大晦日です。 夜は、田中神社に向かいます。
昨夜は、水戸黄門(徳川光圀)と松尾芭蕉のことを調べているうちに、
寒くなってきたので、布団にもぐりこみ、そのまま眠ってしまいました。
今朝は、11時過ぎに起きたのですが、雪景色でした。
去年の大晦日は選挙を控えて、わいわいやっていたことを思い出します。
今、息子が言葉が話せるようになり、家の中は、結構にぎやかです。
今回のスマトラ沖地震・インド洋大津波は、これまでとは全く違う何かを、
私たちの心に刻んでいます。 死者の数は、12万人ですか。
人為による、戦争という悲劇を起こしている場合ではないですね。
とても、他人事ではすまされないでしょう。
地球規模の変異は、百年或いは千年、そして1万年と、周期的にも訪れますが、
これに人為の要素(化石燃料の過剰使用)と、宇宙の要素(フォトンの密度増加)が、
今は、重なっているのでしょう。
昨夜、芭蕉の日記を少し読んでみて、彼の周波数に同調した所為か、
今、流れている地球の空気の「神々しさ」を感じています。
人間のこの世の営みは、個人にとっては限りない「重さ」をもっているのですが、
それと同時に、この地球に四季を作りだしている、宇宙の意志の前では、
「軽さ」ばかりになります。
まるで、宇宙意志という「大巨人」に、睨みつけられた「蟻」のような存在です。
踏み潰されるのも、生かされて、この世に残っていくのも。
そこで、思い出すことがあります。もう20年以上も前のことです。
今春、亡くなった太田博先生が1980年に泉岳寺にあるアンナ会館で開いていた
「アンナ哲学ゼミ」でのことです。
ここには、言霊と『ツキヨミ』のやり方を教えてくれた長野博先生も来られており、
私に、「『巨人』の本当の意味を知っていますか?」と、問いかけた事がありました。
巨人(ジャンアント)の言葉の意味を、G・I・ANT(God I Ant) と読み砕き、
「私が、蟻を見つめるように、神は私を見つめている」と、教えてくれました。
God looks at me as I look at an ant.
「淘汰」が始まったのでしょうか?
それは、人間同士による、単なる弱肉強食ではありません。
富める者も貧しき者も、賢き者も愚かな者も、正しき者も偽りの者も、
一体、誰が残っていくのか、それは分かりません。
でも、そのときでも、ただ、ひとつだけ、言えることがあるのではないでしょうか。
自分自身が生きている今に、何で自分は、ここにいるのか、
その自覚はおろか、問いかけすらしないものは、
人間としての存在が、どんどん、薄まっていってしまう、ということです。
これまでの文明で、人間が作った社会システムが一見、磐石で周到に見える
ために、マスメディアや風評が作り出す、時代の「空気」が、却って気にかかり、
本当に大切なことが、意識されないままでいます。
塵芥のような空気に簡単に流されながらも、
私たちは、とりあえず、生きてはいけるわけですが、
これに身を委ねたままで、何ら主体的に生きていないと、覚悟がない分、
神から見た「軽さ」が、さらに、極まっていくのではないか、と。
こうゆう時代に、自分自身に、どんな未来が来るのか、分かりません。
それだけに、生きている今に、多くのお気に入りの体験をして、
心のハードディスクに、「生きている証」を刻んでいきたいと思います。
「人生とは、イノチのヒビキを、味わうこと。
私のイノチも、出会ったもののイノチも、そのヒビキを味わいあうこと。」
年賀状を出し、おせちの具を買い、やっと年の瀬らしくなりました。
スマトラ沖大地震。津波の被害者の数が、7万人を越えると。
しかも、多くの遺体は、身元も確認されないまま、やむなく、荼毘にふされると。
行方不明者の家族にとっては、つらく、悲しく、たまらない気持ちと察せられます。
そこでは、どんな言葉も、まるで意味を成しません。
生きているものが、伝染病などの二次災害に遭わないために、
「やむをえない措置」といいます。
確かに、この世は、生きているもののためにあります。
その分、生きている人間はこの肉体を使って、次の現実をどう、築いていくか、です。
肉体があっても、誰かと心が繋がっていなければ、あるいは、全くの孤独であれば、
これは、死んでいること以上に悲しいことです。
常に、つながっている意識を、持ち続けて、毎日を生きていたいと思います。
今年は、世界中で自然災害が多発しました。
スマトラ沖地震では、死者は5万人を上回るようです。
ご冥福をお祈りします。
被災地の人々は皆、口にします。
「なぜ、全く罪のない人間の命が奪われるのか?」
これを、中国の聖哲の表現で言えば、「天道、是か非か」となります。
人間社会の道徳観に基づくカルマとは、全く違う次元で、人間個人の生死が
決まってしまう現実が、時として、私たちに、厳然と襲ってくるのです。
精一杯の努力をしても、その「運命の時」が、いつ、どんな形で来るのか、
それはわかりません。
(これは、普通の占いを遥かに超えた次元で、襲ってくるものです)
それだからこそ、常に、生きている「今」に、自分の心を刻み込むしかないのです。
自分らしく、お気に入りの自分で、自分自身が誇りになるように、毎日を生きる。
死は必ず来ます。いつ来るのか、それは分かりません。
心の中で、こうしたい、こうなりたい、と願い、そのために、きちんと計画を立てて、
毎日、その予定を着実にこなしていても、それが達成される時もあれば、
志半ばで、尽きる時もあるでしょう。
人によっては、死の向こう側の世界まで勘定に入れると、そうした人間の生死に
ついて、もっと納得のいく法則を、いろいろと見いだすことができる、といいますが、
死後の世界のことについて、生きている私たちが、心を煩わすことではありません。
生きている今は、肉体を以ってできることをすればいい。ただそれだけです。
この世の現実で、自分らしく生きることに集中する以外に、何が出来るでしょう。
日本文化は、この生と死が出会う「際」・・・時に中間領域という人もいますが、
この生死の間(はざま)に、生きているときにもいつも心を向かわせること、を
最大のテーマとします。
「能」がそうであり、「武士道」もそうです。
その間(はざま)に「生」から向かうことで、逆に生きている自分、特に肉体を
持って、今という時代に生きている自分の「尊さ」「ありがたさ」が分かります。
地球的規模で、自然災害が起き易い状況にあるのは、確かです。
ごく普通の日常が、いかに、貴重であるか、また、そこにしか、ホンモノの
幸福はないと、いつも思っていますが、この感覚はさらに重さを増すでしょう。
日本人、そして日本の社会は、マネーを追うのでなく、あるいは、
多くの観光客を迎え入れたり、多くの商品を生産するのでなく、
ただ、当たり前の毎日の中に、生きていることの喜びが実感できる、生活空間を
もっと、上手に鮮やかに創り上げる方向に、もう転換すべきでしょう。
私は、明治以来の近代化・工業化・国家主義は、21世紀の今となっては、
大規模災害や組織犯罪に対する危機管理を除いて、もはや、
なんら幸福を生み出せないと考えます。
生きていることが、それだけでも、ありがたいのです。
そう感じたら、生きている時間を、すこしでも、もっと美しく生きたい、と思います。
「美」という字は、残酷な文字でもあります。
「羊」が「大きい」と書きます。
「羊」は、犠牲です。
自分自身を何かに捧げる時に、本当の光が出るのでしょう。
私の場合は、それが何なのか。
この冬至で、一旦、区切りが付きました。
これからは、現実を創る中に、自分を投げ出すことになります。
いつ、どんな運命が待っているのか、分かりません。
今、生きていることのみが、真実であり、それだけが全てです。
まあ、あせらずに、ゆっくりと、進みましょう。
新年まで、もうあまり時間がありません。 しかし、掃除もなかなか進まず、
また、年賀状も。
本当は、やることが多いはずなのですが、午前中に、大納言から電話があり、
「面白い人物が、今、桂の自宅に来ているから、これから宇治に連れて行く」
といって、「光の出る竹」の作家の七谷亜紀彦さんを、私に紹介してくれました。
一見、松崎茂ふうの甘いマスクの人でしたが、とても精悍な人物です。
二年参りを控えてか、宇治の喫茶店は殆ど閉まっていましたが、
宇治橋東詰めの通園が開いていたので、そこで、いいオヤジ三人でお茶です。
そのとき、七谷さんの作品の写真集を拝見しました。
感想 ・・・・ 驚き、そのものです。
竹に内側から、強い光を当てると赤い光になることに、50年前に当時10歳の
七谷さんは気づき、その感動を忘れられず、以来、この光の虜だったといます。
乾燥した竹を薄く削ったり、そこに小さな穴を開けていくことで、
竹を通過する光によって、いろいろな模様が生まれます。
しかし、それは単なる光のオブジェではありません。
全く新しい生き物の誕生といったほうがいいでしょう。
その製作過程は、生きている竹と、一つの宇宙を作る、真剣勝負とのことです。
バチカンからも、作品の制作が求められているとのことですが、
当然でしょう。
誰でも、欲しくなります。
昼は、何気ない普通の竹が、暗闇の中では、宇宙を生み出しているのですから。
お住まいが熊本の高森とのことで、今後は、お付き合いも深まりそうです。
また、ひとり、素敵な人物とのご縁が出来ました。
感謝です。
冬至が過ぎましたが、ここ京都の宇治では、雪をまだ見ません。
高千穂での空の色が、3月のように明るかったことも驚きでした。
初めて九州に行った6年前とは、全く様変わりです。
さて、最近の自分の勉強会では、よく、
「すべてと繋がっている感覚があるから、逆に、
自分に任されたものとして、個体生命として自分の肉体を自覚できる。
しかも、想像と創造ができるのは、まさに人間だけのもつ機能。
その大切さを再確認しましょう」 と 話します。
そして、「この世には、どうも、3種類の人間がいるようです」と続けます。
「一つ目は、 生み出す人。
二つ目は、 奪う人。
最後は、 奪われる人。」
生み出す人とは、自分の内側から感じる、喜びを元に素直に動きまわり、
どんどん生産活動をしたり、必要なサービスや快適な環境つくりを進める人です。
自分が生きている「場」で、いろいろなものとの「繋がり」を意識すればするほど、
この「生む」という機能が活性化します。
その点全く逆なのが、「奪う」です。
これは、自分で生み出さず、誰かが生み出したものを、
武力で力づくで奪うか、騙して奪うか、そのことにのみ集中する人です。
その人の意識は、常に、一点に集中していきます。
最後は、目標物に向かって、いつもレーザー光線のように一直線になって、
人を刺すものになっていくでしょう。
そして、奪われる人は、誰かに自分の財産・地位・時間・場所を奪われまいと、
防御的になり、自分の守備範囲を決め、心は、ますます、閉ざされていきます。
最後は、厚い鎧で覆われたような、ガチガチの精神状態になっていきます。
「奪う人」「奪われる人」ともに、自分と他者との間には大きな分離・隔絶があります。
いかに相手の持っているものを奪うか、それは、相手を収奪の対象としますから、
「口」で何を言おうと、極めて、冷酷な差別意識があります。
そして、世の中にはそういう人間ばかりだ、ときめつけてしまう「奪われる人」は、
自分が持っている、僅かなもの、時間・空間すらも、何とか、守ろうとし続けますから、
とてもではありませんが、「全部が繋がった、ひとつ」を感じることはありません。
「奪う人」「奪われる人」にも、 それなりに、喜びはあるのでしょうが、
その喜びは、いつも一瞬のものです。
その点、「生む人」の喜びは、生もうとして「繋がり」を感じているときも、
また、お気に入りのものを「生み出したとき」も、すべて喜びで溢れます。
生きている今に、とにかく、「生み続ける」こと、これが一番です。
それは、自分の自身の喜びを形にしていくことです。
人間の精神の内側は、汲めば汲むほど、新しい清水が湧いて来る「井戸」の
ようなものです。
既に手にしているものでも、抱えてる暇があったら手放して、今を楽しんで、
どんどん、自分の内側から汲みだした方がいい。
喜びを「生むこと」に集中するとは、生きている今に、全部をとり込むことで、
本当に楽しい。
私は、これを続けます。
よく投稿していたBBSに、以下のことを書きました。
ここの主催者は、「橘」の研究をしている方です。
−−−−− QTE −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
乙姫さん、こんにちは。
冬至ツアーが終わりまして、これから、「大和開き」の本番です。
さて、ヒルコ(胡・夷・蛮・狄・戎・蛭子・恵比寿)とは何か、ですが、
「記紀」が書かれた時に、それ以前に、日本に入り込んでいた、
失われた十支族の総称ことでしょう。
あえて、「吸血虫」のヒルを、登場させ、それ以前に日本列島に登場した
王権の「脆さ」を象徴しています。
「記紀」に示されたヒルコとは、明らかに、「国つくり」については、失敗した、
もしくは、骨のないもの(・・・不完全なもの)しかできなかった人間の象徴と
なっています。
そこで、考えられるのは、この日本列島での、王権に伴う、権力継承のことです。
地球上で巨大なピラミッド型の権力が生まれる前は、シャーマン体質を伝える
ため、どこの部族でも、基本的に、母系制でした。
これは、現代でも宗教団体(例えば、大本)や、ユダヤ人社会に続いています。
父系制の誕生は、国家権力とともに世襲財産が生まれた時に始まります。
日本列島に卑弥呼がいた頃、これは母系性です。
当初、中国の皇帝(秦・前漢)から見たとき、日本の王権(・・倭王)は、
九州から奄美にかけての勢力範囲のものとして認識されており、
その中心は、3世紀になって、大陸から後漢や三国の影響が直接及んで、
宇佐や日田(ヒタキ姫)に移り、そして畿内にまで広がっていきます。
「記紀」が出来た時とは、その時代よりもさらに約400年も下っており、
完全に、渡来系の権力者が、東北・北海道を除いて、日本列島の殆どの地域を
支配下に組み入れたときです。
それまで日本には、多くの部族・豪族が訪れ(ここでは8割が男性で、女性は
貴族層のみ)、多くの血なまぐさい抗争があったでしょう。
日本列島内では(主に西日本ですが)、1万年以上前から続く縄文の最古層の上に、
半島、大陸、海洋、騎馬と、多くの勢力が入り込んで、動き回ります。
その中で、一度は、国家らしきものが生まれます。
それが卑弥呼の前か後か、まだ、確定できませんが、ニギハヤヒは
そのときの大王です。(私は、ニギハヤヒは、冠位名ではないか、と考えます)
さて、ヒルコと呼ばれた女王の存在は、そのニギハヤヒのときに、
実際の統治権を確立したものに、権威を与える「核」になっていたでしょう。
(それが、大和朝廷でも、形ばかりは「斎王」として、残されていた)
しかし、その権威を否定しないことには、新しい国家を創れない。
これは、単純な太陽神信仰の「昼子」、あるいは、卑弥呼の権威を消すために、
弱かったものとして、「ヒルコ」として、大和朝廷を作るときに、
「記紀」に書き込んだものでしょう。
では、誰が、それを行ったのか?
これは間違いなく、賀茂族でしょう。賀茂は「神申す」で、神託を伝える部族です。
後から日本列島に来て、それまでに来ていた、十支族関係者を、纏めます。
彼らは、秦・漢・三国を経て、朝鮮半島の王権(百済・新羅・高句麗)が日本列島で
抗争をしたときに、隋や唐の力を背景に、再度、日本列島を纏め上げます。
賀茂こそ、壬申の乱後の日本を収拾した、不比等の隠れた協力者、
或いは、実際は彼らが全てのシナリオを書いたのかもしれません。
そのときに、「易姓革命」の中国皇帝よりも優れた存在として、
「万世一系」の天皇をつくり、男系相続を決めたのでしょう。
しかし、それが、2,004年、揺らいでいます。
やっと、始まりますね。 ピラミッド崩し。
そして、ホンモノのイノチの響き合いの時代です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーUNQTEーーーー
みなさん、今晩は。 クリスマス・イブ ですね。
神の子キリストの誕生前夜ってことになっていますね。 今夜は。
われわれ日本国民にとっては、今上陛下(明仁)の誕生日の方が
大切かな。陛下は、昨日の23日生まれでしたね。また、その日は、
東京裁判で死刑判決が下されたものが、絞首刑になった日でした。
そのキリストについてですが、人間イエス・インマヌエルが、
25日の朝に生まれたのかどうか、私には分かりません。
(直感では、全然違うという、声が聞こえています。)
イエス自身は、自らのことを、神と名乗ったことはなく、
ただ、「隣人を愛せよ」と、言い続けた人間です。
その彼の肉体に、シッダールタ(釈迦)が感じ取ったものと同じもの
・・・つまり、全てを生み出している天上界から降りてきた聖霊が入ったわけです。
これは、一定の周波数を自分で出せるようになれば、誰でもキャッチできます。
ただ、その周波数に、毎日の自分の意識を合わせ続けていることが、
なかなか、困難なのです。
さて、先ほど、京都の宇治に帰りました。
宿題が、たまっています。 年賀状の宛名書きも、これからです。
メールをチェックすると、今回の冬至ツアーの参加者から、
鞍岳から見た阿蘇中岳山頂に現れた、ご来光の写真と、
秋元神社の丑寅の金神の「光」の写真が、送られていました。
実は、冬至の日は、私自身に関して言えば、
全国から来た仲間と、彼らを乗せたクルマを先導したこともあり、
いろいろ気になることが多く、私の脳波は、いつもの精細さを失っていました。
ですから、秋元神社では、自分の祝詞の後に、背後の谷間から「光」が
出ていることは知っていても、それをあじわう気力がありませんでした。
まあ、自分にとっては、6年間の纏めです。
そして、この場所を、公開することの許しを得に行ったものでした。
初めて来た人たちは、歓声をあげ、しきりにシャッターを切っていましたが、
私は、自分の息子のことが気になっていて、カメラどころではありません。
ただ、皆で、手を繋いで和になって、「ひとつ」をミネハハと歌ったことは、
いい思い出ですね。
一仕事が終わってほっとした感じ、ばかりが、残っていました。
それだけに、今日、写真を見せてもらい、
「すごい光が出ていたんだなぁ〜」と、改めて感じています。
年末は、京都にいます。
どこかで、パーティーをやるか、新年会にするか、
決まったら、また、ここで案内します。
PS: 私の講演会です。
来年、1月28日(金)〔日田〕、29日(土)(熊本)、30(日)(博多)が、
決まりました。
東京は、2月5日(土)でした。
まあ、それよりも、ちゃんと纏めて、本にしておかないと。
冬至の日は、本当に、生きている手ごたえ、体感、質感、存在感、その他、
とにかく、イノチの響きに浸りまくった、満腹感いっぱいの一日でした。
未明の3時前に起きて、博多から車で、阿蘇インターに行って、
そこで、熊本市内から来た人たちと合流して、旭志村の「鞍岳」に向かいました。
車で行けるところまで行き、後は、真っ暗な中、山頂まで登山です。
道は、凍っていました。 完全な快晴で、満天の星です。
山頂は、見事なまでに、360度、視界が開けています。
そして、7時に「ご来光」です。
ちょうど阿蘇山の中だけの真ん中から、朝日が上りました。
寒さの中、地球の大晦日に迎えた光はその場に居合わせた人たちもののです。
さらに、この日は、神様は、私たちに、特別のプレゼントを用意してくれました。
霜が下りたことによって、1万年以上前に、岩石に刻まれたペトログラフが、
浮き上がっていたのです。 その文字は、日の出の方角を向いていました。
山を下りて、食事を取っていると、もう、10時になりました。
そして、幣立神宮に向かいました。
春木宮司もとで、正式参拝し、談話を聞き終わったとき、
もう12時30分となっていました。
そこから、さらに、秋元神社です。
秋元では、先に、20名数名が、私たちの到着を待っていました。
この日は、私の6年間のけじめの日でした。
6年前に比べ、明らかに空の色、光の強さが違いました。
フォトンの影響なのでしょうか?
谷間にはまった、太陽の一筋のその「筋」は、見えませんでしたが、
きちんと、美しい光を、いただいてきました。
夜には、高千穂神社で、「神楽」を、観て、すぐに私は眠ってしまいました。
そして、22日は、午前中、二上神社、荒立宮、を回り、
昼に 久木野の焼肉屋さんで、大納言や吉田会長と合流しました。
きちんとしたことは、別途、書かなければなりませんが、
1998年から始まった、私自身の、「国開き」は、終わりました。
これから、やっと、三次元での本番が始まります。
影たちも、喜んでいるようです。
ではまた。
おはようございます。
今、広島にいて、これから福岡の博多に向かいます。
九州大学の六本松キャンパスのすぐ東に、
今夜の「勉強会」会場の「木香庵」があります。
明日21日は、冬至です。
22日から、地球規模で、全生命の新しい一日が始まります。
これは、これまでの、人間社会だけの時空間とは全く別物です。
人間が、自分の支配のために創った時空間は、すべて消失していきます。
そして、今後は、
「何が虚構で、何が真実か」、そのすべてがはっきりしてきます。
どちらに、身を置くか、 どちらに、自分の想いを合わせるか、
それによって、今後のすべてが決まります。
次回の書き込みは、22日になります。
こんにちは。
これから、来年新春のラジオ番組を収録して(ゲストは、田中さん)、
九州方面に向かいます。
京都への戻りは、24か25日です。
それまでは、私へのメールでのコンタクトは、
purplejade@dk.pdx.ne.jp にお願いします。
あるいは、 「私設応援」bbsに。
今回、秋元神社に行くのは、
「国常立尊」とは、何か、を解明することになります。
「丑寅の金神」と、呼ばれている、「実在」です。
国家の統治システムには、虚構がつき物ですが、
生きているイノチは、虚構でなく、実態であり、真実です。
言葉による理解は、多くの人に、新しい概念・観念をもたらし、また、
新しい現実をも紹介し、そこに到る案内役を務めますが、
そこで、真理が説かれることはあっても、
そのことで、現実(空間)の真実と繋がった実態になることは、全く別です。
極論すれば、人の数だけ、真理はあります。
真理はあくまでも、人間の「理解」という頭の活動の中で捉えたものです。
しかし、真実は、この世に、生きている、実態・実在あり、一つなのです。
これは、感じること(響きあうこと)によってのみ、掴めます。
つまり、「思いの世界」や「言葉の世界」、さらに、 「文字の世界」、
「法律の世界」、「打算の世界」と、脳の活動が前頭葉で活発化しますが、
これらで捉えている世界とは、いずれも、宇宙全体で響きあっている
「生命の真実」から、段々と離れ、薄れていっているのです。
(例えば。「愛を語りながら」、なぜ、残虐に殺すことが出来たのか?です。)
では、私たちの、思いの世界(THINK)と、
生命の真実・実相(FEEL)を、 結ぶものは、 何でしょうか?
それこそが、真心からなる、「歌」なのです。
日本では、これを太古の昔から伝え、スメラミコトの最高の行事としてきました。
素晴らしいではありませんか。
カミ入りて
わがカラダとも
ヒビキ出す
イノチ繋いで
星と輝け
九州でのスケジュールを立てているうちに、一日が過ぎました。
自分が、乗っかっている土台が崩れだした時、人はどんな反応をするのでしょう。
これまでの日本は、社会システムの土台が崩れているのが分かると、
その補強にのり出すべく、同じやり方で対処しました。
しかし、もう、これが無理と分かりました。
だから、構造改革ですが、
これが、ほんの一部の人間の既得権の維持と補強に使われています。
もちろん、多くの人間には痛みばかりで、大反発です。
でも、政府は、それをやります。
消費税UPを言い出し、国民の負担増を本当にやる時が、逆に、
日本のこれまでの土台が、完全に壊れる時です。 2007年でしょうか。
では、どうすればいいのか。
国家のことではありません。
私たち、それぞれの生活、それ以上に、私たちの生き方です。
結論。
これまでの土台(システム)から降りて、なるべく早い段階から先回りして、
さらにその下にある、もっと生存に関わった基礎となる次元の土台に、
自分を立たせるのみです。
日本列島の「大和」が壊れれば、
地球人類の「大和」を創るしかない。
列島内のものは、実は、人為による、国家統治システムです。
しかし、今後生まれるシステムは、人類だけでなく、生命体としての調和です。
日本の場合、統治体としての国家(Nation State) と、
人間が生きる生活空間としての、国・邦(Land, Country)の区別が出来ない、
論者が多すぎます。
国家は、あくまでも、人為の産物なのですが、これが分かりません。
明治になって天皇の絶対性を強調するため、「記紀」神話を持ってきて、
その天皇一家の持つ、太古からの継続性を謳ったために、
本来、 「観念」による「人為の固まり」である「統治」に関して、
きちんとした自然理性が働かなくなっているからです。
特に、 国家の枠である、国境は、人間社会が作ったものです。
しかし、日本は、当初、この境界についても、列島を囲む、四海がその役を果たし、
取り立てて、強調されないまま、独立が保てていました。
それが、「記紀」の編纂と、伊勢神宮の造営で、ここに、天孫族による国家、という
優越的な国家意識が、列島内に生きる人間に、強制的に植えつけられました。
それは明治の時に、伊藤や大久保達が、天皇家から仏教を切り離し、
バチカンが作り出した神キリストと同じような、現人神(あらひとかみ)を
人為的に造り出した結果でした。
これは、観念の賜物です。
観念ですから、これを正統性の中心にして現実の問題に対処すると、
とんでもない間違いを、おこします。
それは、まず、日本列島に住む人間は、優越民族という観念となって暴走し、
大陸に軍事進出を拡大し、その結果は広島・長崎への原爆投下となりました。
その結果、明治以来、絶対神だった天皇が「人間宣言」することになりました。
このことで、天皇からは、天皇霊の受け皿だった、実在の肉体所持者の
生身のヒロヒトのみが残ったのですが、
彼は、「国と国民の統合の象徴」となって、戦後復興の希望の証でした。
これはあくまでも、人間ヒロヒトが持っている、リアリティーでのカリスマでした。
では、そのとき、もはや、日本社会を動かした、観念の化け物は消えたのか?
いや、そこでは、もっとヤヤコシイモノが、日本人の精神に入り込みました。
今度は、経済発展という、数字の神に、日本列島の住民は支配されます。
ここでは、観念の世界は、さらに、打算の世界へと発展し、
日本国内に美しく存在していた「命の響きあい」という「リアリティーの世界」は、
見事なまでに、壊されます。
それが今に到っています。
自然は、感じるものです。
イノチの響きを感じあって、暮らしているのが、自然を大切にしている姿です。
日本に、「天孫降臨」神話が始まる前にあった、「響きあいの世界」を感じ、
そして、その空間を、現実のリアリティーの中で、膨らませていきたい。
みなさん、今晩は。
18日に、今年最後の「月下微人」の収録の後、
そのまま、広島に向かいます。
20日に博多に入り、
21日が冬至です。
ですから、もし、同行を希望される方は、明日14:00までに、
小生に、連絡ください。 090−9370−5740
クルマの相乗り、宿の手配などがあります。
あと、22日は、大分に泊まる事になりました。
以上、取り急ぎ。
エクセルの阪野さんのお計らいで、名古屋商科大学大学院で(ここは設備は、
めっちゃくちゃ立派でした)、企業エクゼクティブ向けの講義をしてきました。
内容は、中国と国際情勢です。
私は、まず、中国には、大陸の北京と、台湾の台北、そして華僑世界の
「三つの中国がある」ことをはなしたあと、人生に向かう時の精神性が、
中国人と日本人とでは全く違うことを話しました。
それは、皇帝、もしくは天皇を中心にした、統治体の正当性と、その本質の違いが
生み出しているものです。
中国の(易姓革命) と 日本(万世一系)の違いですが、 このことが
両国国民の精神性や理性、価値観に、決定的な違いをもたらしているのです。
「易姓革命」は、 天上にいる超越者=上帝に、見込まれさえすれば(運と努力で)、
誰にでも皇帝になれる、と教えます。
つまり、誰にも、自分の帝国を創るチャンスがあるのだと。
一方、日本の「万世一系」は、天皇の権威が覆ることがなく、天皇をを中心にして、
現代まで続いている、ピラミッド型の体制は磐石であり、その中の、どこかの「枠」に
入り込むことで、将来まで、生活が安定することを教えます。
前者は、 極めて強く、明快に、「自分の世界」を創ろうとするのに対し、
後者、つまり私たちは、すぐに安心できる「身分」を求め、そこに安住したがります。
しかし、今年、日本は、その「大和」は、崩れだしました。
この崩壊は、今後加速します。
一方、中国のほうは、単なる個人プレーでは国際競争力が育成されないことが、
経験上、どんどん判り、共通の目標のために、きちんとした計画にたって、論理
的にきちんとした役割分担が不可欠との認識が、浸透しだしています。
なにせ今、中国大陸は、資本主義のパラダイス、そしてメジャーリーグなのです。
最後の巨大市場・巨大生産基地であり、地球人類の4分の一の居住空間です。
これは、国という概念で捉えるよりも、「そこに、地球そのものある」と考えたほうが
いいでしょう。
今日の講義の参加者には、トヨタ系列の部品メーカーの社長・重役もおりました。
そのトヨタ関連でニュースがありました。
満州の首都の新京だった、吉林省長春にある、第一汽車製造敞との合弁事業では、
ハイブリッドカーのプリウスを造るというものです。
この第一汽車では、かつて、「解放」号のトラックとともに、
中国国産の最高級車「紅旗」を生産していました。
今日、受講していただいたのは、トヨタが中国南部の広州でカムリを生産するのに
あわせて工場進出する企業群でした。もちろん中国国内の地域性も説明しました。
私は二次会の席で、社長たちに向かって、
「そろそろ、『移動の道具の車を造っている』という発想を超克して、人間の
生活空間全体まで、移動の視点から、『新しいビジョン』を提案してはどうか」
と話しました。
そうでなければ、トヨタが年間1兆円の利益を上げようとも、単なる「下駄つくり」の
オヤジさんと、その精神性や意識に、何ら変わりはないではないか、と。
もはや、グローバル10を達成した企業は、今、人類全体に対し、人間の毎日の
生き方まで含めた居住と移動・物流の体系、そして、そのときに味わう幸福感まで
含めて、 トータルなビジョン(=実現可能な夢)を提案する段階になっているの
ではないか、と。
来年の愛・地球搏で、こうしたシンポジウムやセッションを、インターネットを使って、
全世界の若者と一緒にやってはどうか、とまで希望を言ってしまいました。
日本の産業界の皆さん、もっともっと、素敵な夢を語りましょう。
もし、自分が忙しくて、いい発想が浮かばないというなら(それは、当然のことです)、
私たちに夢を語らせる「場」を、どんどん、用意してください。
世界中から、素敵な仲間がすぐに参集しますよ。
そして、それを纏めて、提言集にいたしましょう。
そこで語られた内容を、企業トップが理解・吸収し、自分の言葉で語りだし、
例えば、スイスの「ダボス会議」に出席して、それを開陳したら、
それこそ世界の知性から、一目おかれますよ。
私は、いつでも、智慧袋になります。
阿蘇の吉田会長から電話あり、
冬至の日のご来光を必ず見なさいと。
20日は博多で、勉強会ですが、
翌朝は、早起きすることになりました。
今、宇治に戻っています。
東京・皆神塾 会場が埋まりました。
新しい方もいて、忘年会も兼ねました。
楽しい一日となりました。
日本列島の「大和」は、今年、封が解かれました。
これから、人類だけでなく、地球生命の「大和」に向かいます。
五色人の「青人」は、地底人ではなく、
幽界や精霊界の人間です。
肉体を持たなくなった人たちまで、加わっています。
来年は、もっといろいろ出てきて、そして、楽しい現実が
現れるでしょう。
今日はこの辺で。 板橋のアパホテルから。
メール修復しました。 鉄尾くんのおかげです。ありがとう。
さて、今日もラジオの収録です。
ゲストは、お能の笛「能管」の野中久美子さん
そして、レンタサイクル「京都見聞録」の杉原正彬さん でした。
野中さんには、狭いスタジオ内で能管を実際に吹いていただいたのですが、
その音色は、私たちが普通に聞く、邦楽の横笛・・篠笛とは、 全く違います。
生きているこの世の「生の世界」と、死者や精霊の居る「幽界」あるいは「霊界」を
近づけ、それが出会って、次元を超えて溶け合っていく様を、導き出す音色です。
今年は、この能管に、筑前琵琶、そして、笙を加えた構成で、
イエス・キリストの生涯を、語りを交え、「伽羅(きゃら)のクリスマス」と
題し、コンサートを行うそうです。
4日には、東京でもやったようですが、とても、面白い試みです。
ジングルベルとは、全く違う、イエスに出会うことになります。
なにせ、「和文化」は、悲しみの共有が本質です。
ここに、イエスの物語が、乗るのです。
関西では、
12月19日(日) 4pm開演 奈良 今西家書院 0742−23−2256
12月22日(水) 7pm開演 神戸 東神戸協会 078−851−4334
そして、
京都では、23日(祝日)、3pmに、三十三間堂の隣、法生寺(ホウジョウジ)です。
法生寺は、今様を愛された、後白河法皇ゆかりの天台宗の寺院です。
電話075−561−4137
楽しみです。
杉原さんのレンタサイクルは、年末年始も営業するそうです。
お話を聞いていて、面白かったのは、自転車を借りる人間は、
日本人、外国人を問わず、心身ともに健康であることでした。
そんなさわやかで元気な人間と、すでに3万人とお付き合いしているのが、
「京都見聞録」です。 人で込み合う京都は、初詣も自転車が一番かな。
090−7117−0410
あと、今日の収録後、
ニューヨークから舞踏家の那須シズカさんが「月下微人」を訪ねて来ました。
ミネハハさんの友人で、来年4月に法然院で、画家のご主人の作品をまえに、
ミネハハの歌声に合わせ、舞われるとのことです。
楽しみです。
那須さんを連れて、上賀茂神社の庁屋の松井さんの展示を見て、さらに、隣の
大田神社に行きました。
この間、上賀茂では、賀茂族が、京都盆地の水利を握っていたことを、教えて
いただきました。
そして、今日は、このHPでも紹介した、
若者の自主企画の、『KYOTO世界祭り』が、 新風館で行われていたので、
そちらにいきました。
そこでは、「月下微人」に出ていただいた、富永光音さんや、河原林春陽さんに
出あったりと、なんともたのしい一日でした。
明日は、午後二時から、東京の十条で、「皆神塾」です。
関東圏の皆さん、お会いしましょう。 新井信介
(その1)
まず、メールについてです。
このHPにある、メールアドレス purplejade@kyoto21.net は、
本日から使えるはずなのですが、
現状は送信は出来ても、受信が出来ない状態です。
(なにか、重たいメールやウィルスがたまっているからなのか?)
よって、暫くは、 purplejade@dk.pdx.ne.jp
にお願いします。
今後、移動も増えますので、こちらのほうが、いいでしょう。
(その2) あと、先ほどまで、 次の三冊を読んでいました。
「興亡古代史」 小林恵子 文芸春秋
「古代天皇家と日本正史」 中丸薫 徳間書店
「イエス・キリスト 失われた物語」 フロリゼル・フォン・ロイター ハート出版
中丸さんは、いろいろと積極的に出版されていますが、
今回の著作には、明らかに、小林さん受け売りと思われる部分が多く見られます。
両者を、読み比べることを勧めます。
小林さんは、日本人、および日本文化のもつ、特殊性、精神性などについて、
あえて書かないで、古代日本での権力の推移について、丹念な文献調査と、
東アジア全体の政治史の中で捉える、冷静な立場を取っておられます。
私のテーマは、日本に「大和」が出来る時の精神性です。
今、それが、地球人類に活かせると、確信しているからです。
そして、そのとき、ユダヤとイエス、そしてブッダを切り離すことができません。
最後の「イエス・・・物語」は、イエスの磔刑までの3年間を「自動書記」したもの
ですが、この本は、是非、キリスト教福音派(原理主義)の人に読んでもらいたい。
というのも、新約聖書自体が、人間の意識を、一方方向に引っ張るための、
政治的意図をもって作られているからです。
ここで書かれた物語は、すべて間違いのない真実だとして、
武力を背景に信者たちに強制し(違うものは、異端裁判で排除)、
イエスに関わる奇跡については、 「理解できないからこそ、神なのだ」という、
「不可知論」が、のちのち西欧知性によって生まれています。
これは、知的作業(真実の探求と、ロジックでの認識)の放棄を、
みずから格好つけてやりながら、なおかつ、威張っているものです。
新約聖書の中身は、キリストの磔刑から約300年も経って、
ニケーア公会議で、ローマ帝国でのキリスト教が公認されてから、
地中海世界に広まっていたイエスに関わる多くの伝承・・・これらは、ほとんど
尾ひれが付いているものですが・・・を集め、その中で、イエスの神性を
補強するものを集めて、約50年かけて編纂したものです。
これは、まるで、壬申の乱のあと、日本に理想国を作ろうとした人たちが、
各地(各豪族)の歴史を拾い集めて、一つの物語にした、古事記日本書紀
の編纂時と、ほぼ同じ精神によって、為されています。
つまり、統治の道具です。
実際のイエスが、どんな人間だったのか、この本を読んでください。
私には、こっちの方が納得します。
また、今年、6月6日に、「キリストの墓」を守っている、青森の新郷村に、
エルサレムから、大理石の記念碑が、駐イスラエル大使の列席の下、
届けられました。
「キリスト」とは、救世主の意味で、イエス・インマヌエル(本名)は、自分のことを
そう呼んだことはありませんでした。 彼は、率先垂範の社会活動家でした。
ロイターの「自動書記」によれば、イエスは磔刑にあったあと、その肉体は、
引き摺り下ろされ暫く放置され、大雨の中で、一旦は死にます。
これは、臨死体験です。
しかし、息を吹き返し、刺された傷が急速に塞っていきます。
奇跡的に一命をとり止め、マグダラのマリア、ピエトロ、ヨーゼフら、
ごく僅かな人間によってゴルゴダから運び出されます。
ただ、髪の毛は一気に白髪になり、以前の精悍な壮年の姿はなくなり、
体力回復後は、大工として、ひっそり一生を終えたといいます。
そうならば、人間イエスが、磔刑のあと、生き残って青森に来たのか?
磔刑にあったのは弟のイスキリだった、という説もありますが。
それとも、人間イエスが、「キリスト」になったその物語を、直接の弟子、或いは、
ローマが公認した後、カソリック関係者の誰かが、それを伝えに青森に来たのか?
或いは、青年期に日本を訪れ、そこで多くの聖霊を感じたイエスが、
臨終時に、「日本に埋めて欲しい」と遺言を残し、その言葉に従った弟子が、
肉体の一部や遺品をもって、青森の地に来たのか?
(ちなみに、イエスは、青年期インドで修行していることは事実)
ただ、イスラエル側にすれば、少しでも日本国民を味方につけたいから、政策的に
青森に顔を出したのかもしれません。
(その1) メールのアドレス。
メールは、明日にも修復します。
これからも、よろしく。
(その2) 北朝鮮の遺骨。
日本側 「死んでいるというなら、証拠を出せ」
・・・・
日本の外務省に迫られて、それらしいモノを出した。
そのとき、当然のこととして、もし違っていたら、
日本国民は、カンカンになって怒る。
そして、日本国内に居るこれまでの北朝鮮シンパからも、
「ここまで、やるなら、もう限界だ。周囲を説得できないし、自分も支持できない。
早く、体制が変わってくれるのを祈る」
となることは、分かっていたはず。
それを承知して、ニセモノを渡したとなると、これは、意味深長。
すでに、金正日の看板の撤去が始まっていたし。
現時点の北朝鮮の政府内に、二つの意志があることがわかる。
1.日朝間で、緊張がより高まり、経済制裁により、金体制の崩壊が加速する。
この方向は、変わらない。
そこでは、もう中国も北の味方はしない。
(原潜事件・・・台湾・アメリカ・日本が一体化して北京政府に対峙している)
北朝鮮内部での、日本との交渉に当たった旧勢力に、引導を渡す。
「きちんと体制を変える準備を進めろ」との発言が力を増す。
2.金正日体制を崩壊させるのは、決定として、その過程で、
東アジアに経済的なマイナスを出ないようにソフトランディングを望む経済人
(日韓中米)、そして、緊張が高まることで潤う軍需産業、の両方に恩を売りたい。
つまり、崩壊の中で、如何に、果実を得るか?を考える。
とことん緊張を高めることで、東アジアでのアメリカのプレゼンスが維持され、
これは米ドルの下落を食い止める作用を持つ。もちろん、日本の国防族を喜ばす。
つまり、金正日体制の崩壊が、確定できたので、
長期的には、そのあとの経済環境の好転が見込まれるので、国際金融面でプラス。
短期的には、不安定要素が拡大し、軍事的緊張からアメリカにも、
日本の国防族にも、プラス。 特に、日本のNMDへの参加が加速。
以上は、考えすぎかな。
日本が普通の国になって、核武装するには、ハードルが高すぎるし、
せっかくの平和憲法が、泣く。 いや、消えてしまう。
どうしようか?
例えば、 NMD(ミサイル防衛網)に関して、
中枢電子部品、中枢技術、そして、システム運営の具体的操作、
これを、日本が握ったらどうだろう。
悪役はアメリカさん。
表では、いつも、人助けの日本。しかし、アメリカの肝心な部分を全て、
知らぬ間に押さえ込んでいるのが、日本だとしたら。
ありえない夢物語?
みなさん 今晩は。
年末の冬至の秋元神社の参拝を希望される方は、
早めに、お知らせください。
高千穂での宿泊先の事もあります。
メールは、昨日と同じく、
purplejade@dk.pdx.ne.jp です。
あと、12日は、東京ですが、ここでは懇親会をします。
14日には、午後1時30から名古屋で、企業のエクゼクテイブ向けに、
中国に関する講演をします。
場所は、名古屋商科大学ビジネススクールです。
希望者は、以下までどうぞ
(株) エクセル・インターナショナル
電話052−482−5753
みなさん、今晩は。
昨日の連絡先で、メールアドレスに間違いがありました。
すみません。
正しくは、 purplejade@dk.pdx.ne.jp です。
すでに、昨日のものは訂正しましたが、 こちらにお願いします。
あと、今日は、京都市内で、レンタサイクル屋「京都見聞録」を営む杉原さんと、
11日に収録する「月下微人」の事前打ち合わせに、行って来ました。
場所は、東大路安井の交差点です。
約二年の営業ですが、すでにここの自転車を利用した人は、本当に多く、
国籍もまちまちでした。
京都には、とにかく、永遠に人間が、訪れるでしょう。
それも、世界中から。
水戸黄門で、全国的に有名になった三つ葉葵の紋は、実は、
徳川家康が、京都の田中神社の紋を拝借したものです。
何か、田中神社の葵紋に、日本中の有力者たちをを跪かせる威力があることを、
知っていて、それを使ったのでしょうか?
葵の紋を得た、徳川家は、家光の代に、京都の公家の締め付けに入ります。
当時の京都は、足利義満以来の北朝でした。
こうしたことを踏まえて、何か、楽しいドラマつくりもいいなと考えます。
京都について、「賀茂よりも、先に、田中が居た。」
これを知るだけでも、本当に日本の歴史理解が進みます。
まして、その田中と、失われた十支族が繋がったら、どんなに、楽しいか。
人類史の中の日本が見えてきます。
メールでの問い合わせの場合は、このページの左下にある、
リンク先の「私設応援ページ」 のbbs (大石さんが用意してくれた)
に書き込んでください。
ここでは、公開となりますが。
重要連絡です。
私のメールが現在、使えなくなっています。
急ぎの時は、090−93705740に電話ください。
あるいは、
note の purplejade@dk.pdx.ne.jp までメールにください。
(kyoto21.net)
の期限延長手続き中です。
広島から戻ると、東京の皆神塾について、問い合わせが来ておりました。
以下に、再度、告知します。
あと、懇談の希望もありましたので、6時以後に、近くで食事会をしましょう。
案内分を再度上げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご関係各位
皆様お忙しいとは存じますが、お誘いあわせの上ご来場いただければ幸いです。
開催場所等は以下の通りです;
−記−
皆神塾 2004年年末 特別講座のご案内
皆さん、こんにちは。
アメリカの大統領選挙でブッシュ政権の継続が決まりましたが、今後4年間、
世界はまたまた大きく動きます。 今回の選挙では目に余る不正がありながら、
対抗馬のケリーが早々と敗戦を認めてしまいました。 この結果、アメリカ建国
以来の秘密結社スカル&ボーンズと、イスラエルでの戦争を期待する、キリスト
教原理主義(福音派)の存在が白日の下に晒されました。
自由の国であったアメリカの中でもユダヤ系の人間たちの良心が、今後、
アメリカをどの方向に導くのでしょう。
その直前、中国原潜の領海侵犯問題では、台湾・アメリカ・日本が、軍事的に
連携して動き、チリのApec総会に中国国家主席の胡錦涛を引き出しましたが、
パウエルはこれで政権を去ります。
2005年は、大激動です。今回は北朝鮮の体制が崩壊するなど、アジアも動き
ます。そのとき、見えないところで、どうも、日本が主導権を握りつつあるようです。
実は今、『日本』がこれまでの日本列島の枠を超えて地球規模で広がっています。
現時点では、経済活動(マネーとモノつくり)のみに限られて認識されますが、
今、世界中から、新らしい生き方の見本が求められ、その回答は、この日本列島で
私たちの祖先たちが開拓し、実現してきた『和のこころ』に間違いなく辿りつきます。
再選されたブッシュのアメリカ覇権や、中国・北朝鮮とのアジア情勢、さらに、中東
・ヨーロッパにも通じる、彼らを納得させうる真実の歴史物語が、実は日本にあります。
私たち日本人の血の中には、大和朝廷ができるまでに、実は、世界中の部族・
民族の物語が刻み込まれているのです。
私たちの存在こそが、実は、地球人類が一つになった、事実でもあるのです。
以下要領にて、今年最後の東京・皆神塾です。 是非、ご参加ください。
テーマ: 「日本が主導権を発揮する日」
日時: 12月12日(日) 午後2時―6時 (受付開始:午後1時)
(注)講演は約3時間を予定
場所: JR埼京線「十条」駅北口を左に出て徒歩約1分 峰光堂ビル地下
「ギャラリー喫茶・樹里」
連絡先: 室伏 昭昌 090−5804−5078 会場:03−3906−1320
参加費: 3,500円(当日精算) *コーヒーとケーキ付
ご不明な点等ございましたらご遠慮なくご連絡ください。
以上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
妻の実家の「法事」のため、広島にいます。
明日には、また、京都に戻ります。
6日に、田中神社で、田中塾です。
渋谷にある、ユダヤ教のシナゴーグには、ユダヤの12支族のそれぞれの紋章が
あるのですが、それによると、ダン一族は、マムシでした。
まさに、蛇です。
田中神社の総本家の田中氏に、確認しなければなりませんが、
この田中の「でん」が、ダンだとしたら、やはり、蛇と関連するはずです。
スサノウは、ヤマタノオロチを殺し、櫛灘姫=別名・稲田姫を救い出しました。
大蛇を殺して、稲の姫を救った?
そして、日本に、神楽として、大蛇退治がある?
なぜ、記紀では、こんな物語になったのか?
私の「真実の日本史」も、いよいよ完成に近づいています。
(その1).
昨日は、大阪の千日前の上方ビルの鳥居ホールで、
インディアンフルート奏者の真砂秀明さんと彼の仲間による音楽会に行って、
二次会で帰れず、そのまま、大阪に泊まってしまいました。
真砂さんは、「月下微人」の第一回目のゲストでした。
生でコンサートに参加するのは1年ぶり。昨日は素敵な仲間が集まりました。
ピアニストの永見行崇、ボーカル・ニ胡弓のえま、パーカッションの慧奏の3人。
そこには、深く、清く、みずみずしい空気がありました。
まだ、人間同士が、国境も決めていない、神と直接繋がっていた時代。
イノチの響きを、そのまま体の中に、受け止められる時代、
そのときに吹いていた、「風」がその場では、流れていました。
会場は、大阪南のど真ん中。法善寺に近くです。
はっきり言って、欲望で汚れまくっている、エリアです。
周囲には、とても、芸術性が感じられません。
正直に言えば、私の大嫌いなエリアであり、コルシカやフィレンツエの人間が来たら、
すぐに病気になってしまうでしょう。
しかし、そんな劣悪な環境の中にあって、この小ホールのなかには、
間違いなく、透明なイノチの風が吹いていたのです。
私は、自信を持ちました。
人間は、これまで、自らの支えである自然環境を、その愚かさで、壊したり、
汚すことばかりでした(これまでの人類史は、それが主流でした)が、
まず、自分たちが心に求めているものを、芸術家(音楽家)が掬いだし、
それを表現して、それに共振できる空間を、人造的にでも創れば、そのあと、
そこで、響きを体感した人たちが、今度は、オーップンな自然の中に、美的な
芸術空間を、必ず、創っていくことになるはずと。
今、地方の疲弊や、都市部の疎外感が大問題とされますが、
間違いなく、解決策は、ある、と。
まず、『魂の奥から、潤いをじんわりと呼び起こす響き』を感じ、
その響きに沿った、共通のビジョンと設計図を示せば、心に熱を持った人は、
必ず、一緒に行動してくれると。
今、自宅に戻り、彼らの最新CD 「Great Mystery」を聞いています。
キースジャレットやウインダムヒルを彷彿させますが、その表現の起点となる
核心は、より自然で、深く、強く、柔らかい生命力からではないかと、感じられます。
真砂さんおよび、彼の仲間の音楽は、本当に宝物です。
今後は、日本の神楽のリズムも取り入れて欲しいと思います。
あと、真砂さんは、12月4日に、大阪、みのうで開かれる市民人権フォーラム、
「自分探し!私のアイデンティティーって何?」に参加し、
ネイテイブ・インディアンの生き方とともに、この音色を披露します。
(その2).
さて、図らずも大阪に一泊して、自宅に帰ってくると、今回の冬至の九州行き
に関して、また、メールが来ていました。
12日の東京・皆神塾に参加される方から、私のメールに対する返事でした。
QTE
「こんばんは、新井さん。
お返事を頂いてまたまた感激です。
今回も新井さんのお答えにすごい悟りがありました。
”21日に幣立に集合”のコースに参加させてください。
新井さんの指摘の次の部分について、
・・・日本の皇室は、ユダヤの大王と、中国の皇帝、イエス、ブッダが、
集合しています。これも、解き明かします。
日本の皇室は万世一系で脈々と続いており 他国に例をみない。
だからこそアインシュタイン も感激していた、と思っていたんですが、
最近、「記紀」の成立事情や朝鮮とのかかわりを聞いて、
日本のことを、「ありがたいと思っていた」のは何だったんだろう?と
心配してたんですが、 そういうことだったんですね。
でも、この日本の皇室も、いろいろな歴史を越えて、よく残っていてくれました。
聖地と同様、ある意味守られていたのかも知れませんね。
この説明を聞ける機会が早くきてほしいです。
・・・自然そのものの中に、神(根源神)の周波数があります。
これに同調すると、全てが、溶けて一体化します。
地上の全てのイノチ・存在と、私たちの命の周波数が一体化すると、
そのなかでも自分の意志で動くイノチ、つまり、
それは自分の肉体と、自分の人生なのですが、
それこそが、神から、自分に任かされているのだ,という認識になります。
そのとき、イノチ(個体生命)の尊さを本当に理解すると同時に、
私たちに、人間(万物の霊長)としての責任感の自覚が生まれます。
人類は、地球生命の床屋さん。 鋏は、科学技術と言語認識。
三次元のこの地上を、より美しくするために、私たち人類が存在しています。
これまでの1万3千年は、学びの時間でした。
こういう解釈を聞くのは初めててでした。
一瞬にして溶けたというか、目の前がはれてすっきりしました。
上手く説明できないのですが、最近はインターネットのおかげで
いろんな情報がとても簡単に手に入ります。
いろんな人がいろんなことを言っていて、
神とか光とか、ときには宇宙人も登場(宇宙人が連合を組んでいるそうです)
するのですが、なんか人間がとても遅れた存在で、それなら霊体のままのほうが
この時代の役にたったかもと。ちょっと悲しくなったり、なってくるときもありました。
でもぜったい肉体を持って生まれてきた意味があるはずと思っていたのですが,
やっと答えをみつけました。
この部分なんどもなんども読み返しました。
人間としての責任と使命。存在の意味。
それをどういうときに感じられるのか。
とてもとても勇気付けられました。
今はっきりと方向が定まりました。
新井さんのお話しは、内容にはいつも驚いているのですが
魂が納得します。すっとはいってくるというか。(でも頭が追いつかない。)
もう一度情熱を取り戻せました。もう迷いません。(たぶん)
本当にありがとうございます。
12日、直接お話きけるのがますます楽しみです。 」
UNQTE
今日は、家族で、上賀茂神社境内にある庁屋に行ってきました。
途中、四条烏丸で、中山大納言をピックアップしました。
お目当ては、昨年、フランスのレジオン・ドヌール勲章を受けた、
松井守男画伯の絵画の展示です。
(「松井守男」 で、検索してください)
庁屋での芸術活動は夏に、モザイク作家の外村まゆみさんが、
七夕のイベントを行っています。 そこでも、様々な出会いがありました。
今回、その庁屋が、松井さんの書いた抽象画の大作の個展のために、
ちょうどいい空間となりました。
松井さんは、武蔵野美術大学を卒業後、パリで20年修行します。
もっぱら人物を描くのですが、なかなか芽が出ません。
しかし、転機は、コルシカに移って訪れます。
その島での生活が、そのまま、自然界に溢れる光のドラマの舞台となる、芸術空間
そのものであると発見し、 それに浸るなかで、一つの手法を確立していきます。
キャンパスという宇宙の中に、人間一人ひとりを、一つの色として線で描き、それを
混ぜることなく、重ね合わせていくことで、人間全体を生かしきる独自の表現です。
生活の困窮さに、もう画家人生を諦めようと、最後の一作のつもりで、「遺言」と
題して抽象画を完成させたとき、画面全体から「光」が噴出してきました。
その光を、芸術の真髄の判る、フランス人は見逃しませんでした。
そして今、彼の絵は、最高の評価を得ています。
さて、今日はその作品を見てきたのですが、私は、批評のコメントをするよりも、
その作品が放つ、微細な光のシャワーに浸って、幸福感でいっぱいでした。
きっと、そこには玉響(たまゆら)が、次々と生まれていたのでしょう。
それも、私たちの知覚能力を超えた色霊(いろたま)が、無数に、なんにでも通過
できるくらいの微細さで、それていて、揺ぎ無い強靭さで、出ているのです。
その、リズム、旋律、空気の質感、生命感、潤い、体に沁みてくる微細粒子による
心地いい刺激、などなど。
初めての体験で、なんともまあ、贅沢で、満ち足りた時間が、そこにはありました。
会場が完全にオープンになっていて、借景となった神社境内の紅葉や杉の色が
庁屋の空間を包みこんでいて、絵が醸し出す、柔らかく、それでいて潤いのある
光の空間と溶け合っているのです。
その心地よさに、そのまま眠っていたいほどです。(うちの子供は眠っていましたが)
そして、作品から、なぜ光が出てくるのだろうと、意識した時には、今度は、
心地よくなった私たちの肉体が、聴覚や味覚とのハーモニーを求めだします。
庁屋の前には芝生が広がっているのですが、そこでワインを持ち寄り、出合った
仲間と、がやがやと楽しく会話をしたくなるような、生命賛歌が溢れてくるのです。
個展は、12日までやっていて、しかも、無料です。
画家本人と、主催者の桝井さんの哲学に基づいています。
美術館ではなく、この上賀茂神社の庁屋でやっているからこそ、楽しいのです。
さて、松井さんとは、話が弾みました。
そして、是非、コルシカに来てください、となり、心はもう、ベストシーズンの
来年の6月に、絶対にいこう、と決めています。
コルシカは、ナポレオンが生まれた島ですが、形だけの国家権威や商業主義を
嫌い、この島の自然の響きに適った日常生活を、島民がかたくなに、しかも、
誇り高く護っているとのことです。
雨と日差しが同居したり、海岸と山岳とで、まったく、気候も風景も違い、
それが、クロスするところに、多くの「奇跡」が生まれ、
まさに、「奇跡が毎日」の住空間だというのです。
私が一番嬉しくなったのは、
アメリカ資本のマクドナルドの第一号店に爆弾が仕掛けられ、撤退したり、
美しい海岸を買って、そこでルイビトンのバッグを日本人観光客向けに売ろうと
した日本の企業が押さえた店舗建物が、やはり爆破された、ということです。
この島では、「自然の光が響く、空間」こそが、神の居場所だと住民が感じており、
それを汚すものを、絶対に許さない、強さと決意があるようなのです。
ちなみに、松井さん自身は、フランスの日本領事館から、危険と警告された、
事もあるようですが、鼻から、笑っています。
彼はコルシカでは今、ナショナリスト(郷土愛・実践者・・・時に、地場の美的空間
に入り込んだ文化侵略者に対し、公然と攻撃する活動家)から、絶対に手を出し
てはならない、3名に入っている、とのことです。
他の二人は、バチカンの法皇の代理人、ナポレオンの直系子孫とのことです。
21世紀は、文化の時代。 その文化とは何か?
日本人は、今、本質を掴んで、日々、表現しているものと、
本質らしきものを語りながら、本質を壊しまくっているものとに、大別されます。
松井画伯はいいます。
「日本人にも二種類いることを、コルシカの人間は分かっているよ。
そして、どの人間でも、彼らは、その本質をすぐに見抜いちゃうよ」
うれしくてたまりません。
| Sun | Mon | Tue | Wed | Thu | Fri | Stu |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | ||||
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