょう。
ps:
私の生まれた長野県中野市は、明治維新直後、明治政府が、真っ先に知事を置いた町で、中野県庁が在ったところです。しかし、中央の強引なやり方に反発した、北信濃の人間は、この中野県庁を焼き討ちしました。 そして県庁は、善光寺のある長野に移りました。
参考ですが、その善光寺も、元は、この中野市にありました。 市内の中央にある南照寺は河東善光寺と呼ばれています。 善光寺サミットが開かれたときに、それぞれの寺が持っている、ご本尊の仏像を持ち合い、これを鑑定しましたが、この南照寺の物が最も古く、関係者は驚いています。
実は、中野市には、天竜寺を建てた夢窓礎石が若いときに修行をした常楽寺もあり、ここは、奈良仏教ができる以前からの、仏教聖地だった可能性が高まっています。
まず、皆様に訂正です。
葵祭りは、5月ですね。簡単なウッカリ間違いです。
三大祭を間違えるとは、ナサケナイ。
8月は月初に祭りがなく観光客が減るので、昨年は、七夕祭りを復活させよう、という民間の催しがあり、私はそれに参加しました。 これと、頭の中で、混線したようです。
さて、日本のどこに高天原があったのか、です。
それを乱したのが、スサノウでした。 スサノウは、外来です。
ウルム氷期のあと、世界中で大洪水が続き生きるのがやっとの部族ばかりになりました。
そのなかで、宇宙や自然のリズムと一体となって生きるは、本当に難しくなる中、 日本列島だけは、そうした情報がキャッチし易い空間が残っていました。
大陸が、シャーマンなどの特殊能力者が感知した情報に頼っていたとしたら、日本列島では、空間そのものが透明で、天空の情報を誰もが受けやすかった。
そう考えると、これは高天原になります。
文明の発祥地、これには多くの説がありますが、
「牛頭」というのでしたら、 これは、バール神であり、 角があった、となります。
これは下鴨神社の御祭神につながりますね。
その角のある大王は、角がアンテナだったかもしれません。
しかし、高天原にいればどうでしょう。誰でも角に頼らなくても、自然と、そこにある情報を読めばいいだけになります。 そって自然現象やその舞台そのものが、聖なるものとなります。
外来の大王が来る以前、日本列島の神は、実は、山そのもの、あるいは岩そのものが、神が降臨するところ、と記憶されていたでしょう。 上賀茂の神山は禁足地です。 また、奈良の大神神社が有名です。
雷や蛇が、神の使いともなっています。
日本語を話す人が、自然音を左脳で聞き分けるのと同じく、日本語をきちんと話す暮らしをしていると、自分の生活の場に、自然と調和できる空間を作り出せます。
これを実証してきたのが、日本、なかでも京都の暮らしでしょう。
地域ごとに、全く違った、神社やお寺、そしてお祭りを持ちながら、全体として、統一できていたのは、どこか、スサノオさんの働きと似ています。
私は、「人類は、地球生命の床屋さん」と言ってきました。
人間は、生きるために、必ず、何かの生命を傷めなければなりません。
そのとき、刃物が使われます。 しかし、それはより美しい、地球環境を作るためのものです。
奪い合いの時には、人間すらも、殺しあいましたが、うれしい事に、21世紀は、
相手を如何に喜ばすかの、「喜びの生みあい」の時代です。
今退治しなければならないのは、相手が喜んでいるかどうかも、考えずに、まず先に、
自分の取り分はこれだけだと、主張することです。
まだ大和朝廷ができていない時、土地の所有権も通貨もなかったとき、そこでは、
完全に物々交換でした。 海彦山彦の世界でした。
ここでの基本は、相手を喜ばすものを届けあうことでした。
このとき、領土の枠が必要だっただろうかというものです。
スサノウは、 絹のプランテーションや、開墾されて領土が特定された稲作に反対しました。
もし、同じく生きる現場に、良心のネットワークができていたら、 領土や資産は、不要なものとなってくるでしょう。 自分を本当に喜ばしてくれる人間と繋がっていれば、 何も不安はありません。
昨年夏、ヨーロッパは大熱波でフランスでは多くのお年寄りがなくなりましたが、
きちんとネットワークの通信網ができていたところでは、死者が出ませんでした。
21世紀にスサノウが生きていれば、まず、情報機器を使って、地域社会の問題をすぐに共有できる情報システムを作るはずです。
京都は、日本でも有数のお年寄りの多い街です。
やるべきことは本当に多いです。
さて、すでに新年も4日目になりました。
私の場合、2月8日に、どのような運命が待っているのか、大いに楽しみですが、
一つだけはっきりしていることは、この「京の風」は、それ以後も続くということです。
京都に住む人にとって、私の出馬に対して、3っの反応があるようです。
すでによく知っている人には、「これは面白い」と。
最近知り合った人には、「迷惑だ」と、
そして、未だに、よく知っていないからは、「誰、それ?」という感じです。
まあ、これからです。
京都には、日本の問題が全て凝縮して存在しています。
しかもその問題が多くの痛みを引きこすことを知っているがゆえに、そうした痛点に決して触らないような、気遣いが氾濫しています。
私の存在は、その痛点をあぶりだしながら、その痛みを消そうとするものです。
まあ、この真意が分かってもらうまで、道のりは厳しいかもしれませんが、あきらめません。
さて、久しぶりにスサノウの話です。
関西には、京都・滋賀・福井と、明らかに朝鮮半島の百済・新羅・高句麗の風習を引き継いでいる、神社、そして寺院も多いです。 これは、大体、応神天皇から天武までの期間です。
中国で言えば、三国志が終わったあとの、晋の時代から、北魏、隋、唐までに当たります。
物証があるのにそれが反映されていない歴史を学ぶことが、若者をいかに現実の文化から目をそむかせるか、これは、大問題です。
明治維新以後の歴史教科書は、いつも、「ーーーの影響を受けた」という都合のいい言葉を使ってきました。
また、中国については、国家を上げた遣唐使事業が何回もあったため、単に「影響を受けた」というより、学びに行ったと、書いています。
しかし、実際はどうだったのでしょうか。
あれは、明らかに、これは、中華(中国)に対し、日本の支配者が、統治の方法を学びに行ったのが、正解であり、それは、日本列島が間接的ながらも実質的に、唐王朝の支配下だったのではないでしょうか。 そして、このとき、仏教が統治の道具に使われました。
(東大寺の大仏、国分寺、興福寺の阿修羅。 さらに皇室の御寺の泉涌寺に、なぜ楊貴妃観音菩薩があるのか、などなど。)
大和朝廷を作った日本の支配層は、中国の政変の影響を受け続けますが、海で離れていたために、多くは、貿易上の実利の増減や、亡命者の受け入れといった形になります。
また、 圧倒的な漢字文化が入ったにもかかわらず、これを巧みに飲み込んでいます。
太古から陸続と流入する各部族の言語が、ひらがな・カタカナで表記され、漢字の持つ意味に重ね合わせ、それぞれの漢字を幾とおりにも読み下しています。
これは、 日本に入り込んだ外来勢力が圧倒的に、男が多く、先住の女性と通婚し、その両者の間にできた、子供が、いつも母のオッパイを飲んで育つことで、母が使っていた言葉が残っていきました。 だから、日本語には、世界中の古い言葉が残っているし、これは、私たちの遺伝子の8割が外来であり、ものの見事に混合されているのと、同じです。
一方、朝鮮半島はどうでしょう。中国政変の影響は、よりダイレクトに受けてしまいます。
李氏朝鮮が、日本とは反対に、完全に仏教を捨てて、儒教にこだわったのは、中国で易姓革命によってどんな政権が生まれようとも、その正当性は、孔子の子孫の一族のお墨付きによって決まるため、先回りして、国を挙げて、儒教を国家に広めておくことで、少なくとも中国の新政権に潰されることはないという、懸命な知恵でした。
その点、日本は逆でした。 中国の易姓革命の功罪両面を知る、藤原不比等が、天皇家から姓を消します。朝鮮半島からきた部族や、あるいは、それ以前の1000年以上前から、いろいろなルートで日本に来た者たちの中から、天皇を中心とした統治者階級に加われるものを、組み込んでいくために、それぞれの過去の英雄物語を、建国神話の中にちりばめていきます。
万世一系は、ここに完成です。
秦の始皇帝が、夢見た、「不老不死の(王朝の)命」が誕生します。
これは大変な知恵です。 不平分子がいる家系の中から、皇太子妃を迎え入れれば、どんどん平和裏に統治者の家族になっていくのですから。
このとき、不比等は考えたに違いありません。
国家を壊さずに、いかにまとめていくか、分裂を避けるか。 そして、国家としてのシンボルの創出となります。 建国神話と、伊勢神宮の創設です。
(イザナギ・イザナミの、母系性から父系性社会への転換も、このとき固定化したのでしょう。 これは、日本国内の領地の策定とも重なったでしょう。
明治期に、日本の天孫神話を補強するために、奈良の橿原神宮が造営されたのも同じ発想です。
さて、ここで、アマテラスの弟に、なぜ、スサノウがいたのか。 これは、機織や稲作が全国的に始まる以前に、日本に来ていた「大王」の記憶です。
それは、新参者が始めた絹の生産や、領土を画定した稲作つくりに、noを言った物語ではないでしょうか。 少なくとも、共有地がどんどん切り取られていく結果になったのは間違いないですから、これに怒った人はいたはずです。
しかし、そのスサノウが高天原を追放されたあと、今度は、ヤマタノオロチを退治して、クシイナダヒメを救出する英雄にになって、 再び建国神話に登場します。
この時の建国物語は、天武が自分の正当性を補強したり裏付けるためにあります。それは、彼が記紀を書かせるずっと以前、この日本列島に、散り散りになっていた、代表的な8つの部族がいたことを意味し、それを纏め上げた大王がいた事実を反映しています。
不比等が律令制を完成したあとにも、そのときの大王の記憶が、この日本列島には、鮮明に残っているため、 姓をなくした雲上人たちは、その大王の血縁か、あるいは、強い縁を引くものとしないことには、、「大和」が完成しなかったのではないか、と考えられます。
ならば、その8つの部族を、まとめたのは誰か。
スサノウは、一旦は、高天原を荒らして海外に出されましたから、戻ってきたのは、その子供か孫に当たる人物を考えると、ニギハヤヒとなります。
この神様を祭るのは、物部系の神社であり、玉置神社であり、特に、新潟の弥彦神社は、ニギハヤヒ本人が畿内から移った場所だ、とするのが、愛知県の大府の加古藤市の説です。
私は、昨年、アカデミー賞を獲ったアニメ映画「千と千尋の神隠し」で、このニギハヤヒ(映画では、ニギハヤミ)の名前が出たことに本当に嬉しくなりました。
京都に八坂神社があるのですが、八坂は、弥栄とも書きます。
また、8に関係するのは有名なものに、ヤタガラス そして ヤクザがあります。
ヤタガラスは、天皇家の守護役であると同時に監視役です。なぜか。
部族連合の協議のもとに選ばれた天皇が、おかしな判断をしないように、CIAみたいに情報を入れたり忠告したり、あるいは、諌めたり、どうしてもおかしなときには、お隠れ願ったりしてきたのが、彼らの役目でしょう。
このヤタガラスが今、日本サッカー協会のマークになって全世界に飛躍しています。
日本の天皇家の問題が、単に日本だけの問題の時代ではないという意味かもしれません。
そういえば、今朝のTBSで、日本国憲法、特に9条の今日的意義を触れていました。
そして、もう一つ。 日本文化の一つの形でもある、ヤクザです。 しかし、今ではホンモノが、少なくなりました。 どうも、この語源は、「八草」のようです。
大和朝廷ができた後の統治機関に管理されているのが「民」ならば、 管理されないものは、「草」と呼ばれていました。 例えば、忍者のことを、指したりもしました。
国家の統治を嫌った人たちで、堂々と生きていた人たちが、ヤクザでしょう。 つまり、国家の行政に、依存したり、巣食ったりしない本当の自由人で、仲間内では強い互助精神がありました。
各地の生活に密着した日常の課題(治安・躾と教育・町の美化・扶助組織・お祭りなど)で、行政からは足りないところを、現実の必要面から、補っていましたから、彼らは、堂々と、一家を構え、名前を掲げていました。
日本のヤクザは、なぜ、表札を出しているのか?これは、中国・イタリア・アメリカなどのマヒィアや警察には理解できないことでした。
全く成り立ちが違うのです。 ただ、その「ヤクザ」が、「任侠」を捨ててしまったのでは、これは存在意義がありません。 国家や行政を、商人と組んで食い物にするのは、本来、あってはならないことなのです。
しかし、それでも尚、不思議なのは、スサノウはなぜ、大海原(海外)に出たのかです。
「高天原を乱した」というのは、さらに、以前の記憶の反映ではないかと思えるのです。
それが、シュメールであり、「スーサの王」です。 ここに、牛頭天王が生きてきます。
それは、また明日。
2日付けの日記を是非書きたかったのですが、一騎当千の友人たちに新年会に誘われ、二次会のカラオケで帰りが遅くなってしまいました。
京都の正月。
2日の朝は、すぐ近くの上御霊神社を参拝した後、 下鴨神社に行ってきました。
その後、正午にいつもどおり四条河原町に出たのですが、とにかく人が多く、
「京の風」のパンフを渡すのにも、通り過ぎる人が、前後左右から足早で来るので、うまく渡せません。昨日は午後4時に街頭にたったのですが、今日はその5倍は人が来ていたでしょう。
さて、「スサノウの真実」になかなか入れないのですが、
今日行った下鴨神社には、秘密がたくさんあります。
これも、きちんと書きますが、
明治天皇(即位前の祐宮睦仁)が、ここの細殿(ほそでん)で中山慶子(よしこ)から生まれていること。 −−−−つまり、孝明天皇暗殺や天子すり替えの真実を最も知っている神社であること。
また、私たちが普段食べる、甘辛味の御手洗(みたらし)団子は、ここの御手洗池が語源であること。
ここの御祭神の主役の加茂角身命(ツネミノミコト)に、「角」があること。
社伝では、玉依里姫との間にできた、別雷(ワケイカズチ)が、上賀茂神社に祭られていて、下鴨神社のほうが古く伝えられていますが、 神社を見るとき御身体が、上加茂では、「神山」というすぐ背後の山であり、これは日本にある神社の中でも、相当古い形式です。
これと、同様な位置づけなのが、下鴨では 「御手洗水」となります。
私には、どうも、雷を祀っていた部族の上賀茂の地に、後から、水を祀る部族が、来たとしか思えません。 これは、奈良の葛城山周辺から来たのでしょう。
しかも、その神域は、「糺(タダス)の森」で守られてきました。この森は、人工林ではないか、と思われます。
つまり、 旧約聖書の「乳と蜜の流れる地」との記述があるように、
この下鴨神社に、毎年8月、御所から天皇名代である、斎王代(女性)が挨拶に来るのが「葵祭」です。
葵祭りは、八坂神社ができてから後、仏教が定着してから後に、始まっています。
いかに、大和朝廷が、それ以前にいた、豪族たちに気を使っていたか、その証拠が、現在も、生きた実例として続いています。
やはり、ここにも、 「悲しみの共有」があるのかもしれません。
遅いので、「又書きます。」
PS: 平等院は、藤原道長の子供の頼道が建てました。
皆様、明けまして おめでとうございます。
今年は、日本が変わる年でございます。
それも、京都最大の聖地、八坂神社から、大きな渦が巻き起こります。
なにとぞ、このホームページは、1月24日までは、毎日、書きますので、一人でも多くの皆さんに覗いてもらうように、お言葉添えをお願いします。
さて、今日の元旦は、妻子を残している、宇治の宇治上神社神社を参拝しました。
この神社は、応神天皇と、その二人の息子(本当は各部族と通婚し10名以上いたが)の
ウジノワキイラツコ と オオサザキの命(後の仁徳天皇)の三人を祭った神社で、国宝です。
宇治は、藤原道真が別荘を建てたところに、平等院があり、これは10円玉の図案にもなっていて、有名です。 しかし、「欠けるところもない満月」のような栄世を築いた道長が、なぜ、この宇治川の河畔、それも、宇治上神社の対岸に、別荘を持ったのでしょう。
また、その地に、息子の頼道が建立したのですが、その動機は、父の道真が、あまりに苦しんで死んでいったために、あの世での成仏を祈るためでした。
その平等院は、京都方面から奈良に向かうときに、宇治川の向こう側に、朱色に美し輝いて
鳳凰のように見えたようです。
平安貴族の大好きな色彩は、「緑紫丹紺」といわれました。
この前半の「緑紫」平等院の内壁を飾っていました。
実は、大地に萌える植物の緑を、黎明に出る、紫の光が守っているさまを意味します。
紫は、どんな命を守る色でした。 高貴なものも、そうでない傍若無人の振る舞いの人物でも、等しく守る色が紫でした。英語では、purple と violet に使い分けしていますが。
平等院の外壁は、朱色と、紺色に塗られていました。
これは、実は、一日の生命の営みが夕日の中に溶け込むさまに、全ての生命の根源に帰一するイメージを持ちました。 武器すらも溶かすのは、熔解するさまが、紺色となります。
都人にとって、道長ほどの権力者でも、道長ほどの権力者だからこそ、世事を離れて、この宇治の地に、いつも休息に来ていました。 宇治は、もう一つの別のカルマの地、「別業(べつごう」の地と呼ばれてきました。
宇治は、郷土史によると「憂し」が語源とされていますが、これは平安時代のころの話です。
実際は、 この地方を最初から、ウジと、呼んでいたのではないかと考えられます。
この発音に、「莵道」とか「宇治」の漢字を、後から当て(これは多分、欽明から斎明の間でしょう)、さらに、悲劇の皇太子、ウジノワキラツコの物語を重ね合わせ、「憂し」なります。
日本書紀にある、ウジノワキイラツコと仁徳の物語は、応神天皇による、統治と後継問題が原因です。 応神天皇が日本に来た当時、日本では末子相続が主流でした。多くいる皇子の中でも、このウジノワキが最年少で、しかも聡明でした。
しかし、応神天皇は、自分が制圧したこの畿内地方に、百済から、儒教の王仁博士を招いて、儒教原理による統治を目指します。 もちろん、各豪族の女性との間に生まれた皇子たちは、熱心に学ぶのですが、そこでは「長幼の序」が強調され、長子相続が基本でした。
大王が生きているうちは、問題はないのですが、 亡くなると、ウジノワキの即位に反対する、声がおき始めます。 その筆頭は、 現在の奈良県に本拠を置く、大山守の命でした。
しかし、彼の謀反を、別の兄のオオサザギ(後の仁徳)がウジノワキに密告し、ウジノワキは、宇治川に浮かんだ船の船頭に身をやつし、これを討ちます。
悲劇はここからでした。
大王死後のそろそろ次のスメラミコトの即位の時期だと、今の大阪湾、難波から漁師が、祝福の鯛を届けに来ますが、ウジノワキはこれを受け取りません。 難波のオオサザキ兄さんに届けて欲しい、と送り返すと、オオサザキも受け取れないとして、ワジノキの元には、3度、その鯛が届きました。 宇治と難波では片道50キロ以上ですから、当然に、「鯛は腐っていました。 その腐った鯛を見て、ウジノワキは、もうこんなことしてはいけない。 日本の秩序つくりに、王仁博士の教えは必要で、それに合わない自分が即位はできないとして、自ら、命を絶ちます。
そして、仁徳の治世が始まります。
ウジノワキは、あたかも、自分は肉体のない側から、このクニを治める、兄さんは肉体のある側で、治めてくれといっているようです。 私は、この物語が好きです。 それを記念しているのが、国宝の宇治上神社です。
道真が、 この神社が見える宇治川の対岸に、別荘を構えた理由も頷けます。
しかし、実際は、こうした美談だったのか、不明です。 宇治天皇と記載された風土記もあり、仁徳が強引に退位させた、とする見方もあります。 このとき、戦わなかったため、以後、勇気のないものを、 「うじむし」と言ったという説もあります。
さらに、ウジノワキに討たれた大山守ですが、大和朝廷に、戦前までズットしたがって来ないで、戸籍を持たなかったサンカと呼ばれる人たちが日本にはいますが、 三角寛は、この大山守の勢力がその起源ではないかといっています。
さて、今日の元旦。 少し遅れて、四条河原町にたちました。
自衛隊のイラク派兵に反対する、若者が声を上げていましたので、スピーカーをほんの少し、貸しました。
実は、今日、小泉さんは、靖国神社を参拝したとか。 もちろん、韓国と中国から猛抗議です。これは、彼が総理に就任以来続いています。 参拝するのも、それを抗議するのも、それぞれの国の政治的なショーになりつつあります。 もちろんは当事者は真剣です。
しかし、 この問題が解決しない限り、東アジアに真の一体化、精神面でも支えあえる経済圏が生まれません。 これは、 実は、 先の戦争に関して、いまだに、明らかになっていない、大きなタブーがあるためで、ソノ真相が出ないうちは、日本と韓国・中国の摩擦は永遠に続きます。 誰かが解かねばなりません。
さて、こうした靖国と同じような問題が、渡来系の豪族たちが覇を競った、大和朝廷以前の時代に、多くあったのでないか、と推察されます。
日本書紀の最初に、イザナギとイザナミの国生み神話がありますが、女性から、婚姻をもちかけたところ、体の弱い、ヒルコが生まれたので、流したとあります。
そして、男のイザナギから申し出ることをやり直して、天御中主が生まれます。そして国が順調に発展します。
実は、この物語には、母系性相続では、きちんとした強い国が生まれなかったという意味が込められていたのでしょう。 記紀が編纂される天武の時代以前、日本は、豪族同士の争いが絶えません。また、激変する東アジア情勢の中で、多くの豪族が行き来します。
この点をもっとも詳細に追っているのは岡山大学の小林恵子教授です。
つまり、 日本が、国家として、まとまりがなく、フヤフヤだったと、不比等たちは感じたでしょう。 そこで、自分たちが大和朝廷をつくるときには、きちんと統一したシンボル、そしてどの豪族にも傾かない「姓のない位」を作ります。 さらに、
宇宙の運行や仕組みである、「法」ではなく、
その御位の方が作ったルールとその命令とする、「律令」が生まれます。
そこで、この八坂神社のことです。
このご後祭神が、牛頭天王だと、すでにお伝えしました。
実は、中国に秦の始皇帝が登場する以前にいたもっとも有力の豪族が誰だったかです。
それは、 バビロニアの捕囚から開放された、ユダヤ12支族のうち、黄金の子牛像を偶像崇拝する人たちではなかったか、ということです。
ユダヤ人は、強い血統主義で、母方のみを正当とします。
この八坂神社に、蛭子社があるように、秦の始皇帝以前、日本には、相当多くの、渡来人が来ていました。 しかし、いずれもきちんとした国家にはなっていませんでした。
聖徳太子が登場し、初めて国家として隋に認定され、そして、天武になって完成したといえます。
そうなると、蛭子=ヒルコは、まだ未完成の国家状態といえます。
京都の北部、天の橋立の付け根に、籠(この)神社と真那井神社があります。
これは明らかに、葦舟に流されたモーゼを意識しています。
モーゼの記憶のあるものが、最初にこの日本列島に国を立て、それを、天武が固定化した。それが、記紀神話の骨子とすると、分かりやすい。
では、肝心のスサノウはどこにいるのだ。 これが問題です。
今日はここまで。
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