2007年04月30日

いよいよ日本の時代

 おはようございます。

安倍首相の今回の中東訪問、私は大歓迎です。
私は、昨年の総裁選後、安倍首相について、自分を総理の座に押し上げた
北朝鮮問題以外、(既存勢力に)何でも譲ることになる、といいましたが、
この半年間を見てみると、どうも、その底流には、きっちりとした国家戦略が
組まれているかのようです。

いや、これは、彼個人が作り出したのではなく、安倍晋三氏に総理を託している、
日本国家の本流の力が、彼にそうさせている、と考えるほうがいいでしょう。

公務員改革・・・これは、明治以来の中央集権の解体にとどまりません。
実は、1300年前に、天武の妻の持統が、藤原不比等ともに、国家の形を決めた
「大宝律令」以来の大改革です。

しかも、これと同時に、今、日本は、戦後のアメリカの属国の地位を抜け出て、
アメリカと対等に、人類社会の安定に向けて、安全保障面(軍事)でも、一定の
役割を引き受けようとしています。 
 これが、100%アメリカ主導ならば、大いに問題ありですが、アメリカは、
昨年の中間選挙以来、中東への過剰コミット(原油奪取とユーロ対策)を減らして
いきますので、今、日本が、その隙を補う形で進んでいます。(これは、見方に
よっては、後始末を押し付けられている形ですが、大きなチャンスです。)

 アメリカの次期大統領が民主党から出るのは、もはや間違いないでしょう。
そのとき、日本の地球規模での「国際貢献」は さらに多くの分野・対象におよび、
しかも、まざまなレベルに及ぶことになるでしょう。

 その最重要課題が、中東地域の安定です。

 石油争奪のための紛争状態におくのではなく、 着実に、社会基盤と民生が
発展する、国家プログラムを如何に根付かせるかです。

アメリカ企業がこれをすることはできないでしょう。

なぜなら、反米意識が、テロを生んでしまうからです。

また、一方で、急速に高まった脱化石燃料の動きは、中東諸国に自己変革意識
を強く引き起こしています。今の高額の原油代金で、資金にゆとりのあるうちに、
自国内に、産業を根付かせようとしています。
 せっかくの資金を、アメリカやフランス・ロシア・中国から、贅沢品と武器を買う、
消費に費やすだけでは、未来が見えてこないことは、十分に思い知らされています。

私は、今年を、アジア一体化元年としてきました。

(すでに、道筋が確定しています。米軍の沖縄からグアムへの移転が始まれば
北朝鮮は軍事国家を止めますし、日中韓で共通の歴史認識も生まれます)

そして、もう一つは、中東問題の先鋭化、と予想してきました。

後者については、イラン(シーア派) VS アメリカ・イスラエルの対立となって、
国際政治の外交の場面では先鋭化しましたが、 これに対し、アメリカが軍事行動
を起こせない現実を見て、イスラエルが、今、極めて「戦略的」に対応しています。

自国の周辺全体を、平和な地域に積極的に作りかえることに、日本と組み出して
いるのです。 ヨルダンとの国境を、新しい産業地域にするものです。

ここでの主役は、もちろん、日本です。

アメリカが、主導権を持った場合、ここでも、テロが頻発します。
また、ヨーロッパが主導権を握った時は、 ユーロの比重が大きくなるので、
これを、アメリカは、妨害します。
ロシアには民生用の産業力はなく、中国は、真似事の二級品しか作れません。

戦後、長らく、アメリカの属国の地位で、真面目に、物つくりを進めてきた
日本だからこそ、ここでは、イスラエルからも、イスラムからも、また、
ヨーロッパ、そしてなにより、アメリカからも、安心して任されるのです。

今こそ、日本は、「戦略的」に行動するときが来ています。

「攻撃をさせない軍事技術」、「防御の技術」なら、大いに発展させるべきです。
また、そのための、人材の養成も大いにすべきです。

平和と繁栄のための、21世紀番「忍者」が、どんどん生まれていたら、面白い。


Posted by Arai at 07:26 | Comments (0)

2007年04月26日

靖国神社と昭和天皇

 こんにちは。

今日の朝日新聞に、昭和天皇の卜部侍従の日記が公開されていました。
A級戦犯の靖国神社合祀に不快感を示されたことが、ここでも記載されています。

昨年の富田メモが出されたとき、「第一、これは、昭和さんらしくありません」と
信憑性を疑った、あの桜井よしこ女史は、今度は、どんな感想を述べるのでしょう。

今回の日記の中で、226事件が、陛下にとって重いトラウマになっていたのでは
ないか、と思わせるところがあります。

1936年の226事件のあと、帝国陸軍の大本営は、なぜだか、皇居内に移動して
います。

そして、この年12月に、張学良が蒋介石を捕まえる西安事件がおき、国共合作が
始まります。 その翌年7月に盧溝橋事件が勃発し、さらに、その年の12月には、
南京事件が起きます。 この間、大陸に侵攻した日本軍は、中国民衆から様々な
形でゲリラ的な挑発愚弄を受け続けます。 日本軍は、そうした事態に、シナ人を
膺懲する(こらしめる)といって、派兵を増やし、さらに、一気に、蒋介石の国府政府
を叩き潰しに行ったのです。
 蒋介石は、南京を抜け出し、重慶に逃げましたが、その戦闘で、多くの犠牲者が
出ました。 ここから、日本悪役論の決定版が出てきます。

この間、昭和天皇は、どこにいたのでしょう。
こうした軍部の進軍に当たって、昭和天皇はどのような意志を持っていたのでしょう。

事実は、どの文書にも出ていない、あるいは、まだ、発表されていないようですが、
私は、ある方から、こう聞きました。

「実は、226事件後、陛下は、軍部によって、那須の御用邸に軟禁された。
 陛下がいると、蒋介石政権との本格的戦闘に、反対されるから」と。

昭和天皇が反対されたのは、中国で無辜の民衆が死ぬこともさることながら、
蒋介石が大陸内で逃げ延び、そこで、アメリカに対し、支援を求めることになり、
日米戦争に発展すると、見えていたからでした。 
特に、このとき、すでに、日本は、リットン調査団を拒否し国際連盟を脱退し、
さらに、日本の軍部は、ドイツとの連携を期待していたからです。

私は、「ある方」から聞かされた内容が、にわかに信じられず、それが本当か、
ずっと、調査・考察してきましたが、事実は、そうとしか考えられないものでした。

アメリカ政府中枢に寄生するスカル&ボーンズは、対外戦争を嫌うアメリカ国民を
何とか説得し、対ドイツ戦に参戦するだけでなく、日本占領をも狙っていました。

そうした策謀を読みきれなかったところに、私は昭和軍部の幼稚さを感じます。
また、陛下の声を封じ込めて、作戦を進行させた尊大さと 先のまったく見えない
愚昧さに、統治者として、完全に失格であったと大いに非難されるべきものです。

その意味で、やはり、当時の統治者を代表したものとして、A級戦犯は、
他の兵士たちと一緒にしてはならないと考えます。

A級戦犯を合祀させないことは、国家の舵取りをする統治者の、負の遺産として、
今では、国家主権者である私たち日本国民自体が、特に銘記すべきものです。 

「歴史を鏡に」 とは、 まさに、このことです。

Posted by Arai at 20:49 | Comments (0)

2007年04月24日

シャーマンの系譜

 19日が東京  20日が長野  21日が宇治 と結構、動いています。

郷里の中野市で、今年、川東善光寺(南照寺)のご本尊のご開帳があります。
私は、これは、538年に、欽明天皇の時代に、持ち込まれたものの可能性が
高いと考えています。

長野SBCラジオで、「中野発・歴史新発見」を毎週放送していますが、
この中野が、とにかく、大和朝廷成立(2世紀から7世紀)にかけて
< 日本海〜信濃川〜諏訪〜木曽川〜美濃〜伊勢〜吉野 >のルートの中で、
極めて重要な役割を果たしています。

 大陸側の主役は、高句麗です。 ここから、馬も牛も、仏教も入りました。

さらに、その高句麗の背後に、突厥などトルコ系、もしくは、パルティア・ソグド
などの通商民族、 さらに、ペルシャもありました。

縄文時代から、倭国の成立、そして日本国の誕生まで、 自分自身が納得のいく
ストーリーを組み立てようと、ここ3年間、いろいろ調査・考察してきました。

そして、分かったのですが、 今、皇室に伝わる三種の神器は、この間の経緯を
見事に示していると思われるのです。

1万年前からあった縄文人のヒスイ・ネットワークに、三千年前の殷周革命で
中国南部から大量の稲作民=倭族が流れ着きます。一部は、朝鮮半島の南端
にも漂着しますが、彼らは、中国の史書の中では、以後、倭人と表記されます。

それが倭国となっていくには、王権の成立が必要です。
中華の皇帝から見て、きちんと領土を画定した王権が確立して初めて倭国です。
しかも、そこでは、必ず、何らかの文字で書かれた法律らしきものが必要です。

私は、漢字文化圏で、倭国が成立するのは、後漢代以後のことと思います。
ヒミコが出るのは、魏志「倭人」伝です。 
一方、このとき、畿内以東には、もう一つ別の王権があったはずです。
それがニギハヤヒ政権です。

また、志賀島で発見された金印は、<漢の倭の奴国王>のものです。
これは、漢政権に服従している、倭人がつくった 奴国(福岡にあった政権)
の王の印と言う意味です。

この倭人政権と、 縄文ネットワークは明らかに違います。

倭人政権(ヒミコ)は、 常に、中華皇帝権を意識します。
ヒミコが、魏の曹操から鏡をもらっているのが特徴的です。

3世紀後半、畿内に、この鏡を権威とする倭国政権が誕生したあとも、
ずっと日本国内では、継続的に鏡をつくり続け、天智・天武のみならず、
聖武・桓武、そして、江戸時代になっても、この風習は続き、宇佐八幡に
鏡が奉納され続けたのです。終わったのは、1723年です。

宇佐八幡の主祭神のヒメ大神とは、 ヒミコであることがここでも分かります。
これは、鏡を権威とする、女性シャーマンの系譜です。 

しかし、日本には、本来、縄文のヒスイの系譜がありました。
ヒミコの後継者たちが3世紀後半に畿内に入ったとき、政権の座を追われた
のが、ニギハヤヒです。これは、 物部・葛木・加茂の系列です。

この人たちは、どこに消えたのでしょう。
出雲の国譲り物語は、実は、このニギハヤヒ勢が、奈良・山科を追われる
物語で、その舞台が今の亀岡市の元出雲であると、現地に伝承されています。

ニギハヤヒ本人は、 新潟の弥彦神社に逃れます。
また、神官たちは、奈良の南方の吉野・熊野に逃れたようです。
それが、玉置神社になっています。 これが、勾玉のもとになっています。

いまでも、日本の皇室は、11月の新嘗祭の前日には、このニギハヤヒを
弔う祭事を、密かに執り行っています。

この吉野に篭ったニギハヤヒの神官と、縄文ネットワークが、古代から現代も
ずっと連動してうごいているようです。

古代に、この両者が連絡を取り合ったルートこそ、高句麗勢が、日本の政権中枢に
入ったルートなのです。

 つまり、 中華皇帝の権威を後ろ盾にする「鏡の王権」に対抗する、
もう一つの別系統の権威が、ここに生きていたのです。

ニギハヤヒ一族の元は、水管理のできた古代ユダヤ人たちのことです。
そこから、加茂が出て、役行者がでます。

彼らの力を利用して、初めて、持統は、 日本国を完成させます。
藤原不比等が纏め上げた日本書紀には、 それはそれば見事に、日本列島に
起きた、聖なる系譜を、すべて、天皇家のなかに織り込んでいます。

「剣」についても、 ニギハヤヒ系列の物部の<七支刀>を踏まえて、
スサノオを登場させます。 

京都の祇園祭を執り行う八坂神社。 ご祭神の本当の名は、牛頭天王 です。

剣を、「天意を受け止める寄り代」にする発想は、古代ペルシャ(あるいはトルコ)の
ものです。 一体誰が、これを、この国に持ちこんだのか、今、まとめています。

知りたい方は、 雑誌「アネモネ」をどうぞ。
すこし、サービスしすぎちゃいました。 (消したほうがいいかな)

Posted by Arai at 21:00 | Comments (0)

2007年04月18日

日中の氷は解けた?

 こんにちは。

昨日まで北京に行っていました。
ちょうど、温家宝首相の訪日後で、とても気持ちいい出張でした。

中国側は、今後は、これまでの製造業から、サービス業の分野でも
日中協力、特に技術移転が欲しいといいます。 
特に環境とエネルギーは肝心です。

エネルギーに関して、今、私の関心は、
太陽電池 と エタノール(あるいはメタン)発電機です。

太陽電池の原料の金属珪素は、主生産地が中国ですが、
これを、ポリシリコンに加工する技術、 さらに、
セルからモジュールに組み立てる技術が、特に肝心で、これらが、
太陽電池の寿命に影響するようです。

また、エタノールの抽出技術、さらそれを電気に変える技術も、まだまだです。
エタノールはガソリンに混ぜるよりも、僻地の電気に使うべき、というのが
私の考えです。 

今の、大型発電プラント(火力・水力・原子力)の製造コスト、そして、長距離に
わたる送電時の電力ロスがいかに、大きいか?
それらが電力料金になって、消費者に跳ね返るからです。

エタノール発電、あるいは、メタンガス発電は、技術的には、難しくなく、
実験室では、もう大分前からできているのですが、電力会社の保護もあってか
日本でもまだ、商業化が遅れている状態です。

特に、エタノールの資源に関して言えば、 
「日本に自生する竹や松からも取れるのに、何をわざわざ、人間の食料である、
 砂糖キビやトウモロコシからとるのか、何を無駄なことをしているのだ!」

これが、植物・農学専門の、大納言さんの意見です。
今、このブログを書いているときに、電話が来ました。

今、田舎が寂れているといいますが、本来なら、もっとも、美しく、安心できる
舞台が田舎なのです。

「きれい・気持ちいい・美味しい」は、こっちに向かいますね。

Posted by Arai at 10:58 | Comments (0)

2007年04月11日

渤海湾で生命全滅

以下のブログを見てください。

http://blogs.yahoo.co.jp:80/warabidani/37892650.html

北京・天津など大都市、そして、黄河の水が、渤海に流れ込んで
どうなっていたのか、衛星写真で、如実に出ています。

長江・淮河・珠江の、河口もきっと同じでしょう。
ただ、直接、太平洋に流れ出ているため、この渤海ほど、汚染された水が、
滞留していないということでしょう。

1980年代前半まで、魚の宝庫だった渤海湾の生命は、全滅したといいます。

今、天津に巨大な工場群を構えるトヨタは、渤海を何とかきれいしたいと、
腰を上げるようですが、これは、元を断たないかぎり、永遠に駄目です。

1984年から始まった、改革開放で、まず最初に、沿岸地方に、開発区・工業団地
が、造られ、そこには、公害対策をしない国内・華僑系工場が多く進出しました。

税優遇と巨大利益をもとめ、華僑の名前を使った、国内企業も多くいたのです。
それが今、また、公害規制のゆるい内陸の開発区へと、どんどん移転しています。

これは、汚染源が、ますます、中国大陸の水源地に近づくことを意味します。

今の中国では、巨大大河の河口にある都市の海産物は、本当に食べられません。

中国政府は、第11次五カ年計画(2006〜2010)で、環境対策に20兆円の予算を
組んでいますが、これを、効率よく執行・運用させる知恵が必要です。

現状では、各省・各市の環境局長が、企業から、資金を受け取って、
相変わらず、お目こぼしばかりといいます。
対策技術もどのように導入されるのか、大変気がかりです。
水も空気も回っており、私たちの子孫に直接影響する問題だからです。

日本など外資系企業が、ゼロエミッションを達成しても、中国系・華僑系が
これまでどおり、何の対策をしないのでは、どうしようもありません。

環境の問題は、人間の生命を守るという意味で、間違いなく、
「安全保障問題」なのです。

明日の、安部・温家宝対談でも、この次元で、話してもらいたいものです。

私が、大連で、体を壊した理由も、この衛星写真で、よく分かります。

それ以上に、内陸の環境汚染が心配です。

これは、中央の直轄マターにすべきです。
もちろん、環境Gメンを、全国に張り巡らせ、直接的に解決できる技術を、彼らに
持たせないといけませんね。

Posted by Arai at 15:34 | Comments (0)

2007年04月08日

企業家の街・慈渓と海上大橋

 こんにちは。

昨日、帰国しました。 今回の出張先は、中国の浙江省の慈渓市でした。

この町は、中国の改革開放・市場経済にとって、その模範となる町です。

今では、蒋介石の故郷の奉化市とともに、行政区分としては寧波市の一部に
なっていますが、ここに、今年9月に、上海方面から、橋が、開通します。

 杭州湾大橋で、海上部分で、36km あります。

現地関係者の計らいで、建設中の現場に車で行ってきました。
既に橋げたと道路の基礎は出来ており、中間点まで、特別にクルマで
行かせてもらいました。
そこには、車を1000台収容するホテルを作る計画があるとのこと。 

この橋が開通すると、上海から、巨大コンテナバースのある寧波港までの
所要時間は、今ままでの6時間から2時間半に、大幅に短縮されます。

また、折江省の海岸は、湾が入り組んで、大変、風光明媚であり、
この地方には、東晋時代(4〜5世紀)に、中原(河南省)から多くの寺院が移り、
天台寺、阿育王寺ほか、仏教の聖地でもあります。

そのなかで、慈渓は、もっとも北に位置し、 今回は、橋が出来ると、
上海方面から見て、杭州湾の対岸で、寧波の入り口に当たります。

今、ここには、人口が、 173万人。

103万人が、もともとこの町の人間で、
そこに、外部から入り込んだのが、70万です。

で、なんといっても、 この町の特徴を決定付けているのが、
3万人の、会社経営者たちです。

人口の3%が、規模の大小はともあれ、会社の社長なのです。

しかも、ここには、国有企業がありません。

すべて、この地で育った人間が、自分で、起業したものです。

その中で3社が、シンガポール・香港・上海の株式市場に上場しています。

この地になぜ国有企業がなく、 誰もが起業するようになったのか?

理由は、二つあります。

 一つは、 歴史的に、自律の風土があったこと。
       国家権力よりも、自分で、何でもやってしまうというものです。

 もう一つは、この地こそは、浙江財閥の最大の大物、虞恰卿の生まれ故郷
 だということです。 彼こそ、辛亥革命後の中国民族資本を育てた男で、
 蒋介石を金銭面で支援し、上海発展の基礎を築いた、商工会のドンでした。

 しかし、 毛沢東は、彼の活動を、徹底的に、否定しました。
 そこで、共産主義中国は、国家は統一しましたが、貧困にあえぎました。

 今回、その虞恰卿の邸宅(奥さんが5人いた)を、今年1月から、新たな
 観光資源『寧波商バン文化旅遊区』として、呼び物にしようとしていることを
 知りました。
 
 文化大革命のときに、徹底的に破壊されたと思いきや、 地元住民たちは、 
 その優美な装飾建築を、上から漆喰で塗り固め、 2002年までは、
 小学校として、使っていたのです。

 慈渓の人間にとって、革命後の半世紀は、国家からの投資がないために、
 何でも、自分で、解決するしかなくなりました。
 また、細かい日用品を自分で、作って、売っていたのです。

 しかも、誰もが、同じ境遇にあるので、そこに、強い団結力も生まれました。

今回の杭州湾大橋プロジェクトは、慈渓や寧波など地元の民間資本を集め、
自主的に立ち上げたもので、 投資金額は、30年で回収するものです。

通行代も、1台80元(約1200円)になる見込みで、この価格なら、
上海方面からは、業務用のみならず、家族サービスでの利用も増えます。

北京の中央政府や、省政府の資金を、最初から、全く当てにしないで、
そこに必要性があり、 フィージビリテーィ(経済性)を確認したら、
仲間で資金を出し合って、どんどん、大型プロジェクトでも、やってしまう。

現場の必要性に対し、 受益者となる人間が、自分で、請け負えるリスクを
計算し、すぐに、 行動に移すのです。

今の中国は、 経済評論家の間からは、『資本主義のメジャーリーグ』と
よばれますが、 その核心になるマインドを、私は、この地に見ました。

で、今、そのスピードは、日本の100倍です。
日本で10年かかる決定を、1ヶ月の内に行い、すぐに行動に移します。

環境問題対策や、 農村対策、 技術移転なども、 一度決まったら、
大胆に、行動していくことでしょう。

さらに、この慈渓には、徐福が日本に旅立った伝説も残っていました。
水が美味しいので、料理も、美味しかった。

「きれい・気持ちいい・美味しい」も、実現できそうです。


Posted by Arai at 09:45 | Comments (0)

2007年04月03日

今のところ、大丈夫です。

 上海から、杭州湾をはさんで南側、慈渓にいます。
ここは、水がおいしいところで、今のところ、食中りは出ていません。

うれしいことに、この地が、5000年前の、良渚文化の中心でした。

特に、慈渓のすぐ南には、 8000年前に、大規模の稲作が始まった、
河母渡遺跡があります。
私たち、瑞穂の国のもとでした。 ここには、徐福伝説もあります。
来年には、杭州湾を横断する38KMの橋が架かります

上海方面から、多くのリゾート客が、寧波方面に向かうことになるでしょう。

Posted by Arai at 00:37 | Comments (0)

2007年04月02日

中国出張です。

 今度は、携帯浄水器を持っていきます。
帰国は、7日ですが、出張先でも、メールを見れるようにします。

Posted by Arai at 00:38 | Comments (0)
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